Lapin Ange獣医師の「ネットで見たんだけど・・」 #16: 生ものに注意
前回(#15),米国食品医薬品局 FDA のwebサイトの,ビタミン Dの毒性に関する解説を紹介したのですが,同サイトには "Get the Facts! Raw Pet Food Diets can be Dangerous to You and Your Pet"(知ってください! 生のペットフードは,あなた自身とペットに危険かもしれません)という項もあります。
私はこのタイトルを見て「自作の食餌?」と思ったのですが,必ずしもそうではないようです。
市販のドッグフードについては,多分,私よりもワンちゃんオーナーの皆さんの方がよくご存知でしょうから,ここで多くは書きませんが,その性状によって「ドライ」〜「ウエット」のタイプで扱われるのが一般的かと思います。
ただ,どのタイプのフードでも安全であることが前提ですので,加熱などの殺菌処理が施されているのが通常で,ペットフード公正取引協議会のwebサイトには
「ペットフードを加工する目的は,原料の消化・吸収を向上させると同時に,加熱殺菌により微生物汚染を防止するためです。 例えば,ペットフードと家畜用飼料との大きな違いは,ペットフードはすべて加熱加工されていることにあります。
ウエットタイプの缶詰やレトルトパウチは勿論、加熱加工処理をしていないペットフードはありません。」
と記されています。
しかし,皆さんがよくご存じのように,ペットショップやネットには多くの生フードが存在し,BARF Diet (BARF: Biologically Appropriate Raw Food)の効能について獣医師を含む多くの?人たちが熱く語っています。
生食の適否は後述するとして,先ずはFDAがweb サイトで項目として掲げている内容を紹介します。
Get the Facts! Raw Pet Food Diets can be Dangerous to You and Your Pet
ペットフードの調査
生のペットフードによる食中毒を防ぐためのヒント
生のペットフードってどうなの?
FDAが指摘するように,ペットフード中のサルモネラやリステリアなどの病原細菌は,ワンちゃんだけでなく,これを取り扱ったオーナーさんや,そのご家族にまで危険が及ぶ可能性があります。
CVMの調査では,これらの細菌の汚染率がかなり高かった生フードですが,具体的にはどのような製品なのか,2021年のリコール例を見てみました。
この例では,"Bones 骨(スモーク)" 以外は全て冷凍の生フードのようですが,パッケージの写真が掲載されている "Performance Dog" という製品が牛の肉,胃,気管,骨などを材料としていること以外,詳細はよく分かりませんでした。 製造者のwebサイトを見ると,"Specializing Manufacturing Exotic Carnivores Diets" と紹介されており,イヌやネコ以外の肉食動物用のフードを専門としているようで,現在の製品一覧には,表中の製品名や,その他のドッグフードは見られませんでした。 ただ,現在の製品はほぼ全てが馬と牛から作られているようですので,多分,当時の材料も同様だったかと思われます。
この製造者がイヌ用生フードの販売をやめてしまった?理由はよく分かりませんが,世の中に生フードは多く流通しており,その効能を熱く語る方々は数多です。
あるオーストラリアの販売サイトのトップページには,
「BARF ドッグフードは,ペットの健康と幸福について,高い知識に基づいて考え,決定できる飼い主の間で人気が高まっています。 この給餌モデルはイヌの進化的栄養学の理論に基づいており,イヌにとって最も一般的で人気のある生食です。」
と,いかにも意識高い系の飼い主さんの自尊心をくすぐるような文言が並べられています。 「進化的栄養学の理論」については,「イヌの親戚であるオオカミの祖先は,獲物の全身の組織を生で食べていて,そこにはあらゆる栄養成分が ”自然が意図した” 割合と形で含まれているので,最高の品質で有益だ」とのご説明です。
日本の販売サイトでも,販売者の方には「運命的な生食との出会い」があったそうで,長年病気で苦しんできた愛犬の体調が,生食によって,みるみるうちに改善されたのだ,ということです。
肝臓など内臓の栄養価が高いのは事実だし,易熱性(熱に弱い)のビタミンなどは,確かに加熱調理で壊れますので,他の食品との併用でバランスを保つなら,このような生フードは栄養的に優れているというのも間違いではないでしょう。 しかし,どんなに優良な食品でも,病原体に汚染されていては話は別で,FDAの調査で明らかなように,生フードは少なくともサルモネラやリステリアの汚染率が高いようです。 これを加熱調理せずに与えた場合,病害を発現するリスクは少なくありません。
自然界にはコンドルやハイエナなど,屍肉,腐肉を食べる「スカベンジャー」と呼ばれる動物がいます。 重大な病害性のある細菌が増殖している腐肉を食べても平気な理由について,私などは「彼らは耐性があるんやろな」と適当に納得してしまうのですが,Michael Roggenbuckらの研究によると,コンドルは身体に入った危険な病害菌の多くを死滅させる消化器を持っており,それでも腸内に残った一部の病害性の強い細菌(クロストリジウムなど)に対しては異常に強い耐性(抗体保有など)があり,これらの菌による腐肉の分解の恩恵を受けているようです。
話を戻すと,ワンちゃんには屍肉,腐肉中の病原菌に対するスカベンジャー動物のような機能や強い耐性はありません。 たとえ鮮度に問題がなくても,サルモネラなどで汚染されたフードを食べると,病害を発現するリスクは高いです。 オオカミなどの野生動物は,腐敗した危険な肉を匂いなどによって察知,忌避する能力が優れているそうですが,ワンちゃんたちは,オーナーさんから与えられたフードなら躊躇なく食べてしまう可能性が考えられます。
上述のFDAの調査で,ドライタイプのキャットフードでサルモネラ汚染が1件見られたように,生フード以外にも汚染は起こり得ます。 日本国内でもジャーキーのサルモネラ汚染が発生し,農林水産省がペットフード生産・販売者に対して「病原微生物の汚染防止について(令和3年3月3日)」なる案内を発しており,その中でも加熱の重要性を強調しています。
最近,ワンちゃん用のフードなどに関して,「ヒューマングレード」なる語が流布しているようです。 つまりは,"人間用の食品と同じレベルで品質管理された原材料で作っているので,安心,安全!" と言いたいようで,生肉やジビエ肉などについて謳われています。 しかし人間の場合でも,お肉の生食はリスクを伴います。 ある程度以上の年齢の方なら,かつてお店で当たり前に食べられていたユッケ や生レバーが,O-157などの中毒で死者が発生したことなどにより,生での提供が禁止(牛レバー)されたり,厳格な加工規定(トリミングなど)が設けられた経緯をご存じだと思います。 「ヒューマングレード」と言っても,特に生食に適した材料を厳格な基準のもとに加工,管理したものでなければ,生食のリスクは小さくないと考えられます。
結論
というわけで,栄養の面において,生フードの効用を頭から否定するものではなく,また通常の(加熱処理された)フードに様々なサプリメントを添加することを推奨もしませんが,やはり生フード,特に生肉をワンちゃんに与えるのは,リスクが高いと言わざるを得ないと考えます。 今回はもっぱらサルモネラなどの病原菌について解説しましたが,生肉には細菌以外にも寄生虫やウイルスのリスクもあります。 特に野生鳥獣(ジビエ)に関しては,ほぼ確実に寄生虫感染があり,イノシシではE型肝炎ウイルスの存在も珍しくありません。 エキノコックスの恐ろしさをよくご存じの北海道の方は,キタキツネの糞便などから食品に付着(汚染)しないように気をつけておられるでしょう。 また近年の害獣被害の増加への対策として,ジビエ肉の消費拡大が推進されていますが,トリヒナ(旋毛虫)も非常に恐ろしい病害をもたらします。
いつも申しますが,ワンちゃんの健康を守るのは,私たちの責務です。 基本的には,ワンちゃんには生フードよりも,適切に加熱処理された安全な食餌を与えてください。 栄養上の理由などで生フードが必要なのであれば,くれぐれも材料の調達,処理,管理にも留意して頂きますよう,お願いします。
雑記
上述の米国でのリコール事例における製品リストに「Green Tripe」がありました。 国内にも販売しているwebサイトがあり,「ペット先進国で大注目!」の「スーパーフード」「完璧な補助食」なのだそうです。 ワンちゃんオーナーの皆さんには,ご存知の方も少なくないと想像しますが,「tripe」は,主に反芻動物の胃のことで,ドッグフード用としては牛,羊,鹿などが使われているようです。 で,販売サイトの説明によると「green tripe」は,その中でも牧草だけで飼養した反芻動物の,洗浄していない胃のことだそうです。 焼肉屋さんでお馴染みのミノ,ハチノス,センマイ,アカセン(関東ではギアラと言うのですね)とは違って「洗浄していない」緑色がかった状態のものです。 なにせ「洗浄していない」ので,「未消化の牧草,微生物フローラ,イヌにとって貴重な栄養素がたくさん存在している」とのことです。 私はこのgreen tripe を使った経験がないのでよく分かりませんが,例によって「素晴らしい効果!」があるそうです。 ただ,なにせ「洗浄していない」ので,臭いらしいです。 私たち獣医師は,多分「えげつなく臭い匂いを嗅いだことがある職業 10 撰」に入るので,臭いものには慣れているし「牛の胃なら,あの匂いやな」と想像できますが,おそらく一般の方にはかなり臭いと思います。
匂いはともかくとして,このスーパーフードの安全性については,上述の生肉と同様の考え方でよいと思うのですが,試しにChat GPTで "Is green tripe safe for dogs?" と聞いてみたところ,予想通り「はい,グリーントライプは一般にイヌにとって安全で・・・」で始まり,販売サイトに謳われている効能を色々説明したあと,「ただしグリーントライプは,一般に犬にとって安全で栄養価が高いものの,適切に扱われ,処理されるように,信頼できる供給業者から調達する必要があることに注意が重要です。 さらに,愛犬の食事にグリーントライプを取り入れることを検討している場合は,必ず獣医師に相談して,愛犬特有の食事のニーズや健康状態に合っているかどうかを確認することをお勧めします。」と,優等生のズルい回答を頂きました。
手を抜かずに学術論文の検索サイトで調べてみたところ,2017年に4人がO-157に感染したクラスターの報告がありました。 4人のうち1名が亡くなったそうで,3人は,生肉ベースの食餌,特にトライプを与えられていたイヌとの接触があったそうで,さらなる検査で,この生フードが人への感染源であったと結論づけられました。
商業ベースで販売されているgreen tripe の病原菌汚染率は不明ですが,少なくともFDAの調査における生フードの汚染率の高さや,リコール例に green tripeも含まれていたことは,一考に値するように思います。
繰り返し申しますが,ワンちゃんの健康を守るのは私たちの責務です。 ネットや口コミを鵜呑みにすることなく,「本当に必要なことか」慎重に判断して頂きますようお願いします。