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茶と角 1

 はじめに:この物語(茶と角/ちゃとかど)は、内容の子細を伝えるため、登場人物の心無い言動が出てくるところがあります。そういったものが苦手な方がいらっしゃるかもしれませんので、ちょっとお断りをしておきます。


 昔、あるところに、茶室のある立派なお屋敷に住んでいるお年寄りの奥様がいました。
 あるとき、奥様は、昔なじみの一人を久しぶりに茶室に招きました。奥様はご主人を亡くされ、さみしくなり、あることを思いついたのです。
 招かれたこのおかみさんは、茶道を長年習っていましたが、同世代で弟子がいないのは自分だけだったので、そろそろ教え子が欲しいと思っていました。ちょうどいい機会なので、そのことを奥様に相談しました。 
 しばらくして、奥様は、若い娘をおかみさんに紹介しました。彼女の名前は美香(よしこ)といいました。
 美香は、奥様の孫娘と同い年でした。奥様と御家族は、今のお屋敷を建て替えている間、美香が両親と暮らしている長屋に程近い、奥様の実姉の嫁ぎ先の邸宅に間借りをしていました。近くに孫娘と同じ学校に通っている同い年の女の子は美香の他にいなかったので、奥様は孫娘といっしょに登校してくれるように美香に頼みました。美香は真面目な人柄だったので、人助けになると思い、快諾しました。そのかわり、奥様は、美香にたいそうよくしました。
 間借りしている邸宅で身内のみの茶会がある時は、「美味しいお茶菓子があるから、いらっしゃい」と美香を呼び、孫娘といっしょに気軽に立礼席に着かせました。
 学校の遠足の時には、美香にも豪華なお弁当を用意しました。
 孫娘が近くの縁日に行きたいと言った時がありましたが、奥様はその時、美香を誘うだけではなく、孫娘のものといっしょに美香にも浴衣を誂(あつら)えたのでした。
 美香は、奥様にとても感謝をしていたのですが、孫娘と親友になれませんでした。孫娘にその気がなかったのです。一時的に住むところが近くなったからといって、美香と仲良くなりたいとは思っていませんでした。孫娘は、おばあさまである奥様が言うことにただ従っているだけだと、美香はほどなくわかったのですが、奥様のご好意が嬉しくて、孫娘と過ごす時は自然な感じで楽しくいようと決めていました。
 そのため、新しいお屋敷が建つと、孫娘と美香の交流はなくなりました。しかし、奥様は美香を気に入り、自分の茶会の手伝いをたびたび頼むようになりました。美香は、奥様のために何かできることがあれば、と恩返しのつもりで、お駄賃をいただかずに、たびたびご奉仕をするようになりました。美香には、長屋住まいの自分にお茶会など、お手伝いだけでも縁遠いものなのにありがたい、という気持ちがありました。そして、お茶会のことだけではなく、台所まわりなどの、ちょっとした家の片付けを、帰り際に気を利かせ、させていただいていました。そうすれば、少しは奥様の助けになると思っていたからでした。
 美香は、奥様を信じていたので、紹介されたおかみさんも良い人なのだろうと思いました。しかしお月謝のことがあるので、母に相談をしました。すると、「奥様のお茶会のお手伝いに役立つことだろうからいいわよ」という返事でした。
 美香から、よろしくお願いいたします、という返事を聞いた奥様は、お稽古用に自分の古い浴衣を与え、美香がどんなお茶会でも出席できるように、珊瑚(さんご)色の色無地一つ紋の袷(あわせ)の着物を誂えました。そして若い頃に使っていたという、紅(くれない)色の美しい帛紗(ふくさ)を、これをあなたのものにしなさい、と言って渡しました。帯や草履など、必要なものは、母とお店へ行ってそろえましたが、母の古い着物や手に入りやすいもので十分だと思っていた美香は、まさかの様々な贈り物に感激しました。
 美香が奥様から着物をいただいた時、おかみさんがその場にいました。おかみさんは奥様に、自分の新しい着物を三着ほど見繕ってもらっていたのでした。おかみさんはご機嫌な様子で、奥様に着物の代金を渡していました。
 そしてその日、美香は初めてのお稽古を奥様のお茶室でさせていただきました。その帰り道で、おかみさんは、
「今度、有名な庭園でのお茶会に連れて行くから」と美香に言いました。「水屋での支度や片付けのお手伝いはさせていただいてきましたが、本席のことは知らないことが多いので……」と美香が言うと、おかみさんは、
「これもお稽古のひとつよ。私の真似をすればいいから」と言いました。
 お稽古のひとつ、そう言われて断るのは、自分を紹介してくださった奥様に悪いような気がして、美香は断りきれませんでした。

(つづく)



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