茶と角 2
※連載初回の「はじめに」を読んでいただけたら幸いです。ちょっとお断りをしておきます。
足を運んでみると、おかみさんが弟子を連れて行きたかった茶会は、美香が想像した以上の大寄せでした。庭園内を散策しながら、おかみさんと美香は、その日、五席に着くことが出来ました。数えきれないほどの晴着の女性を一度に目にしたのは、美香は初めてでした。
おかみさんは「私の教え子なの」と知り合いを見掛けるたびに美香を紹介しました。弟子がいることを自慢したいようでした。
ある会場のお道具拝見で、点前座ににじり進む時のことでした。美香はおかみさんの後ろに付いて、畳の上を少しずつにじりました。お正客の隣におかみさんが座ったため、美香は三番目の拝見となり、おかみさんの前のお正客のにじり方が見えませんでした。
実はその時、美香はおかみさんの真似をするのに躊躇があったのです。しかし正しい所作がわからなかった美夏は、やむなくおかみさんの真似をしたのでした。
そして後日、おかみさんのお宅での初めてのお稽古の時、
「聞いたわよ! なんてみっともないまねをしてくれたの! あんたのせいで大恥をかいたわよ!」と、おかみさんが感情を抑えずに言ったので、美香はびっくりしながらも、あの時躊躇した気持ちは間違いじゃなかった、と思いました。
にじる時、おかしなことをするなぁ、と美香はおかみさんを見ていて思っていました。うさぎのように、ぴょこんぴょこん、と進むのです。しかし、着物を着て、お茶席で、畳の上をにじり進んだことのない美香は、流派によってお作法も違うだろうし、正しいにじり方を習ったことがないのに、自己流でするよりも、おかみさんをそのまま真似た方がいいかもしれないと思ったのでした。
おかみさんは、自分のにじる姿を自分で見たことがないので、自分では上品ににじっているつもりだったのです。おかみさんの知り合いは、御高齢のおかみさんに直接言えないことを、お弟子さんはこうだったわよ、と遠回しに言って気付かせようとしたのかもしれません。
美香はそのように思って心を落ち着かせ、おかみさんの言葉遣いにかなり衝撃を受けたのですが、自分が判断を間違い、実際おかしなことをしてしまったのだから、と内省し、おかみさんにお詫びをして、そのあとのお稽古に集中しました。
お稽古を終え、帰宅した美香は、奥様に電話をしました。おかみさんのお宅での初めてのお稽古がどうだったかを、奥様にご報告した方がいいだろうと、気を利かせたつもりでした。美香は、角を立てることはしない人間なので、もちろん、おかみさんの心無い言葉のことは言いません。しかし、わざわざ電話しなくてもいいのに、と奥様がめんどくさがっている様子がすぐにわかりました。これは見当違いだったと思った美香は、短めに話を切り上げました。すると奥様が言いました。
「あの人(おかみさんのこと)、ここのうちでお稽古をすると思ったのよ。なのに、旦那さんに家の奥の間を茶室に改造してもらったって、最近言うもんだから。あんたがお稽古に来たら、うちの子(奥様の孫娘のこと)が、お茶を習うと思ったのよ。だからあの人が弟子に誰かを紹介してほしいって、久しぶりにここに来た時、すぐから言い出したのには、びっくりしたわよ。こっちからお願いしてお稽古に来てもらおうと思ってたんだから。どうしても私はお茶を習わせたいんだけど、なかなかうまくいかなくて。お稽古に通わせるのは無理だから、うちで、あんたといっしょなら、あの子も(お茶室に)座るだろうと思って。お茶菓子は好きだからね。そうやって少しずつお茶を覚えさせたかったのよ。それにおじさん(奥様のご主人のこと)がいなくなった(亡くなった)からね、あんたたちにお稽古に来てもらって、お茶してにぎやかに過ごしたかったのに」
美香は、そういうことだったとは気が付いていなかったので、がっかりしました。奥様のすべての行いは孫娘のため。冷静に考えたら、当たり前のような気がしてきました。それがはっきりわかって良かった、奥様に今日電話して良かったんだ、そう思うようにしました。
しかし、美香の住まいから、おかみさんのお宅までは遠いのです。奥様のお茶室までは、バスから電車に乗り継ぎ、片道一時間あれば余裕があるくらいですが、おかみさんのところへは、バスから電車へ乗り継ぎ、他の電車に乗り換え、またバスに乗って、片道一時間半強の時間が必要です。交通費も余分にかかります。お稽古のたびに何かしら奥様のお手伝いをするつもりだったのですが、それがかなわなくなりました。美香も奥様のお茶室でお稽古をすると思っていたので、予定が随分変わってしまったのでした。
(つづく)