茶と角 7
※連載初回の「はじめに」を読んでいただけたら幸いです。ちょっとお断りをしておきます。
その数日後、奥様からお電話があり、美香は奥様のお茶室で茶懐石料理のご招待を受けることになりました。そのあと引き続き、お茶室でお稽古をすることになっているというお話でした。美香以外にご招待を受けたのは、おかみさん、小山さん、そして大山さん。大山さんはその日からお稽古に加わるということでした。
その日、美香がお屋敷に着くと、出入口に白い車が止まっていました。若い男の人が車の中にいるのが見えました。すると孫娘が表に出て来ました。
「今日はデートだよ」と孫娘は言いました。グレーのトレーナーにジーンズ姿でした。孫娘は車の助手席のドアを開けました。
「私の彼。教習所の先生」孫娘が言いました。美香は紹介されたことに少し驚きましたが、とりあえず、はじめまして、と言い、頭を下げました。孫娘の彼氏も頭を下げました。彼氏もグレーのトレーナーにジーンズ姿でした。
「この人はママの知り合い」孫娘はそう言うと、車に乗りました。孫娘が開いていた窓から、じゃあね、と言うと、彼氏は車を出しました。
出入口に、孫娘の母親が割烹着のまま急いで来ました。奥様の親戚が前掛などの汚れを防ぐものを着けた姿のまま家の表に出ることはほぼありえないと言ってもいいでしょう。余程あわてていたようでした。
「あの子、どこに行くって言ってた?」
「それは聞きませんでした」美香が答えました。
「どんな格好してた?」
「トレーナーにジーンズでした」
「もしかして、ねずみ色の?」
「あ、あの、グレーの……」
「若い人はそんな言い方するけど、ねずみ色はねずみ色なのよ、大方の人にとっては。あの子の分の料理も用意してあるのに逃げたのよ。皆さんのお稽古に加わりなさい、大山さんも初めてだから大丈夫よ、って姉(奥様のこと)がせっかく段取りをしてくれたのに。あの子、いつもあんな格好でこの辺をうろつくから、近所の目があるし、そんなみっともない格好で表に出るのはやめなさい、って姉が言うんだけど、言うことをきかないの」
「今は普段着にカジュアルな格好をする人が増えてるので、そんなに心配をすることはないと思いますよ」と美香は気遣いしました。
「あの子、上着が嫌いなのよね。重たいのは嫌い、って言って。寒くてもブルゾンしか着ないのよ」
重たい、そうか、彼女は自分の人生が重たいんだ、と美香は思いました。
孫娘の母親が、奥様を姉と呼んでいるのを、美香はこの時に初めて聞きました。事情は小山さんのお話から知っていました。奥様の御両親は、奥様の就学前にお亡くなりになって、奥様の実姉は嫁いだばかりだったため、奥様の母親の妹が、奥様を養女にしたということでした。孫娘の母親は、それからかなり経ってから生まれたのですが、奥様を、本当の姉と思いなさい、と実母に言われて育ったのでした。
お屋敷内に入ると、孫娘の母親が主立ってお料理の仕度をしていることがわかりました。美香は、母からです、と言って、月一回の限定発売で、発売日当日が賞味期限の塩豆大福を、孫娘の母親に渡しました。美香の母のパート先の近くに出来た新しい和菓子屋で、美香の母が今朝一番前に並んで買ったものでした。今日は美香がごちそうになるので、母からのお礼の気持ちでした。
大山さんもおしゃべりが大好きな人でした。その上奇遇にも、おかみさんと小山さんと大山さんは、出身地が違えど近く、大山さんは、おかみさんと小山さんのちょうど間の年齢で、どちらとも話が合いました。
塩豆大福はお稽古の時に孫娘の母親が出しました。皆、美味しそうに食べていました。その日の夜、孫娘の母親から、美香の母にお礼の電話がありました。お料理のお手伝いが二名で、十個入っていたので、孫娘の母親が二つ食べた、ということでした。話が弾んで、長電話になっていました。
(つづく)