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小さなたからものたちとすごす日々

 夏になると私の地元ではわりと大きな花火大会がある。私の小学生の時から開催しはじめて、毎年続いて今年で35回だそうだ。泊まりに来たいとこたちと母に連れていってもらったり、家族で足の悪かった祖母を連れていって寄り添って見たり、友人と見に行ったりと花火大会を遡るとたくさんの思い出がでてくる。

 レジャーシートを敷いて、近くの出店で買ったかき氷を美味しそうに食べる子供たちと、缶ビールを片手に寛ぐ旦那さんと花火がはじまる時間を待っている時間がとても幸福だった。私たち夫婦はお互いシフト制で仕事をしているので4人で過ごせる時間は夕飯の時間と月に2回程度の休日だけなので特別なのだ。
ぺろりとかき氷を食べたあとに、こどもたちが持参したお菓子を「ママ、こっちもたべてみて!」「こっちもおいしいよ」と次々に勧めてくれる。お菓子パーティーのようでとても楽しそうだ。
 パチパチと弾けるようなキャンディがはいったチョコレートやピーナツがはいったベビースターなど私が知っているものよりお菓子が進化していて驚いたりする。
 
花火がはじまると、大きな音とともに空に様々な光の花や形がが描かれる。真新しいデザインや時間差で色々な色や形に変化する花火を見てふざけて「たまやー」とさけんだり、「いまのは、あさがおみたい」「にじいろのおはなだ」「いまのはひまわりじゃない?」「ハートがたもあるよ」と楽しそうに花火の形を報告してくれていたこどもたちに「ママはなんのはなびがすきなの?」ってふいに聞かれた。

そのときに、奇妙な既視感に襲われた。大好きな祖母と手をつないで「おばあちゃんはなんのはなびがすき?」と聞いた小さな私と、「やっぱり、やなぎかなぁ。ほら、やなぎの葉っぱみたいに垂れ下がってみえるでしょう。風情があって柳が一番好きだねぇ。」と微笑むおばあちゃんが驚くほど鮮明に甦った。

一瞬だったから、我にかえったあとに「やっぱり、やなぎかなぁ。やなぎの葉っぱみたいに下に広がる花火。ママのおばあちゃんも大好きな花火だったんだよ。」と答えると、パパが「フィナーレでやるやつだよね?あれは綺麗だよね。迫力あるし」と、同意すると、子供たちは口々に「わたしもやなぎがすき!」「わたしも、やなぎがすき!」と賛同しはじめた。

 亡くなった祖母も私と花火を一緒に見て、こんな風に幸せだったのだろうか。あたたかい気持ちでフィナーレのやなぎを見ながらそんな考えが頭をよぎった。
 大好きだった祖母の面影が笑顔で頷いた気がした。

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