あなたの常識はぼくの非常識
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このマガジンは、僕(ジーコ)が、子の道、個の道、この未知といった様々な『コノミチ』について述べていくマガジンです。
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前回は『過去の積み重ねが人生を決めるというのは嘘だ。』というお話でした。
今回は『あなたの常識はぼくの非常識』というお話。
ぼくは昨年6月まで青年海外協力隊員として東南アジアのラオスという国で2年間、健康・環境教育に関わる仕事をしていた。
そして、この2年間でぼくは本当に沢山の日本の非常識と出逢った。
例えば、
・集合時刻に30分以上遅れてくる。
・授業中・会議中に電話に出る。
・上司が話しているときもスマホをいじっている。
・爆音で夜中まで音楽を鳴らしてカラオケをしている。
・道にゴミを捨てる。
・バイクに5人乗りしている。
・昼から酒を飲む。
・とりあえず自撮り。
・飲み会中は何度も乾杯をする。
・16時を過ぎると家に帰っていく。
・大雨が降ると仕事に来ない。
ect...
まだまだ出そうと思えば無限に出てくる。
しかし、実はこれは非常識を書いているようで非常識を書いるわけじゃない。
「え…?何言ってんの…?」と思いました?
そう。これはただ『ラオスの常識』を書き出しているだけなんです。
ラオスでは当たり前のことを書いているだけ。
つまり、ラオスの常識と日本の常識が異なるってだけの話。
なぜなら、常識なんてものは特定のコミュニティの多数派の行動ってだけの話だから。
多数派の行動の正しさなんて、ちょっと国や時代やコミュニティが変わるだけで異なるモノになる。
そして、このような『常識と常識の違い』を理解する事が異文化理解である。
多くの人は『異文化理解』と聞くと、日本人と外国人との文化の違いをイメージするが、異文化理解は国と国だけの文化の違いだけではない。
異文化理解は日本人と日本人、親と子、にも応用できるものである。
なぜならば、人は一人一人が異なるバックグラウンドを持っており、一人一人が自分の中に文化を形成しているからだ。
それは親と子で同じ家で暮らしていたとしてもこれまでのバックグラウンドや家庭以外の人間関係によって異なる文化形成されている。
だから、日本人同士であっても親と子であっても『異文化理解』が必要なのだ。
どちらが正しいという考えではなく、まずはお互いの文化を尊重し理解しようすることが大切だ。
もちろん理解しようとしてもできない事はある。
ぼくもラオス人の友人がトカゲのスープでもてなしてくれたときがあったが、残念ながら美味しいとは思えなかったし、もう食べたくない。
だから、決して異文化理解とは理解を強要するものではない。
理解できないものはできなくて良い。
だけど、大切なのはまず理解しようと知ろうとすることだ。
自分の常識は必ず誰かの非常識だということを頭に入れておくのだ。
ということでこんな異文化理解体験はどうでしょう⇩
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