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放心状態でカオソーイをすすった日。

わたしの、否、わたしたちの大大大好きな先輩が、2年間と半年延長の活動をまっとうされ、日本へと旅立った。

先輩が帰国されるまでの数日間、一緒に居た隊員用ドミトリーで色々伝えたかったけど、何か口にしたら感情失禁しそうだったので、結局言いたいことは何も言えなかった。数日前に行われた送別会では土下泣きをきめ、空港でのお見送りでも何も言えず、結局最後は「帰らんといてください」と自分の言いたいことだけ言ってお見送りすることになってしまった。

先輩が大好きな、民族衣装をまとった女の子の形のポストカードの狭い狭いスペースに、なけなしの語彙力で詰め込んだことばたち。想いを全部を伝えてくれることはないけれど、先輩は聞き上手で寄り添い上手だからきっとわかってくれる。だからいいんだ。ああ、最後まで甘えっぱなしだな。

空港までお見送りに行った後、隊員3人とともにご飯に行ったんだけど、隊員ドミトリー近くの店で、放心状態でカオソーイを啜ることになるとは思わなかった。ちょっとピリ辛のカオソーイをしーしー言いながら食べて、生のインゲンに美味しいヂェオをつけてぽりぽり食べて、あぁー辛いっ!って水をがぶがぶ飲んでみたけど、みんなあの時の”満たされない”気持ちは同じだったと思う。そのあとおいしいジェラートやさんに行って大好きなラム酒のジェラートを食べても、いつもみたいに「はぁー幸せ!!」とはならず、心はからっぽのままなのに胃だけが満たされたのだった。

ラオ語の先生に聞いたところ、「放心」は、ラオ語で「ໃຈລອຍ(=ちゃい ろーい)」って言うらしい。日本語に直訳すると、「泳ぐ心」。私たちはまさにそんな感じで、ときどきハッと我に返って「おいしいねー」とか言いながら、ずっとそのへんをふわふわ泳いでいた。まださぼさんが居なくなった実感が湧かないし、これからドミに行ってもさぼさんが居ないということも想像できないし、もうこれからずっとラオスにいないんだっていう現実も受け止められなかった。この現象を、われわれのあいだでは「#さぼロス」という。

わたしがラオスに赴任して2か月ほど経ったころ、2年の任期を終えて入れ違いで帰国された隊次がある。そのなかで、任期を半年延長するといって一人ラオスに残られたのが、今回帰国されたさぼさんだった。

さぼさんとは職種も隊次も違ったけど、何度か一緒に活動させてもらえる機会があった。そのうちのひとつが、4月に首都の高校で行われた原爆展だった。私と同期隊員で、アイスブレイクを担当させてもらった。

現地語学訓練のころからラオスのことをたくさん教えてくれた先輩の、大切なイベント。せっかく声をかけてもらえたんだから、私もそれに応えたい。準備にめちゃめちゃ時間をかけてもらっているのは共有された資料で十分伝わっていたから、私も同じぐらい頑張りたい。せっかくやるなら、任された以上のことをやりたい。任地に赴任して2か月弱の、今よりカタコト、ガタガタのラオ語でできることは限られていたけど、その中でもできることをやろうと思った。

さぼ先輩は、出会って数ヶ月の私をこんなに突き動かすほど、人間としての魅力にあふれた人だった。

そして、私のそういう気持ちに一番に気づいて、いつも温かい言葉をくれたし、しんどいときは、さぼさんのばんそうこうみたいな言葉に何度も救われてきた。だから、その数か月後にゴミ処理場見学を企画してくださったときも、まとめのレポ―ト作りに自分から手をあげた。

原爆展もゴミ処理場見学も、そのイベント自体の学びの大きさや魅力というより、さぼさんが「1」をつくってくれたことに対して自分もなにかやりたいという気持ちが大きかったと思う。さぼさんは人をそうさせる力を持っているし、どんどん人を巻き込むし、皆の得意を集結させて大きな何かを成し遂げるし、そして「皆」で楽しくなることも絶対に忘れない。

協力隊の活動って、楽しいようで苦しいときもあって、真っ新な雪原の中に居るような、膝まで沈む沼のような、そんな中をあても無く彷徨っている気持ちになることがある。さぼさんがそういう時にそっと寄り添ってくれるのは、きっとさぼさん自身にも、ここで生きて日々活動していくことに難しさや葛藤があったからだと思う。それでいて、そのいろいろを乗り越えて人に優しくできる人が、わたしたちが大好きなさぼさんという人だ。

空港で手首に結んでもらったバーシーの紐を見るたびに、思い出そうと思う。さぼさんがわたしに「1を200にする女」だって言ってくれたこと。わたしはいつも1を作るのをためらうけど、好きな人、一緒に頑張りたい人、役に立ちたいと心から思う人のためだったら、飯を食うのも寝るのも忘れるぐらい頑張れる。期待値+350%にカフェインの力の合せ技で、やれるとこまでやりたいと本気で思っている。大げさだと思われるかもしれないけど、これはまぎれもなく本心だ。

さぼさん級の寄り添い力は、あと1年ここに居たって身に付かないけど、なんにもないところに人の往来や輪っかを創ること、ラオスの文化習俗に自分から溶け込むこと、自分が持っている情報をおしみなく発信すること、「協力隊として」の強みは何かを考えて行動すること、そしてそれらを義務と感じず積極的に楽しめるあのバイタリティを、ほんの少しでも真似できるぐらいには、自分の目指すところをしっかりと定めておきたいと思う。

さぼさん、2年半本当にお疲れ様でした。もうメコンバンドでさぼさんのフルートと共演できないと思うと寂しいけど、さぼさんが延長してくれたからできた経験や楽しかった思い出といっしょにあと1年ちょっと頑張ります。来年のハンディクラフトフェスで待ってます!そしてまた世界のどこかでお会いしましょう。

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