多様な選択肢を見せるだけでは、むしろ不幸になる。
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このマガジンは、僕(ジーコ)が、子の道、個の道、この未知といった様々な『コノミチ』について述べていくマガジンです。
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前回は『諦める。まずはそれから。』というお話でした。
普段ぼくは「世界中を学び場に!」をモットーに、教育の多様化について発信をしている。
しかし、今回のお話はいつも言っているようなこととは一見丸っきり逆の
『多様な選択肢を見せるだけでは、むしろ不幸になる。』というお話をしていきたいと思う。
選択肢が多いほど人は幸せか?
一般的には選択肢が多いほど幸せだと思われている。
しかし、それは本当なのか?
例えば、『3種類のピザしかないA店』と『50種類のピザがあるB店』、一枚だけピザを選ぶとしたらどちらが幸せになれるだろうか?
A店は3種類しかないので、どれにしようかそんなに時間をかけずに決めれる。選んだ1枚のピザの味はそこそこ美味しい。
B店は50種類もあるので、決めるのに時間がかかってなかなか決まらない。そして、悩んで選んだ1枚のピザの味はそこそこ美味しい。
ともに、ピザの味は「そこそこ美味しい」。
しかし、この場合50種類あるB店のピザ屋さんの方が幸福度は低いかもしれない。
何故なら、悩んで選んだピザがよりも美味しいピザがあったかもしれない…という考えが浮かんでしまうからだ。
もし自分がピザを食べ終わった後に、他の人が違う種類のピザをめちゃくちゃ美味しそうして食べていたら、「あ~!あっちのピザにすれば良かった~!」なんて思ってしまうかもしれない。
つまり、選択肢が多いと自分はもっと幸せになれたはずなのに…となるわけだ。
ラオスで見た子どもたち
ぼくは元青年海外協力隊として東南アジアのラオスという国で2年間、ボランティア活動をしていた。
そして、先ほどのピザと同じようなことをラオスの子どもたちと触れ合って思っていた。
と、言うのも、
ラオスという国は日本と比べると貧しい国だ。
そして、ラオスの子どもたちと日本の子どもたちの将来の職業の選択肢の数を比べれば圧倒的にラオスの子どもたちの選択肢は少ない。
しかし、ラオスの子どもたちが日本の子どもたちよりも圧倒的に不幸だとは、ぼくは思わなかった。
なぜなら彼らはいつも笑顔だったからだ。
たぶん彼らも自分自身のことを不幸だとは思っていないだろう。
幸せを決める要素
では、どうして彼らは選択肢が少ないのにも関わらず、不幸ではないのだろうか?
そして、どうして日本はこんなにも選択肢に溢れているのに圧倒的な幸せを手に入れれていないのだろうか?
「心の豊かさ?」いやいや、そんな漠然としたものをぼくは答えにはしない。
もちろん、幸福度には色々な尺度があるため一概にこれが正しいとは言えないし、実際に幸せかどうかなんてことは個人が決めることだから分からない。
しかし、将来の選択肢という観点から言えば、ぼくは幸せに関わる基準が2つあると思っている。
それは、
「見えている選択肢の数と実際に選ぶことのできる選択肢の数とのギャップ」と「選択の納得度」
「見えている選択肢の数と実際に選ぶことのできる選択肢の数とのギャップ」
これは最初のピザの話を例に考えてみよう。
50種類の内1つだけ選ぶのと、3種類の内1つだけ選ぶのでは、3種類の内1つだけの方が見えている選択肢の数と実際に選ぶことのできる選択肢の数のギャップが少ない。
「隣の芝生は青く見える」と言うように、50種類の内1つの方では、残り49の選択肢が羨ましく思ってしまうが、3種類の内1つだけの方は残り2つだけしかない。
このピザの話を日本とラオスに例えるなら、50種類の内10種類を選べるのが日本、3種類の内1種類を選べるのがラオスといった感じだろうか。
選ぶことのできる選択肢の数自体は日本の方が圧倒的に多い。
しかし、「見えている選択肢の数と実際に選ぶことのできる選択肢の数とのギャップ」からみると日本の方がギャップが大きい。
ラオスは選ぶことのできる選択肢の絶対数は少ない。しかし、その分見えている選択肢も少ないため、そこに対する嫉妬心や劣等感も少ない。
つまり、『見えている選択肢の数と実際に選ぶことのできる選択肢の数とのギャップ』を小さくすることが幸せに繋がるとぼくは思っている。
ぼくが子どもたちの学び場の選択肢を増やしたいと思うのは『実際に選ぶことのできる選択肢』を増やすためだ。
子どもたちは世界の多様化が進んでいることをすでに感覚的に知っている。しかし、実際に選ぶことのできる選択肢は少ない。そこに違和感と苦しみを感じている。
日本の学校教育の変化は遅すぎる。
そのため社会の多様性と学校の多様性のギャップは益々広がるばかりだ。
だから、ぼくは実際に選ぶことのできる学び場の選択肢の数を増やして、ギャップを小さくしたいと思っている。それが、ぼくの発信活動の目的だ。
しかし、『実際に選ぶことのできる選択肢』を増やすだけでもまだ不十分だとも思っている。
もう1つ大切なものが「選択の納得度」だ。
「選択の納得度」
「選択の納得度」とはどれだけ自分で納得して選択肢を選ぶかということだ。
とりあえず、みんなが進学するから自分もしておこう。
とりあえず、みんなが就活するから自分も就活しておこう。
そういった他人基準の選択ではなく、自分がこうしたいからこの選択をしたと自信を持って言えることが幸せに繋がる。
なぜなら、自分が納得して選んだ選択肢なら他人の選んだ選択肢と比較して、嫉妬したり劣等感を持ったりすることがないからだ。
結局、人が「自分は不幸だ」と感じるのは他人と比較するからだ。
しかし、自分が納得して選んだ道ならば、どうして他人と比べて劣等感を感じる必要があるだろうか。
今の学校の進路指導はテストでこの点数取れるからこの高校・大学に行けるといったものだ。しかし、このような進路選択で自分は自信を持ってこの道を選んだと言える人はどれだけいるだろうか?
ぼくが通信制高校などを勧めるのは通信制高校が優れていると思う部分もあるが、自分で納得して進路選択してほしいからだ。
まだまだ全日制と比べて通信制高校は少数派ではある、しかし、だからこそ「自分は少数派である通信制高校を選んだんだ!」という自信になると思う。
他人と異なる道を選ぶのは、不安が大きいかもしれない。しかし、それだけ納得度の大きい選択となると思う。
以上のことからぼくは、
ただ目に見える選択肢を増やすだけでは不十分で、
実際に選ぶことができると思える選択肢の数を増やすこと、
選択の納得度を高めることが幸せに繋がると思っている。
さて、これから日本の教育はどう変化していくのだろうか…?
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