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【過去記事】老人の記憶 インドシナ戦争でラオスに赴いたタイ人元通信兵の物語
※本稿は、2015年5月に『ザイ・オンライン×橘玲 海外投資の歩き方サイト』に執筆した内容を、掲載元の許諾を得て掲載しています。
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インドネシア戦争時、「モン族の悲劇」として多くの犠牲者を出したラオス・サイソンブン特別区にあるローンチェン。10年以上の時が経ち、ラオス政府による大々的なキャンペーン「サイソンブン観光年」によって、地図からも抹消されていたその地に、誰もが足を踏み入れられるようになった。
いくつもの悪路を越えても、彼は上機嫌だった。
車は、時折、落石が転がる赤土の道を、どこまでも進んで行く。首都ビエンチャンを出て6時間が経過していた。雨が降ってきた。粘土質の道は、車輪を飲み込んでしまう。傾く車体の前では、重機が車道を均すために悪戦苦闘していた。
先へ進めるか。車列は30分ほど立ち往生していた。歳70を過ぎた彼は、それでも上機嫌だった。あと少しで、懐かしの地ロンチェーンにたどり着けるのだから。
第二次インドシナ戦争時、北ベトナムとラオス共産党を迎撃するため、米国が秘密基地を建設し、モン族特殊部隊を編成した。1972年、ベトナム戦争における米軍の撤退が決定的となり多くの米国軍人とモン族がヘリで逃亡した。しかし、撤退しようとする飛行機に乗れず、とり残された者たちは、山に逃げ込み、反政府ゲリラとなった。彼らが立て篭もったサイソンブン地区は、それ以後、特別区と呼ばれ、ラオス人民革命軍の直轄区となった。
そのサイソンブン地区の中に、ロンチェーンと呼ばれる小さな町がある。「プーモーク」と呼ばれるなだらかな丘に囲まれ、車が2台すれ違えるほどの幅しかないメイン道路が一本と、それに平行して走る一本の滑走路しかないような田舎町だ。
滑走路の先には、突出した小山があった。1967~69年、この滑走路には数多くの爆撃機が離発着していた。小山が囲むようにできた広場には、戦闘機が待機し、天然要塞ともいうべき地形を成していた。その地形が、ラオス王国軍将軍ワンパオの自慢だったという。ロンチェーンは、タイ東北部米軍基地から敵対する共産軍支配地域であったラオス東北部への中継地点としても最適な位置にあった。
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車輪が粘土質の赤土の上で空回りしている。全員で車を押し上げ、重機のそばを通り抜けた。霧の立ち込める中、最後の峠を下った。苔のような緑が生い茂る石灰岩の山塊が連なっていた。その山塊に平行した小さな舗装路を進んだ。集落全体が秘密基地だったというロンチェーンにたどり着いたのは、首都を離れて10時間の後だった。
「当時、タイ軍はアメリカの傀儡、ラオス王国軍を支援するため、ラオスの激戦地に兵士を送っていた。今から50年以上も前のこと。私はこのロンチェーンへタイ軍の通信兵として来ていた」滑走路に降り立ち、彼は当時のことを思い出していた。
「多くの仲間が戦地で死んでいった。激戦区には行かず、私は通信兵としてこの地に留まった。現地の妻もできた。しかし、戦況は悪化し、アメリカ軍は撤退を表明した。私は妻を置き去りにし、この地を去った」
当時、ロンチェーンには、CIAにより編成されたモン族特殊部隊の本拠地があり、人口4万人が居住するラオス第二の町だったという。CIAによる秘密作戦のため、世界で最も忙しい空港のひとつだったが、その名はどの地図にも記されることはなかった。
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1975年8月に、ビエンチャンを陥落させた人民革命軍は、12月2日、ラオス人民民主共和国を建国。その後、多くのモン族特殊部隊がタイやアメリカに亡命、世に言う「モン族の悲劇」が始まる。ロンチェーンに取り残されたゲリラたちは、2002年ごろまで、立てこもり続けたという。
そのロンチェーンにも平和が訪れた。2013年12月13日には、ロンチェーンを擁するサイソンブン特別区が新しい県として、国会で設立が承認された。それから4カ月後、軍部・政府関係者以外の一般人への入域が緩和された。
政府は、2014年より、「サイソンブン観光年」として大々的なキャンペーンを行なうべく準備を進めている。元タイ軍兵士が身分検査も受けることなく、入れるようになったのである。ラオスの戦地に赴いたタイの元軍人は意外と多く、そのようなツアーがタイで流行るかもしれない。
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