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【MTG】# 何故あなたはMTGをやってるの
今回は雑記的な記事で、昔話を少ししてみたいと思う。
X(旧twitter)でこんなハッシュタグを見た。
# 何故あなたはMTGをやってるの
様々な人が、様々な意見を言っていた。
共感できる意見もあれば、目から鱗のような意見もあった。
改めて、自分自身のことを考えてみる。
私は「#何故あなたはMTGをやってるの」か。
私がMTGを始めたのは1999年...…ちょうど『ウルザズ・レガシー』の前後だったと記憶している。
『コロコロ・コミック』という少年雑誌に取り上げられていた記事を見たのが最初だった。それは当時、小学生だった私にとってMTGこと『マジック・ザ・ギャザリング』、もっといえば「トレーディングカードゲーム」というものへの出会いでもあった。(後に『コロコロコミック』ではMTGを扱う漫画として『デュエルマスターズ』を連載開始した。後にタイトル通りのTCG『デュエルマスターズ』を扱う漫画となったがここでは割愛する)。
最初読んだ記事は「こんなゲーム」という説明程度だったのでそこまで響かなかったのだが後に「第6版(クラシック)」の発売前には収録カードを網羅した大判のカラーポスターが付いてきた。
これまでのカードのイラストの美麗さ、エキゾチックさ、子どもの私にとっては海外発だがアメコミとも異なるハイカラさに痺れた。
まもなくして何人か仲間を集めて入門セットを買って始めることとなる。
タップした土地がアンタップフェイズに起きることも知らなかったし金銭面でパックをほとんど変えなかったので今でいう「プロキシ」のように画用紙をハサミで切ったものに文字を書いて仮デッキを作って遊んだりしていた。
パックもたまに買ったりしていたが子どもなりの公平という考えで各自で持ち色を決め、パックから出たカードは色ごとに分ける形をとっていた。
大人になってから思い出すと滑稽ではあるが知らないことをやってみることの大変さと大切さはあったのかもしれないとも思える。
それに小学生にとってMTGというゲームは難しいこともありながら高級すぎて仲間内では結局定着しなかった。余談だが無色(アーティファクト)を選んだ仲間がまず脱落した。当時はアーティファクトはアンコモン以上しかたなかったからね...…
仲間がやめてしまってからも私は魅力に取りつかれたまま一人でカードを眺めていた。もやもやしたものを取り払うように周りでは誰もやっていないのにトーナメントパックを買ったのを覚えている。当時はお小遣いに加えて家事の手伝いをして50円、100円といった駄賃を貯めておもちゃ屋に行った日のこと、家に帰って箱のシュリンクを切ったときのこと、実家の畳の上でカードを広げたこと。そのときのレアは「神の怒り/Wrath of God」だった。6版、白枠の全体除去。当時は白を使いたいと思っていなかったがマンガでも見た、強力なカードというのは知っていた。
実戦で使ったことは実は今まで一度もない。
何故ならこの後に「引退」したからだ。
理由は覚えていない。そもそも仲間がいなかったのだから、続けるには無理があった。
私がMTGに帰ってくるのは10年以上の月日が経ってからとなる。
その時には「神の怒り/Wrath of God」に代わって「審判の日/Day of Judgment」が白の全体除去枠となっていた。そのため当時引いた「神の怒り/Wrath of God」は唱えぬまま今現在に至っている。
今、2025年。
思い返せば長い月日だと思う。
26年以上経っている。
途中何度も引退と復帰を繰り返しながら、今でもMTGをやっている。
その間に実家や地元との距離間も大きく変わったし、昔から付き合いのある仲間はほとんどいなくなってしまった。一方で大きな出会いもあり人生という意味では大きな飛躍を果たした気もする。コミュニティーもいくつも出入りをしていて、結果今がある。
長くなってしまったが
# 何故あなたはMTGをやってるの
これについての答えは「自分のためである」と「誰かがいるから」の二つの答えがある。
自分のため、というのは「習慣」にも似ているし、「郷愁」にも似ている。なれなかったあのころ、今ならなれるかもしれない、そんな気持ちもあるし……体が弱かった子どものころにスポーツで上に目指すような気持ちにはならなかった。反射神経がモノをいう格ゲーやシューティングなどといったゲームでもそうだ。結果的に私が選んだのは卓上で遊べるゲームだった。
アナログしかりデジタルしかり、ゲームはいろいろやってきたけど、結果的にアナログであり、構築という自己表現ができ、適度に運が絡む、MTGというゲームを選んだ。
「自分のため」というのはある意味では「自己表現」と言い換えてもいいかもしれない。
人生には切っても切れない関係と言える。
もう一つは「誰かがいるから」という答えもある。
これは最近、紙で復帰したときに深く感じたが、やはり対戦相手がいてこそのゲームなのだと、感慨深くなった。
直近で復帰する際に選んだフォーマットは「統率者」と「モダン」だった。
復帰するにしても単に紙で遊ぶ分には別にフォーマットはどれでもいいのかもしれない。安さでいえば「スタンダード」や「パウパー」でもいい。
しかし「統率者」「モダン」を選んだ。
どちらもアリーナに実装されていないということもあるが...…一番の要因はやはり友人に誘われたからだった。(統率者戦は組んだものの一度もやっていない。しかし「モダン」は何度か遊ぶ機会を得られた。)
現代ではwebカメラを使っても対戦ができる。昔はスカイプを使っていたが今ではディスコードを用いる、などのローカルな変化はあるが。
直接対面はしないが実際に紙をさばいてプレイしているとき感じるのは「やはり紙は最高だな!」という気持ちだった。
仲間がいて、共に楽しめる。カードを通しての対話がそこにはあった。
# 何故あなたはMTGをやってるの
別にプロプレイヤーでもない。店舗大会に出たりもしていない。
それでもMTGをやる。私はやっている。
何故か。
楽しいから。
何が。
それは……一言では表せられない。
デッキ構築による自己表現、他人との対戦を通じた対話、はたまたノスタルジーに浸れるからか。あるいはそれらすべて。
MTGでなくてもいい、と人は言うかもしれないけれど。
私にとってはMTGでなければいけない。
理由は、分からない。
でもMTGだからこそやっている。続けている。辞めても帰ってきている。
MTGは、帰ってこれる故郷のような場所なのかもしれない。
そんなことを思いながらこれからもMTG、楽しく続けていきたいなーと思っております。
余談ですが...…
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記事で書いた「神の怒り/Wrath of God」ですが当時のカードそのまま手元にあります!!
何度も引退してカード手放したりしましたがこのカードだけは手放せなかったので...…
モダンリーガルですしせっかく紙で再開したのでいつかこれを撃てる日が来たらいいなぁ...…!
お読みいただきありがとうございました!!