グラウスマウンテン哲学。「カナダに来て私は成長したのか?」に答えてくれる、心のパワースポットです
こんにちは、ゆうです。カナダに留学に来ている皆様。留学初日は恐らく誰もが「成長してやる!」意気込みを胸に刻み、それには英語力の向上だけではなく、人間としての成長も含まれていることだと思います。
英語力なら、TOEICやらIELTSなどのテストで測定することができるのでどれだけ伸びたか目に見えて判りやすいのですが、さて、人間としての成長はどのように測るのでしょうか?
「人は危機に直面した時に真の姿が出る」という言葉の通り、人は過酷な試練に直面した時にこそ、真の姿が見えるようになります。端的に言えばそれがグラウスマウンテンの醍醐味なのです。
グラウスマウンテンは、カナダのバンクーバーからバスで1時間足らずの場所に位置し、山としては800mほどの高さですが、賞味1時間半ほどのコースは過酷極まりないと言われています。面白いことに、毎週末のように登るリピーターが数多く居るそうです。
標高800mの山がリピーターを輩出する噂をずっと不思議に思っていた私は、本日遂に登る機会がやって来て、実際に登ってみてグラウスマウンテンには2つの魅力が有るように感じました。
1つ目の魅力は、グラウス登山は心に「究極のノイズキャンセリング」を掛けることで雑念を消し、心の真の姿を己に見せてくれる点です。言い換えたら、普段心は雑念という厚着をしており、グラウスに登る時にはデブデブした衣装を脱ぎ捨てることができて、その下に隠れていた素の心が見えるようになるのです。
2つ目の魅力は、登山道入り口から頂上までのタイムアタックをすることで、身体と心がどれだけ強くなったかを数字として見せてくれる点です。
いずれの魅力も、ノイズの多い現代社会では埋もれて見えなくなってしまっていた自分の心と身体をありありと「見せつけて」くれることに関係しています。
それでは掘り下げて見ていきましょう。
1.究極のノイズキャンセリング
夏目漱石の「草枕」は次のような一文で始まります。
智に働けば...以降の深掘りも大変味わい深く面白いのですが、主題から外れるのでここでは割愛し、一文目の「山路を登りながら、こう考えた。」に着目しましょう。
なぜ交差点や歩道ではなく、山道なのか?
思うに、山道だからこそ、そのような味わい深い考えが浮かんできたんじゃないかなと。
山道はザワザワした街道や波の音がザワつく浜辺と違い、ことさら静かです。雑念が雑音から生まれるのであるとすれば、山道には雑音が無く、雑念が生まれにくいため、ノイズキャンセリング効果があるのだと言えるでしょう。
グラウスマウンテンは足場が非常に悪く、傾斜も30度と大変急で、集中して登らないと足を踏み外して大怪我しかねません。だから自ずと脳が究極の集中モードになります。脳が集中力を発揮しだすと、自分の心の中の声以外は全て雑音とみなし、シャットアウトしてくれます。それに、山道が急なお陰で高低差による耳詰まりがノイズキャンセリングに拍車を掛けてくれます。
こうして、自分と徹底的に向かい合える時間と空間が生まれるのです。
・空間は時間の生みの親
この場所にいると時間が速く感じる、あの場所にいると時間が遅く感じる、などと場所によって時間の感じ方が異なるのは誰しも経験があると思います。
グラウスマウンテンは時間の流れが0に収束する場所で、いわば無時間的です。
登山道は足場が悪いため、余り遠くを見すぎると足元を掬われ怪我につながります。それに永遠に続くように見える登山道を見てしまうと、この先が無限にあるかのように感じ心がダメージを負うので余りオススメしません。かと言って、足元だけを見ていると5歩先にある急な段差を迂回できるルートを見逃したりするので、近くを見すぎていてもダメ、遠くを見すぎていてもダメなのです。
結果として目線は3歩ほど先を向くことになります。つまり常に下を向いている状態になります。さて、ここで「反省」という言葉を研究してみます。「反省」の「省」は「目」を「少し」開けている状態を指すのですが、座禅を組みながら自分の少し先に半開きにした目線を落とす状態が字義であるそうです。座禅を組む時に目を半開きにするのは、自分の内面の世界に意識を50%向け、自分の外側の世界に50%向け、内と外の世界を「反復」することで自分を内と外の両方から見つめるという意味があるからなのだそう。
グラウスマウンテンを登っていると、コースのキツさから額から汗が垂れ流し状態になり、なおかつ、自分の3歩先を見下ろしながら歩くため、汗が目に入らないように目は半開き状態となります。つまり、目が自分を内と外の両方から見ることができる「反省」の姿勢になるのです。
お坊さんが座禅を組み「反省(反復して自らを省みる)」する時、時間の流れを忘れるそうなのですが、これは無時間的ではないでしょうか。
グラウスマウンテンに登る時、登山道の空間の特質上、時間はゼロに向かって収束するとはつまりこのことです。
視覚の働きが半分になり、高低差による耳詰まりがノイズキャンセリングをし、聴覚による刺激を制限します。徹底的に自分と向かい合える時間は、このような空間的特質から生まれるのだと思いました。
・友達と登るときは無言で登ろう
誤解の無いように言いたいのですが、すべての登山客が修養を目的としているわけではないので、グラウスマウンテンに登る人が皆が黙って登るべし主張したいのではありません。
「自己を鍛えたい」「自分の心と対話したい」という方のみ対象です。
道中ハイキング気分でグラウスマウンテンを訪れている人を多く見かけましたが。それはそれで良いのですが、彼らは「疲れた」「キツイ」と愚痴を言い合ったり、他愛のない会話をしており、聴覚のネガティブな刺激からどうしても精神統一の妨げとなります。
すごく粗く仏教の話をすれば、「雑念は五感から生まれるので、五感を制限すれば雑念から開放される」という教えがあります。それを真とするならば、不要な五感刺激を避けることで雑念を消せるはず。
せっかくの究極のノイズキャンセリングの機会なのですから、内面との対話を大事にしたい本記事の読者の皆様はグラウスマウンテンに登る時、静かに登って見てはいかがでしょうか。
2.タイムアタック
登山道入り口から山頂までの800mを健康な成人が登れば90分かかると言われていますが、グラウスマウンテンではどれだけ速く登れるかを競うタイムアタックが流行しています。SuicaやCompasscardの如くタッチカード式で、登山道入り口で機械にタッチ、ゴールの機械にタッチすることで所要時間が記録されます。歴代最速記録は23分台だと言うので、急な坂道を獣のように駆け上がる猛者がそのような記録を出していることでしょう。ちなみに私は本日の初登山で59分でした。自分なりの全力でしたが、まだまだです。
さて、こんな危険極まりない山道でタイムアタックをするのはナンセンスだと思うかも知れませんが、一度登ればその意義に気づきうると思います。
過酷な道をどれだけ速く進んだかで、体の強さが分かり、身体がそう動くようにムチ打てるだけの心の強さがあるかを測定するため、と言ってしまえばそれで片付くのですが、それで片付けてしまうには少々惜しいです。
第一章の後半で、聴覚の刺激を減らし心にノイズキャンセリングを掛けるために「黙って登るべし」という旨を書きましたが、これが関係してきます。
・抜きながら進むべし
先程も述べた通り、全ての登山客が精神的修行を目的にグラウスに登っているわけではありません。楽しくワイワイしながら登りたい人たちも居ますし、居ても良いのです。いえ、むしろ居てもらわねば精神的修行を目的にグラウスに登る人の為にはならないと私は考えます。
さて、耳から入る雑音を減らしたいと思いながら登っている貴方が、道幅が基本的狭く急な登山道で、騒ぎながら登っている一般の登山客がすぐ前を行っていたしましょう。このまま彼らの後ろに付いて歩けば、耳には雑音が入る続けることになります。さて、どうすれば良いでしょうか?
答えは、「彼らを抜く」のです。
音源を追い越し、遥か前に進んでこそ、雑音に悩まさせることが無くなるのです。
そしてグラウスマウンテンは地元の人気の観光地であることから、楽しくワイワイ言いながら登っている登山客の数は知れず。進んでも進んでも音源に出くわします。それゆえ、ノイズキャンセリングの境地を常に追い求める形で足が勝手に速く進むようになってきます。ここに、グラウスマウンテンを早足で駆け抜ける意義があると言えます。
私はここに世の中の縮図を見たような気がしてなりません。団体で歩けば楽しかろう、しかし歩みは遅かろう。「疲れた」「嫌だ」「ありえん」など愚痴を言い合い、なんだかネガティブな励みを薬とし傷口を塗り合い歩みを進めていくのです。これが世の仕事のほとんどであるような気がします。仕事が終わったら上司の悪口を言い合う飲み会などはその典型例です。
一方で、独りで闘うと決めた者は他人の歩みに惑わされること無く、自らのリズムを自らで定義し、一度決めたからにはそれを緩めること無く進んでいきます。意思の硬さは、速度として表れるのか、いわゆるデキル人は仕事が速いのはそのためでしょうか。また、この手の人種は他人の雑音ではなく、自らの心の声に従い、前へと進んでいきます。
独りで闘うには心の強さが無くては務まりません。だからタイムアタックがあるのです。一人で闘うには、従うべき自分の心の声がよく聞こえなくてはなりません。だから、グラウスマウンテンなのです。
その結果として、グラウスマウンテンでタイムアタックをする精神修行中毒者が出てきたのだと私は思うのです。
「健全な精神は健全な肉体に宿る」とは古来から言われ続けていますが、強靭な精神を求めるなら肉体もその願望に比例して強くしていかねばなりません。この両要素を数値化したものがグラウスマウンテンのタイムアタックの魅力であるとも言えるでしょう。
まとめ
海外に来てたくさんの刺激を受ける。それは自分の成長に繋がります。でも、時々、「あれ、自分は何をしたかったんだろう」と心の根本に対して迷いが発生したり「自分が進みたい道はこれで良いのか?」と心のベクトルに対して迷いが発生することもあることでしょう。
そんなときにはグラウス登山をオススメしたいです。自分の心とちゃんと向き合えるようになります。バイトのない日、部屋の中でじっくり考えても良い答えは浮かんできません。部屋はごちゃごちゃで視覚が麻痺し、ネットやベットが近くにあるので雑念だらけ。こんな部屋では自分の心と向き合うのは難しいと思います。
さぁグラウスに行こう。山頂から見える景色はグラウスの贈り物ですが、モヤモヤが晴れた自分の心が遠くまで見えるのもグラウスの賜物なのです。
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