砂色の蛙(前篇)

昔のテキストファイルを色々引っ張り出していたら、随分以前に書いた自作の童話が出てきた。

童話や児童文学には幼い頃から親しんできた。たぶんわたしが一番好きな文学のジャンルである。グリム、ペロー、ハウフ、アファナーシェフ。国ごとに民話や童話、創作児童文学を集めた「世界童話大系」という大部のシリーズが家にどどんとあり、自然にそういうものの好きな子どもに育っていったのだと思う。

それにしてもこのシリーズ、古いものだから、旧表記・旧仮名遣いなのである。背表紙に書かれている国の名前もとても読めたものじゃない。例を挙げると、希臘、羅馬、伊太利、亜剌比亜、西班牙、土耳古等々。幼児どころか、大人になってもこんなもの一発で読める人は少ないはずだ。今のようなワープロで一発変換できる時代ではなかったのである。そうそう、横書きも左から右ではなく、右から左へ読まなくちゃならなかった。

旧仮名遣いはこんな感じだ。例えば「言う」は「云ふ」だし、「しましょう」は「しませう」だし、「かいぶつ」は「くわいぶつ」なんて表記されている。「くわいぶつ」ってなんなのよ!もちろん、読めないものや意味のわからないものは親に尋ねれば教えてもらえたし、何より幼い子どもの順応力というのは凄いもので、いつしか旧仮名遣いにも慣れ、普通に読めるようになっていった。今から考えると、いずれ学校で習うことになる古文の勉強の予習をしていたようなものだった。うちにあった子どもの本は旧仮名遣いのものが多く、宇野浩二や宮沢賢治の全集もそうだった。とにかく、子どもの本、大人の本を問わず、うちは家中本だらけだった。それが当たり前として育ったので、異様に本の多い家だったということに気づいたのは後々のことである。

読むのが好き、というのはいずれ「書くのが好き」に繋がっていく。もちろん人それぞれだろうけど。わたしは「書くのが好き」に繋がっていくタイプだった。それゆえ、絵本か児童文学の作家になりたいという夢を膨らませていた時代もあったが、美術系の学校に行きたいと思うほど絵を描くのが好きでもなく、人さまに読んでいただけるほどの何かを書く才能も根性もなかったので、書くことはあくまでも趣味として続けることにした。わたしは割り切りのはやい人間だったのである(今もそう)。

趣味で文章を書くというのは究極自己満の世界。何一つ規制がないから(もちろん自ずと規制がかかるものもあるが)自由で無責任で楽しい、そしてほんのちょっぴり虚しい作業である。そのちょっぴりのむなしさも味のうちだけど。

そんなわけで、誰が読むわけでもない、自分だけのために書くと言う作業をこつこつと続けてきたわけだが、結婚し、子どもを産み、子育ての苦労でバタバタしている日常に紛れて、しだいに書けなくなってきた。いや、意欲はあるのだけれど、時間と体力がなくなっていったのである。やがて子どもたちが手を離れて行くにつれ、抑えていた欲求が再びむくむくと頭をもたげ始めた。そんな時、たまたま過去に書いた自分の童話に再会したのである。なんだか感慨深かった。きちんとまとまったものを書くことが苦手なわたしにしては、けっこうまとまった形になっている。読み返してみて、なんだか新鮮だった。けっこう面白いお話書いてるじゃんわたし(自画自賛)

という経緯で、せっかくここのアカウントを作ったことだし、この場所に置いておくことにしようと思う。ここならいつでも気軽に読めるしね。ではでは若書き「砂色の蛙」を(長いので)前・後編に分けてお届けします(誰に?)。


砂色の蛙(前)

むかしむかしのおはなしです。
そのころ世界の西のはずれに、雨降り森と呼ばれる不思議な森がありました。
そこでは、どんな日照りの季節でも、一日に必ず一度しとしとと銀色の雨が降るのです。
雨降り森は魔法の森でした。
そして雨降り森に住む蛙たちは、それぞれ色とりどりの美しい体と、ささやかな魔法の力を持っていました。
夕焼け色の茜(あかね)蛙たちは、口からふわふわとあぶくのしゃぼんだまを飛ばす魔法を。
レモンのような黄色蛙たちは、フルートそっくりのきれいな声で歌う魔法を。
草の葉色の緑蛙たちは、木や草の葉っぱを使っていろいろ役に立つお薬をこしらえることができました。
それは、おなかの病気に効くグリーンジュースや、お日さまの下を歩くときに体に塗る日焼け止めの膏薬などでした。
中でも一番素晴らしい魔法を使えるのは、淡い紫色をした藤蛙たちでした。
藤蛙たちは、雨の降っていないときでも、空気中にうすい霧の幕をかけることができるのです。
水は蛙たちにとって命のみなもと、なにより大切な大地と空の恵みですから、水の魔法を使える藤蛙たちは最もすぐれた魔法蛙として尊敬されていたのでした。


ところが、ひどい日照りが何ヶ月も続いたある年のこと、ついに雨降り森にも銀色の雨が降らなくなる日がきてしまいました。
木々はぐったり葉を垂らし、草は紙のように乾いてちぢこまり、数知れずあった池や沼も次々に水が涸れてただの地面のくぼみになっていきました。
いよいよ涸れずに残っているのが森で一番深い五色沼だけになったとき、困り果てた蛙たちは集まってこの凶事の対策について話し合いました。

「どうしようね?」

「どうしたらいいだろうね?」

「このままじゃ、われわれは」

「からからに干乾びて」

「みんな蛙のミイラになってしまうよ」

藤蛙たちがどんなにがんばって霧の幕をはっても、照りつける陽射しの下で萎れていく木々を助けることはできません。
黄色蛙たちが一生懸命声を限りに歌っても、どんどん沈んでいくみんなの心をひき立てることはできませんでした。
茜蛙のしゃぼんだまは、乾いた風に吹き散らされて壊れていきました。
緑蛙のお薬の在庫も、しだいに底をついてきています。
蛙たちのためいきが五色沼の水のおもてに小さな波を立てたとき、ふいに一匹の蛙が思いついたように声を上げました。


「ぼくたち、瑠璃(るり)蛙さまにお願いにいったらどうだろう?」

「なんだって?」

「瑠璃蛙さま?」


瑠璃蛙さまというのは、一番偉い蛙の神さまで、自由自在に雨を降らせることができると言い伝えられていました。
雨降り森の色とりどりの蛙たちの中に青い蛙は一匹もいませんでしたが、それもそのはず、青は蛙にとって神さまだけに許される神聖な色だったからです。
中でも輝くような瑠璃色は、水のいのちそのものを表す色として崇められていました。
すっかり気が沈んでいた雨降り森の蛙たちは、このすてきな思いつきに大いに喜び、口々に賛成しました。

「ケロケロ、それはなんていい考え!」

「そうだ、瑠璃蛙さまに」

「雨を降らせていただこう!」

「それがいい!」

「それがいい!」

「ケロケロ、さっそく使いを送ろうよ!」

「そうしよう!」

「そうしよう!」


喜び合っていた蛙たちは、そこでいっせいにぱたりと口をつぐみました。
かれらは忘れていたのです。
瑠璃蛙さまが住んでいるという世界の果ての雲霧森は、雨降り森のさらに西に広がるカラカラ砂漠の向こうにあるということを。
カラカラ砂漠を渡るには、七日七晩不眠不休で歩き続けなくてはならないのです。
それこそ一滴の雨も降らず、一筋の川も流れていない乾ききった砂の上を。
そんなことが果たして自分たちにできるでしょうか。
そんな危険な使いに一体どの蛙がなるというのでしょう。
そのときです。

「ぼくが行くよ」

とみんなの前に進み出た蛙がいました。
それは色とりどりの仲間の中でたった一匹、砂のようにくすんだ地味な色をした蛙でした。身体だけはどの蛙よりも抜きんでて巨大でしたが、色といいずんぐりした形といい、むしろ醜いとさえ言える姿の蛙でした。


「ケロケロ、なんだって?」

「きみが使いに?」


他の蛙たちは驚いてざわめきました。
体の色のせいでみんなから砂蛙と呼ばれているその蛙は、森の中でたった一匹魔法を使えない蛙だったのです。
ただ、砂蛙はとても丈夫で大きな頼もしい身体を持っていました。

「ケロケロ、それはぼくにしかできない使いだよ」

きっぱりとした砂蛙の声に、ざわめいていた蛙たちはしだいに静かになりました。
確かに砂蛙の分厚い砂色の皮は、他のどの蛙よりもお日さまの光に強いかもしれません。その大きな水かきのついた足は、歩きにくい砂の上を誰より早く進むことができるでしょう。


「ケロケロ、そうだね。きみは強いし・・・」

「歩くのもとても速いし・・・」

「それにだれよりも高くジャンプすることができる」


砂蛙はうなずきました。


「じゃあみんな待っていておくれね。必ず瑠璃蛙さまに会って、雨を降らせてくださるようお願いしてくるから」


これまで魔法の使えない砂蛙をちょっぴりバカにしていた魔法蛙たちは、砂蛙の勇気に感心し、とてもありがたいと思いました。
そして危険な旅に向かう砂蛙に、それぞれ心づくしの贈り物をしました。
茜蛙は魔法のしゃぼんだま。
これは呑み込むと体が軽くなり、歩くのがとても楽になるのです。
黄色蛙は魔法のフルートの歌を閉じ込めたかたつむりの殻。
これを割るときれいな歌が流れ出てきて、心を元気にしてくれるのでした。
緑蛙からはおなかの病気に効くグリーンジュースと日焼け止めの膏薬をもらいました。
そして藤蛙が贈ったのは、雨降り森で一番貴重な宝でした。
それは雫石と呼ばれる魔法の小石で、そこから清らかな水が染み出てくるのです。
乾ききった砂漠を渡るものにとって、これ以上のありがたい宝はないでしょう。
ただ、一度使うと次に水が染み出てくるまで三日かかるので、大事に使わなければなりません。


「みんな、ありがとう」

「ケロケロ、がんばってね」

「ケロケロ、気をつけて行っておくれね」

「ケロケロ、瑠璃蛙さまによろしく」

「待ってるよ」

「待ってるよ」

心配そうな仲間の声に送られて、砂蛙は西のカラカラ砂漠へと旅立ちました。
必ず瑠璃蛙さまにお会いし、雨降り森の仲間たちを助けて下さるようお願いすることを心に誓って。


to be continued...



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