NOT DEAD LUNA/YAPOOS
こんにちは、老人家(らおれんじゃー)です。今日は音楽の備忘録を遺していきたいと思います。
曲名はタイトルにありますが、老人家が最近好んで聴いているバンドでございます。ヤプーズ(YAPOOS)という戸川純さんを中心に1983年に結成された音楽バンドです。
そんな40年近く前に結成されたバンドですが、私が彼女彼らを知ったきっかけは、驚くほど最近のことで、Netflixで公開中の園子温監督作品「愛なき森で叫べ」を見たことでした。(「愛なき森で叫べ」の中で使われていたのは戸川純の「蛹化の女」でした。)
彼女の不気味さと清純さの混合がなんだか好ましく感じられて、そこから知らず知らずのうちにYAPOOSの曲も聴くようになっておりました。
タイトルに「NOT DEAD LUNA」を挙げていますが、今日は特にこの曲のどこがどう好き、とかヤプーズのどの曲が好き、などを遺していくわけではなく、ヤプーズそれから戸川純さんの音楽に触れて感じたものをとりとめもなく書いていきたいと思います。
とりとめもなくと言ったそばからもう結論的ですが、私はいつも彼女彼らの音楽からどうしようもない何かの「爆発」を感じています。そして同時に自分の中からも「爆発」の音が聴こえてきます。
どうしようもない何かが今目の前で瞬間的に爆発して、それに感化されて「あ、わたしも爆発したかったんだ」、とハッと気づいて一緒に爆発できるようなそんな音楽。
どんな歌詞だとか、ロックパンクどんなジャンルだとか、バラードポップどんな曲調だとか、そんなものが全く重要ではないと感じさせる爆発。
感情を綺麗に整理したわけではなく、状況を綺麗に整備したわけでもなく、
あるものをあるがまま、ぶちまける快楽。
その滅茶苦茶の大切さを、滅茶苦茶になることの尊さを感じさせてくれる曲です。
(というより滅茶苦茶にしてくれる曲です)
目下の老人家の意見としては、「バーバラ・セクサロイド」と「NOT DEAD LUNA」、この二曲を続けて聴くとより効果的に「爆発」の快楽が感じられると思います。
私たちの存在理由がだれにもことばであらわせないように、私たちの悲しみの理由、喜びの理由、恋の理由、死の理由はもっと滅茶苦茶でいいのではないか、と常日頃思うのです。彼女たちの音楽のように。
この世の中、言葉であらわせないこと、
どんなに世間がことばを求めたところで
口に出して、文字に書いてあらわせないことがたくさんあります。
今、こぼれそうなほどの悲しみ、今、あふれてしまいそうな慈しみ、
その正体を明かそうとする必要は無いのではないでしょうか?
自分を納得させる理由をつけて、さらに相手を納得させる理由までもつけて、その後に残るのは一瞬の満足と果てしないむなしさだけです。綺麗に言葉にできないものはこの世に山のようにあふれています。むしろ、言葉にできないものだけでこの世界はできているのではないでしょうか?
老人家の言葉が過ぎるでしょうか?
なんでも言葉で戦わなければならない世の中で、私たちが心の底から欲しているのは、ただの爆発なんだと、私はそう思うのです。
そしてそんな爆発のあとにもNOT DEAD LUNAの歌詞にあるように「皆失ったって 月はまるでいのちのよう 尊く光る」
爆発と無常、そんなものを感じて日々老人家(らおれんじゃー)も生きております。
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