同級生が死んだ話
人の死をネタにするのも如何なものかと思うが、どうか許してほしい。
いつかどこかの授業で古文の先生が「ちゃんとした人間は他人のことを死ぬとか言わないでしょ?亡くなるとか他界するとかっていうじゃん?」
と言ってた記憶があるが、どうやらその話が正しいとすると私はちゃんとした人間じゃないらしいし、これから数年はなれそうにもない。
これは私がまだ高1だった頃の話なのだが、昼休み、中学が一緒だった友達に
「松井がバイク事故で亡くなったらしいよ」
と言われた。松井は中学の同級生だった。
16歳の私にとって人の死は決して身近なものじゃなかった。そうか、死んだのか。
そいつは16歳の無免許でバイクを乗り回すようなヤンキーだ。
無免許運転でバイク事故。なんとも自業自得。でも話を聞くとどうやら相手の方が悪かったらしい。真偽は定かではないが可哀想だなと思った。
なんといっても彼は小5のときに学年で初めて腰パンを実行したパイオニアなのだ。
友達に「お前腰パンしてるやんけ!」
と言われると「は?してないわボケ」
とキレていた。いや、絶対にしてるぞ。
ちなみにそれから学年で腰パンがやや流行った。彼は流行の最先端だったのだ。
そんなエピソードしか思い出せないが、確かに私達と松井は同じ学び舎で同じ空気を吸った仲なのだ。
それなのに"亡くなった"っていうのは違和感がないか?
丁寧な言葉を使うことで彼をどこか遠くに押しやってる気がする。
松井に対して亡くなったという言葉を使う友達に対して怒りが湧いてきて、やたらと"死ぬ"という言葉を乱用しまくってやった。友達も負けじと"亡くなる"という言葉を乱用してきた。一進一退の攻防戦。
勝負も終盤に差し掛かったところで強制終了のチャイムの合図。友達は自分の席へ帰っていった。引き分けといったところか。
次の授業は一切集中できなかった。死んだ。死んだ。松井が死んだ。別に仲の良い友達で無かった。というかそもそも友達じゃない。多分この後50年生きててても会うことなんて無かったんじゃないか。
それでもやっぱり人が死んだというのは気分の良いものじゃない。
中学では野球部に入ってた気がするが、最後まで部活に参加していたのだろうか。覚えていない。というかそもそも学校来てたっけ。
そんなことを色々考えた。