「何なりたいの?」という問いの呪い
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このマガジンは、僕(ジーコ)が、子の道、個の道、この未知といった様々な『コノミチ』について述べていくマガジンです。
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前回は『多様性時代の個人と国家と教育と。そして、愛国心。』というお話でした。
『イチローが現役野球選手を引退した。』
あの、イチローが!!
小学生の頃、野球をやっていたぼくにとってイチローはヒーローだった。
ぼくだけじゃない。ぼくの周りの友達もみんなイチローに憧れていた。
それくらいあの頃の小学生にとってイチローはヒーローだった。
イチローの本も何冊も読んだ。
将来の夢も「イチローのようなメジャーリーガーになりたい」と書いたのを今でも覚えている。
そんなみんなの憧れだったイチローが現役を引退する。
引退会見でこんな場面があった。
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記者 イチロー選手は、何になるんですか。
イチロー 何になるんだろうね。そもそもカタカナのイチローってどうなるんですかね。「元カタカナのイチロー」みたいになるんですかね。あれ、どうなんだろ。「元イチロー」って変だよね。いやイチローだし、僕。音が一朗だから。書くときどうなるのかな。どうしよっか。何になる。うーん……。
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そんなやりとりを見てぼくは思っていた。
イチローは『イチロー』だ。
イチローは何か別のモノになることはない。
これまでもこれからもイチローはイチローだ。それが変わることはないと…。
日本人はよく「何になりたい?」と聞く。。。
子どもに将来の夢を聞くときも「何をやりたいの?」ではなく、「何になりたいの?」と聞く。
ぼくはいつもこの問いに違和感を持っていた。
だって、「何になりたい?」という問で、大人たちが期待している答えは「職業」だ。
しかし、子どもの知らない職業なんて無限にあるし、時代の変化とともに新しい職業なんていくらでも生まれる。
それなのに、子どもの時から今ある既知の職業の選択肢の中から「何になりたいの?」と職業を聞かれるわけだ。
そして、野球選手やサッカー選手、学校の先生や消防士や警察官、挙句の果てには公務員など、子どもたちは仕方なく自分の知っている職業の中から頑張って、回答を出そうとしてしまう。
これはある意味『呪いの問い』だ。
なぜなら、言葉には言霊が宿るからだ。本当はなんか違うとは心では思っていても、自分で言った言葉(職業名)を口にしているうちに、自分のなりたいものだと思い込んでしまうのだ。
しかし、ぼくは職業というものは、「自分のやりたいことをするための『手段』」だと思っている。
別の良い方をすれば、最初に「何をやりたいか?」があり、それを実現する手段として「何になるか?」があると思っている。
つまり、「何をやりたいか?」を聞かずに「何になりたいか?」と聞くのは順番が間違っていると思うのだ。
「何になりたいか」と、敢えて聞くならば「どんな大人になりたいか?」を聞いた方が良い。
なりたい職業になれなかった場合も決して人生の失敗ではないし、ただ手段が変わっただけと考えて良いと思う。
また、やりたいこともいつでも変わっても良いし、それに応じてなりたいものも変わっても全然良い!
1つの目標に向かって真っすぐ進むのはカッコイイかもしれないが、あっちこっち寄り道をして色んなバックグラウンドある人もぼくはとても魅力的だと思う。
もっとやりたいことにフォーカスしていこう!
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