母の手紙

過去の要らなくなった書類等々を整理整頓していると、ひょっこり面白いものが出てきた。
私が息子(次男)に当てて書いた手紙である。
あれえ?
こんなものいつ書いたんだろう。
きれいさっぱり記憶にない。
封筒も便箋もかなり古ぼけて色褪せている。

興味津々文面を読んでいくうちに、思わず口元が緩んできた。
けっこういいこと書いてるじゃない私。
今はりっぱなおっさん(は可哀想か)になってしまったわが子が中学受験に合格した時に、彼に当てて書いたものだった。
内容は全く憶えていなかったが、こんな手紙を書いたという記憶はぼんやり残っている。
もちろん、今回これをみつけなければ絶対に思い出さなかったと思うけれど。

読んでいると、気恥ずかしくもあるが、我ながらちゃんと当時の息子のことを見ていたんだなと感慨深くもある。
だって今でも息子はこの手紙にあるとおりの人間だから。
若干は成長したと思うが人間そうがらりと性格が変わるもんじゃない。
うれしくもあり、歯痒くもあり、微笑ましくもある。

息子よ。
母の願いは今も変わらないよ。
これをみつけた記念に、ここに文面を残しておくね。
もちろんきみにはナイショだ。
私が書いたものだから、いいでしょ?
と強引に事後承諾。
ナイショなんだから事後承諾も何もないけれど、自分自身へのささやかな言い訳として。


<母の手紙>

〇〇〇へ

まず、はじめに、入学おめでとうと言いましょう。
よくがんばったね。
もちろん無事志望校に合格したことは何よりうれしいけれど、もっとうれしいのは、きみがいつも人のことを思いやる優しい心を持った男の子だということです。
〇〇〇は本当に素直に「ありがとう」と「ごめんなさい」が言える子ですね。
簡単なようでいて、この言葉はなかなか口にすることが難しいものです。
自分の間違いを潔く認めること、また感謝の心を常に持つことは、人と人が楽しく仲良く過ごしていくために本当に大切なことです。
どうかいつまでもその素直な気持ちを持ち続けてくださいね。

あとは、もう少しいろいろなことに積極的に取り組んでね。
これからはどんどん新しいことに興味を持って、〇〇〇の世界を広く大きなものにしていってください。
それがわたしの何よりの願いです。
では、中学生活、楽しんでくださいね。
健康にしっかり気をつけて。


母より


さーて。
いったい私は当時何を思ってこんな手紙を息子に書いたんでしょうね。
うちにはそんな習慣はなかったし、今もないし。
メールならちょこちょこ送ることもあるけれど、シンプルに用件を伝えるだけだ。
こんな照れくさい文章死んでも送れやしない。

そうか。
手紙って、ふだんなかなか言えないこと、伝えられないことを相手に送ることのできる便利な道具なんだ。
きっと手紙を書いている時の自分は、普段より背筋を正し、何か厳かな気持ちで紙面と向き合っているような気がする。
手紙を書いている時の自分はいつもと一味違う、ちょっとかっこをつけた自分なのかもしれない。
でも、紙に向かって文字を綴るうちに、いつしかそこに自分でも思っていなかった深い言葉が零れ出す。
不思議な時間なのである。

もしかしたら、いつの日か、また母の手紙をきみに送る時が来るかもしれない。

それが、どんな手紙なのか。

そしてなぜそれを書く気持ちになるのか。

きっと私はわかっている。

言葉にはしないけれどね。


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