見出し画像

日本は労働のオーバードーズだったんだと思う〜ネパール女一人旅〜

ネパール旅行中に会話をした、2人に1人が言ってくれたこと
"Where are you from? Japan! I love Japan. It's nice country!!"

ネパール旅行中に会話をした、3人に1人が言ってくれたこと
”I respect Japanese people. They work so hard. I'm planning to work in Japan!"

ネパールを旅して驚いたことのトップ3に入るのは「ネパールの方々の心と日本の距離の近さ」だった。

外国人観光客としてネパールを旅してみて、ネパールが「親日国」であることを強く実感した。それだけでなく、現地で出会った人々の多くが簡単な日本語を話せて、将来日本で働きたいと思っている、またはすでにビザの申請をしていると伝えてくれたことにとても驚いた。

今までそこそこ色々な国に行ってきた私が断言するが、観光業に直接従事していない外国の方々が日本語を話せるというのは本当に珍しい。
日本という閉鎖的な島国でしか使われていない言語をわざわざ勉強しようだなんて、相当な愛がないと続かないから、、、。

ネパール滞在中は、会う人会う人に自分が生まれ育った国を褒め称えられてなかなかいい気分だったけれど、私の価値観は "All society is awesome"。ネパールの社会にだってステキな部分があると思いながら人間社会観察を続けた。

8日間ネパールで過ごして、ステキだなと思ったこと・不思議だなと思ったことをそれぞれ一つずつ、ここに挙げたい。

すてきだなと思ったのは、人と人との繋がり。

私が滞在していたカトマンズのタメル地区付近は観光客が多く、人の流動も人口密度も特に大きいであろうエリアだった。

にも関わらず、路地と路地が交わる交差点では握手をしながら挨拶ついでに雑談する大人を毎日見た。
見かけた知り合いに声をかけて、肩を叩きながら話す姿がすごく印象的だった。

不思議だなと思ったのは、「何もしていなさそうな人」をたくさん見かけたこと。

民家の前にしゃがみ込むご老人やお母さん。昼間から街中の寺院の前に溜まっているお兄さんたち。

日本で大卒ストレートのまま社会人になった私からすると、学校を卒業した大人が、平日の昼間に「ただ空中を眺めてぼーっとしているだけ」(に見える状態)なのを毎日見かけるのは、ちょっと不思議な感覚だった。

もう少し正直に言うと、私の主観だけなら「この人たち、仕事もせずにこんなところで何してるんだろう、、、?」という感想しか浮かばなかった。

そこに映る姿は『よく働く日本人を尊敬している』というネパール人の言葉と真逆と言っても過言ではない。

そんな矛盾について考えながら、咀嚼しながらネパール社会と日本社会を見比べると、やっぱり日本社会の”素晴らしさ”は日本人の「働きすぎ」によって支えられていることに気づいた。

日本では日常生活に必要なほとんどの道路が整備されていて、信号で管理されている。対して、ネパールに行って一番驚いたことは国の中に(ほぼ)信号がなかったことだった。

主幹道路でさえ車線も信号もない

当たり前だと思っていたことが、私たちの日々の労働と納税によって支えられているのを痛感した。

信号に関してはかなり極端な例を挙げたけれど、水道水を飲んでもお腹を壊さないこと、コンセントにプラグをさせばいつでも電気が流れてくること、毎日清潔に管理された肉・魚・野菜を買えるスーパーが家の近くにあること、この全てが"当たり前"ではなく、日本社会のインフラ力に支えられている。

そしてこういう日本のインフラは、多少のアップデートはあれど、基本的には50〜100年前くらいの日本人が”かかってる”くらい必死になって働き、作り上げたものだと思う。

私たち日本人は開国/敗戦の至極鬱的な状態から、欧米に追いつけ食らいつけの国政に流されて血眼で働き続けた結果、今のインフラ(特にハード面)を手に入れた。

そう考えると、ここ100年間くらいの日本は国家全体として"労働中毒"な状態にあったのではないかと思う。
バブル期はそんな"ハイ状態"が特に顕著に現れたもので、インフラも整い、生活が潤う加速度も大きくて、まさに"キマってる"時代だったのでは、、、?

世界がうらやむ、くらくらするほどCleanでStableな日本のインフラは、遡ること100年間くらい続いた「労働のオーバードーズ」によって成り立っていたのかもしれない。

そして今、コンプラ意識やら、"当たり前"に対する基準やらの高騰で、そのクスリの効果が切れてきた。

2020年代の私たち日本人は、働き過ぎたくないことと、オーバードーズの間に享受してしまった"整備された公共"から離れられない感覚の間に揺れているのかもしれない。

朝は家を出てから1つの会話もなく一心不乱に会社に向かって、毎日何時間も残業するのが大人というものだと思っていたけれど、
高層ビルで働けなくても、平日に偶然会った友達と雑談する余裕があったり、日常の中に「何もしない時間」があることがHuman Natureなのかもしれない、、、と思えたのがネパール旅行だった。

日本のインフラ維持については、もっと電子機械に頼るとか、海外からの労働力に頼るとか、色々な議論があると思う。

だけど、一歩日本の外に踏み出してみると、そもそも維持の基準が高すぎるのでは、、、?なんて考えてしまった。

でも、インフラ力の高さはいまや日本のアイデンティティだと思うし、正直今より日本のインフラ力が低下したら、日本に住み続けたいとは思えないかも、、、?(笑)


いいなと思ったら応援しよう!