佐藤秀峰先生の海猿問題から考える権利問題
はじめてこのnoteを読む人もいると思うので、軽い自己紹介をします。
はじめまして、私の名前は雪蘭(せつらん)と言います。
普段はnoteには不定期で音楽コラムを書いているのですが、セクシー田中さんの原作者の芦原妃名子先生が亡くなりになり、その関連から先日から海猿の原作者である漫画家の佐藤秀峰先生のこのnoteがXで話題になり、その内容を読んで、私は背筋が震えました。
まずはこれが、その佐藤秀峰先生のnoteです。
私はこれを読んだ瞬間、もう昔の事なのに佐藤先生と同じような事があり、怒りと悔しさで絶句しそうになった。
私は昔、仲のよかったAさんという二次創作仲間がいて、よくその人と合作をしていました。
Aさんは私より年上で、私はまだ10代後半と若くAさんは年上だったので、私に色々と小説の事でアドバイスをしてくれました。
でも、次第にAさんに対して今思えば違和感を感じる事ばかりだったのです。
それはAさんと知り合って、一緒に二次創作をするようになってから一年目くらいの事。
当時はEメールでやりとりしていたので、私はいつものようにAさんに自分の書いた小説を見てもらおうとEメールで小説を送りました。
すると、Aさんからこんな返信が返ってきました。
「雪蘭ちゃんねえ、すごくいい感じなんだけど個人的に気になった箇所がちらほらあったから自分が手直ししていいかな?おせっかいならごめんね」
Aさんの文章には、押しつけがましい雰囲気もないと思い、私は「Aさんとは仲がいいし、まあいいか」という軽い気持ちで「いいですよ」と返事をしてしまった。
最初は一度の事かと思っていた。
しかしAさんは一度どころか、私がなにか送るたびに「手直し」をするようになりました。
Aさんと交わしたEメールは、壊れたPCの中に入っているので今はもう見れないのですが、Aさんの遠慮のなさと無礼さは次第に私に対して浸食していきました。
Aさんも私もは自分のホームページを立ち上げ、お互い盛んに色々な人と交流したりして盛り上がっていました。(そのホームページは今でもあります)
その無礼が極端に現われはじめたのは、Aさんとはじめて会った同年の2011年の事。
Aさんと私は共通で好きなバンドがあり、当時遠征なんてとても無理だし、いけそうにないと思っていた私のためにチケットを買ってくれて、一緒に行きました。
私はその時はとても楽しいと思っていたし、時には高いCDのBOXSETを海外から買ってくださったりして、わざわざ悪いのに…と完全に信用しきっていました。
Aさんはリアルに対面しても、人当たりがよくとても無礼な人には見えませんでした。
おそらく、私が人を見抜く能力がその頃は備わっていなかったんだと思います。
家庭の事情で引っ越しをしたりなくてはならず、家庭内が慌ただしい時もAさんは私に気遣ってくれたし、私もAさんが入院すると見舞いの手紙を出したりしました。
しかし確実にAさんに対する一種の「違和感」を感じるようになったのは家が慌ただしかった時期。
携帯電話が故障して電子的な連絡がAさんととれない時期が一時期ありました。
新しいメールアドレスをAさんに教え、返ってきたその第一通目のメールの内容に私は驚愕して携帯を落としそうになりました。
そこはこう書かれていたのです。
「雪蘭ちゃんに送ってもらった頂き物だけど、一時的に連絡がとれなかったから申し訳なかったけど、頂き物の小説に手直しして掲載したよ、ごめんね」
「は?」という言葉が口からはじめて出ました。
頂き物というのはホームページ全盛期の人なら知っていると思いますが、知らない人のためにも説明をします。
そのホームページの作品や管理人が好きで贈るいわばギフトのような文化の事。
確かに頂き物は贈った時点でそのホームページの管理人のものですが、私はインターネット文化は小学生の時から慣れ親しんでいますが、頂き物を勝手に書き直す人なんて見たことが一度もなかったのです。
あるとしても、送ってくれた人に対してファンアートを描くか、相手の小説から許可をもらってオマージュを贈り返す程度なんです。
しかしAさんは明らかに逸脱していた。
いくら一時的に連絡が取れなかったからと言って、贈りものの小説にまで手直しをする非常識すぎる人間がこの世に存在するだろうか。
優しい人は謝られたら、許すしかできないという言葉があり、まさしく私はそれに該当していた。
お人好しとも世間では言うだろう。
Aさんに対して震える手で私はただ、「こちらこそ連絡が取れなかったものですから、大丈夫です。今確認しますね」
と送るしかできなかった。
Aさんはそれを境に、もはや私の許可も取らずにいきなり自身のホームページや合作したものだけを掲載するホームページに載せるようになった。
当時の私は今とは違い、ただただいつしか、Aさんの「手直し」とやらをされたものに目を通して確認し、感想を送るだけになっていた。
しかしどう考えてもおかしい。
元々その作品を書いたのは私なのに。
当然、私の元の作品を掲載しているとはいえ、「手直し」されたものに「完成形」と書かれていれば見る人の中には私の作品ではなくAさんの作品だと思う人もいると思う。
この危惧していた事態は、皮肉にも当たりはじめました。
掲示板の多くは、原案者である私のものよりもAさんが「手直し」した作品への感想が明らかに多くなっていました。
中には、「Aさんが書いたものかと思いました」という書き込みに対してAさんは悪びれる様子もなく、「私がつい狼狽心と出来心で手を入れてしましました、雪蘭ちゃんの作品なのに」と笑った顔文字付きで返信していました。
つい?狼狽心と出来心?私はこの時から精神を病み、自傷行為や自殺未遂にまで追い込まれました。
合作の作品も、50%50%でいえば、ほとんどAさんが勝手に「手直し」したものが多くなり、次第に遠回しに「あなたの作品がつまらないから手直ししていい?」と言うようになり、その「手直し」の理由で一番辛かったのは、二次創作は人がどういう気持ちを吐き出すのにも形にしていいはずです。
なのに、Aさんはある時に「あなたの作品が気に入らないから私ならこうする」とほぼ書きかえられ、さすがに「あなたは楽しい気持ちで二次創作をやっているかもしれない、私は辛い気持ちを吐き出すためにやっている」と送信した事もありました。
これに対してAさんは、「あなたの二次創作をしている理由が理解できない、どうしていつも暗いものばかりなのか」と言われた事がありました。
Aさんに対する嫌悪感はこの言葉を境にますます私の中で強まり、数少ないながらも私の書いたものを好きだと言ってくれる人達は「あなたの作品が好きです」と言ってくれる人達もいました。
それでも、Aさんが私に対して横暴な行為をした事に、変りは無い。
ある時掲示板で二次創作の理想型について語っていたので、「悲しみや苦しみ、願い、後悔、切望それらを吐き出して形にするのもまた二次創作。現実でも全てが楽しいとは限らない」
と私なりに反論する書き込みをする事もありました。
二次創作というのは、言うならば我が子も同然です。
骨肉に命を与え、育て、生みだしたもの。一つの生命です。
それを踏みにじられ、誘拐され、育ての親は私だと名乗られて、Aさんにはそんな私の気持ちなど伝わらなかったと思います。
周りの人は「雪蘭さんの言う事も一理あるし、私は雪蘭さんの作品の方が好きです」と書いてくださる方がいるまでに、周囲も次第にAさんのしている事がおかしいと気づきはじめたのです。
それでもAさんはなお、人の畑でとれた作物を横取りして自分のものにする行為を止めようとはしませんでした。
二次創作はもともと、「もともと人の畑で作ったものを勝手に借りている」と言われていますが、なら二次創作も同じです。
二次創作にも創作者の権利があります。
だからあの佐藤秀峰先生のnoteに綴られた創作者の悔しや後悔が分かるんです。
描クえもんでも描写されていた「海猿」に関して佐藤秀峰先生が原作者なのに、小森氏が「自分が原案者だ」とテレビに出ているのを見て悔しさで言葉が出ない佐藤秀峰先生のあのコマは経験した事がない人にかあの悔しさと後悔は分からないと思います。
たかが二次創作だと人によっては思う人もいるかもしれません。
でも、創作者はそのぐらいに「創作」というものに生命を吹き込んでいるんです。
Aさん、あなたは自分で生みだしたものだけでは飽き足らず「お節介」という言葉を免罪符にして人の物を横取りして「手直し」とやらをして人に褒められるのは気持ち良かったですか?
私の心まで傷つけて、謝ったら許されると思って、それでチャラになると思っていましたか?
今の私ならあなたに「なぜあなたが勝手に手直しをする権利があるんですか?」と言えるし、過去に戻れるなら自分を殴ってやりたいし、人の畑からとれた作物を自分のものにするあなたに対して爆弾を投げ込む事ができる。
どれだけ、あなたに後悔と悔しさを味あわされたかわかりますか?
あなたは魂の殺人を犯したんです。
一人の創作者の創作に対する情熱や心を殺したんです。
私はあなたにされた数々の仕打ちであなたとの縁を切ったあと、「おせん」のきくち正太先生のように「創作なんかしなれば良かった」という気持ちにまでなり、好きだったバンドですら数年間は聴くことができなくなった。
私のような思いを、一次創作・二次創作に関わっている人関係なくしてほしくないと思いながらこのnoteを綴っています。
くり返しますが、二次創作にも金銭の発生は関係なく、創作者の権利があります。
こちらが「ちょっとここの箇所を手直ししてくれないか」と頼んでもいない限り、無断でやる人間は善人とは限りません。
二度とこんな悲劇が繰り返されないようにと願っています。
最後に、芦原妃名子先生のご冥福をお祈りいたします。