自粛、どうでしたか?
子どもさんが、
「自粛、さすがにもう辛い。」
と話した時に、言葉の真意がすぐには分からず、何を感じているのか教えてもらったことがあります。
とどのつまり、子どもさんは、外に刺激を求める性質もあり、学校に通うこと、人に会うことに心地よさを感じているのです。インターネットを介した同年代・同じ趣味を持つ人たちとのコミュニケーションがある中でも、実体験だって離れがたいものだと分かっているのです。
相対して、私は、そういう子どもさんの母でありながら、引きこもっていられるならば、いつだってこうありたいと思っています。従来でしたら、子どもさんの習い事の送迎もやむを得ずやっている印象ですし、注文した品物を受け取りに玄関に赴くことも、可能ならばやりたくない。ママ友なんて論外。職場に赴く際も、限界まで自分のテンションを上げなければ、電車に乗る力も出ません。ですから、生身の人との接触が限りなく減った今は、私にとって最高に生活しやすい時間でした。
買い出しに行くスーパーも、日頃よりお客さんは少ないですし、届け物は対面で受け取る必要もなく、在宅中に謎の営業活動のチャイムが鳴ることもなく、子どもさんの学校の活動による、強制外出の必要もないのです。
そういう、生活が、終わってしまう。。。家でまったりとしているだけで、褒められる時が終わるのです。辛い。。。と、過去の私でしたら、すごく落ち込むところなのですが、まあ、今は趣も変わりましたので、それはそれで、やりたいことを目指して再び打ち込むだけです。
今回の自粛休暇で、改めて思い知らされました。
世の中には、外に出てコミュニケーションを取らないと生きていけないような人たちがいらっしゃって、私は、どう転んでもそうはなれないということを。
信頼できる人との接触は、大丈夫なんですけどね。そういう、自分の本質が照らされて、それならば、ここから先に自分がどうありたいか、ごろごろしながら再考しているところです。
私が住んでいる地域は、今しばらくの緊急事態宣言延長の中にあります。
私は、大丈夫ですが、子どもさんの様に、外に赴き刺激を求める方々の中には、改めてどう心を置くかもどかしくなる人もいらっしゃるのでは?と、想像します。得られないものを求めることは、苦しかったり、悔しかったり、苛立ったりします。けど、この状況が永遠ではないと思えたら、もう少し、待てませんか?
子どもの頃、誰もいない家で、私はこのまま古い慣習に抑えられたまま死ぬのかと絶望した時期がありました。永遠にも思えたのですが、でも、これは一時の事なんだ。と、考えた時、遠くの山の峰々を、ぼうと眺めながら、山ですら姿を変えるのだから、こんな些末な生き物のの生活が変わらないわけがない。と、強引に希望へ切り替えたことがあります。
永遠のものは、そう多くありませんから。今回の件も、永遠ではないと思っています。何年か後に、この時間を、思い出話に出来るようにしたいです。
頂いたサポートは、木の小物を作る際の資金にさせてもらいます('ω')