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神の衣「絹」を伊勢神宮に奉納

天照大御神が何を着ているか知っていますか?

夏は麻、冬は絹なんです。
それを毎年奉納し新しいものにしているんです。
絹が神聖なと感じる理由はそんなところにもあるのかもしれません。
ということで今日は、久しぶりに日本に思いを馳せ、伊勢神宮へ絹の奉納へついて行った話。

神宮奉納のための養蚕をしているおじいさまとの出会い

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これは偶然なのですが、絹(繭)に魅力を感じ養蚕を始めようと思って学びに行った先。それが神宮奉納のために養蚕をしている農家だったのです。
彼が作る繭は神々しささえ感じます。

農家と行ってもおじいちゃん一人。
日本が絹産業に助けられた頃からズーーーッと養蚕を続けてみえる方。(今は辞められているのでお名前は伏せさせていただきます)養蚕については知らないこと無いって感じです。

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忙しい時は有志のお手伝いさんが入られますが、基本一人でやっています。
この時で御年95歳。お手伝いさんもいるにはいるのですが、はっきり行って、おじいちゃん一人でやってるくらいパワフルです。

この時は4万頭の飼育中。
この4万頭の絹が全て神様の衣装となるのです。
伊勢神宮はもちろん、橿原神宮、明治神宮など様々な神様の衣装として奉納されています。(もちろん無償で!)

【三河地方と伊勢神宮との歴史】
彼が作る絹糸は三河赤引き糸として知られています。赤引き糸は清浄な絹糸という意味で神宮に奉納される絹糸にのみ使われる三河絹の名称。その歴史は古く、約1300年前、天武天皇の御代に三河の国大野というところから始まったと伝えれれています。
1467年の応仁の乱で一時期途絶えますが、明治のはじめに復活しました。その行事を今も残し地域のため、日本のためたった一人で絹を作り続けているのがこちらの養蚕農家さんなのです。
偶然とはいえなんともありがたい農家さんに教えてもらいました。

お糸船で三河から伊勢へ

赤引き糸を作る三河から伊勢国には船で絹を運んでいました。
そのことから、この船を「お糸さん」とか「お糸舟(おいとせん)」と呼ぶようになったのです。
その風習が今も残りまず渥美半島でお清めの神事を行い、フェリーにて鳥羽に向かいます。

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渥美半島は伊勢神宮の宮司さんが分社を作りに船で渡られた歴史がある、お伊勢さんとは深いつながりのある地域。

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今日この時がもっとも幸せな一瞬。

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玉串を奉納しいよいよお糸舟へ絹とともに乗り込みます


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この中に絹糸が入っています。

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この日はこのまま船に乗り、鳥羽へ到着。伊勢神宮の近くで一泊。

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海の風が気持ちいい。

伊勢神宮へ奉納

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翌日朝から絹を大事に抱え伊勢神宮への行進が始まります。

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残念ながらここから先は撮影できませんでしたが、この先でまたお祓いがあり、絹を献上し無事に2日に渡る神事が終わりました。
私たちはこの奉納の行事に参加しただけですが、それでも絹と神様のありがたい関係を体感することができました。

これを毎年欠かさず育てて奉納されている方がいること。
それが天照大御神の衣装となっていること。
それがたった一人のおじいちゃんの力でされていること。
皆様にも知ってもらえれば幸いです。
私はもう、その偉大さに感動し感謝せざるを得ませんでした。

養蚕をはじめめてみて、その大変さを身にしみた今、なおさらその偉大さを実感しています。
これからも神の衣装ともなり得る絹を作っていることを心に留め、ありがたく養蚕をさせてもらいたいと思います。

おまけ

ちなみにこの行事が行われる日は毎年決まっていて、
7月の3日、4日の二日間。
なぜだかわかりますか?

3、4。
さん、し。
蚕糸(さんし)。
らしいです笑

神御衣祭(かんみそさい)
5月と10月、皇大神宮と荒祭宮にに和沙(にぎたえ=絹)と荒沙(あらたえ=麻)を奉る神御衣祭が行われます。お供えする絹と麻は祭典の2週間前から松坂市に鎮座する神社で奉職します。この時に使われる絹が三河赤引きの糸です。神御衣祭は他の神宮では行われない天照大神だけを対象とした由緒あるお祭りです
日本書紀と養蚕
養蚕は天照大御神が保食神(うけもちのかみ)の体から高天原に取り寄せられ、業としました。雄略天皇6年、皇后・草香幡梭姫は、民に養蚕を奨励するため、宮中において親しく蚕を飼育されました。今も宮中にて皇后が親しく養蚕をされている由来です。



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