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    浪人時代の記録です

最近の記事

同級生が死んだ話

人の死をネタにするのも如何なものかと思うが、どうか許してほしい。 いつかどこかの授業で古文の先生が「ちゃんとした人間は他人のことを死ぬとか言わないでしょ?亡くなるとか他界するとかっていうじゃん?」 と言ってた記憶があるが、どうやらその話が正しいとすると私はちゃんとした人間じゃないらしいし、これから数年はなれそうにもない。 これは私がまだ高1だった頃の話なのだが、昼休み、中学が一緒だった友達に 「松井がバイク事故で亡くなったらしいよ」 と言われた。松井は中学の同級生だ

    • 浪人生雑記〜直前期、試験中に叫ぶクラスメイト〜

      2019.2 作成 ずいぶんこのnoteも放置してしまっていた。当時よりもいい文が書ける気はさらさらしないが、せっかくなので最後まで書こうと思う。 センタープレテスト。最後のセンター模試。ここは間違いなく負けられない戦い。しかし試験中なのに叫び声がきこえた。さらにその後10分に1回の間隔で、鉛筆を床に投げつけている人がいた。その人の前には常に1人試験監督が待機し、鉛筆拾い係になっていた。詳しくは聞かなかったが、友人の近くの席にも別のイカれた奴がいたらしい。 そして日に日

      • 浪人生雑記〜頑張れって言ったら駄目という風潮〜

        2019.1 作成 薄々気づいていたか、どうやら自分はかなりのポンコツメンタルを持ち合わせてるようだ。アル中ヤニカスパチンカスという闇のトリプルコンボを兼ね備えた父親とヒステリック気味な母親の間に生まれて、3親等の内に心療内科通いが4人いるサラブレッドであるところの自分。とても嫌な話だが、鬱体質は遺伝するらしい。 そんなことはどうでもよくて、最近の「頑張れって言っちゃういけない風潮」か大嫌いだという話をしたい。この風潮のせいで頑張れ!って言ってくれる人が俄然少なくなったか

        • 浪人生雑記〜センター試験は日本が金と時間とプライドをかけて作っているので悪問など存在しない〜

          2019.12 作成 そんな訳ないわ。 もう煎じられすぎて味がしないような話題だけど語らせてほしい。 2014年のセンター国語って23万人受けて満点が0人なんですよ。 マーク式問題のしかも国語で満点がいないってどう考えてもおかしい。国語って日本語ですよね。 センター試験って調査票とかいう類の面倒な書類がいらないから予備校講師もけっこう受けるんですよ。 それなのに満点がゼロ。地獄かここは。 しかも文章のセレクトが意味不明。 受験で頭がおかしくなったのかと思われた

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        • 浪人生雑記
          8本

        記事

          どちらともなく連絡を取らなくなり…というフレーズを許すな

          タイトルが全てでそれ以外の何物でもないが、よく見かける便利フレーズに「どちらともなく連絡を取らなくなり…」というものがある。 記憶が曖昧なだけで、確実に連絡を断った側の人間と断たれた側の人間がいる。 断った側には当時確かに連絡を断つ意思があるのに、年月を経て思い返した時に「どちらともなく」なんてフレーズで美化するなんてあまりにも非人道的ではないか。 と恋愛弱者の自分は思うのである。

          どちらともなく連絡を取らなくなり…というフレーズを許すな

          駿台で1年浪人した話

          今はもう消してしまったが、昔noteでつらつらと浪人生雑記というのを書いていた。 大学4年の今、特にすることがないので全く進まない就活の代わりに書き連ねようと思う。 浪人のことを聞かれると「人生の夏休みだったよ」といつも返している。最初は強がっていたのかもしれないが、今となっては本当に夏休みだったような気もする。 しかし浪人生の夏、友達と「浪人生、耐えきれなくて1%位自殺してそう」と話し合ったのを覚えている。よってメンタル強度下位1%の自覚がある人に浪人は勧めない。

          駿台で1年浪人した話

          旧友

          遅刻しそうになりながら駅に向かっていた。 そんなときV字路の反対から懐かしい顔がやってきて目の前を過ぎていった。目的地は同じく駅だろう。 世の中には2種類の人間がいる。気まずい人と同じ道で同じ方向に歩くときにスピードを上げる人と下げる人だ。私の経験上彼女は絶対前者だ。 こういう時私はスピードを緩めるのが信条なので、いつも通りの日常であれば何ら問題なかった。 しかし今日は時間がない。先日も遅刻したばかりでこれ以上遅刻を重ねるといよいよ私の信用に傷がつく。不可抗力だ。スピー

          浪人生雑記〜大学別模試編〜

          日に日に寒くなってきて心がキュンとしてしまう。 寒い日のあの不合格の嫌な記憶とか、そういう類が脳をかすめるのだ。 夏が終わったのを信じられない浪人生は半袖シャツを着るのをやめられない。 大学別模試が近づく。ツイッターのタイムラインが学祭関連で埋まりミスキャンのRTで華やぐ。インスタはとっくの昔にアンインストールした。 JKがブレザーを羽織る。秋が来てしまった。 大学別模試っていうのは昨年度の入試問題の傾向に沿って出題される。 なんだかんだ避けて来た、現役のときに受

          浪人生雑記〜大学別模試編〜

          浪人生雑記〜夏休み編〜

          平成最後の夏(笑) インスタが夏色に輝く中、夏期講習がはじまった。 個人で好きな先生の好きな授業を選んで受けられるのは良いのだが、友達とタイミングが合わずごはんを一人で食べることが増えて寂しかった。 夏は受験の天王山、夏で合否が決まる!なんていう風潮があるが、夏はとりあえず不合格者が決まるらしい。第一次足切りといったところか。本当に勘弁してほしい。 さらに最悪なことに夏風邪を拗らせたのだ。 「このドリンク1本1000円ってちょこっと高いけどね、これ飲むと本当にすぐ治

          浪人生雑記〜夏休み編〜

          浪人生雑記〜駿台入学編〜

          晴れて駿台生となった。(詳しくは前回のノート参照) 駿台には高校生活は勉強に全振りしましたって顔の眼鏡から今までの人生負けなしでしたって顔の美男美女まで様々な人がいた。ここにいる人皆んな大学受験に失敗したんだと思うと面白かった。 授業はたしか4月の中盤から開始で、それまでの期間はほぼ参考書を開かず遊んだ。調子に乗ってパーマをかけると父親に「浪人生としての自覚が足りない」と言われて怒られた。 正直もう1年勉強出来る気がしてなかったのだが、悲しいことに悪い予感だけは当たるも

          浪人生雑記〜駿台入学編〜

          浪人生雑記〜浪人確定編〜

          2018.3.9の朝。いや昼。 「あー寝過ごした。12時半か。合格発表でてるじゃん。」 わざとらしく大きめの声で呟いた。心臓が鼓動する音が聞こえる。合格発表は地上300Mハルカス展望台で見ようなんて思っていたが、出かけるのが面倒で結局布団の中にうつ伏せになって拝見することにした。人間がとりうる最悪の体勢だ。サーバーが繋がった。自然と息を止めた。 ・ ・ ・ 自分の番号はなかった。代わりに一つ前の座席で試験を受けた茶髪イケメンが受かってた。 サンキューの日にめでたく浪

          浪人生雑記〜浪人確定編〜

          部室から見た夕焼け

          中学生の頃、私はよく感傷に浸っていた。 特に意味もなく窓から外の風景を見ていた。 そんな私も部活動に参加していたのだが、とにかくサボるのが好きだった。 よくトイレにいくふりをして部活の準備室に入って時が過ぎるのを待った。 この準備室が最高だった。中学校の中でダントツのお気に入りスポット。 季節にもよるが、16時半くらいに夕焼けの光が窓から射し込むのだ。 その光を見て「ああ…生きてる…ありがとう地球…」なんて思った。 今思えば、中学時代精神的に健康だったのはこの光の

          部室から見た夕焼け

          問.友達の定義

          いつの日からか、人に誰かのことを説明するときに"友達"じゃなくて"知り合い"で片付けることが多くなった。 キッカケは思い当たる。小学5年生の夏の日の話だ。 当時仲が良かった友達数人とさらにその友達の友達の山本(仮名)など数人を交えて毎週水曜日に遊ぶようになった。 多分六人くらいでゲーセンに行ってUFOキャッチャーをしたりプリクラを撮ってマブダチって書いたりした。 そしてそんな日常がしばらく続いたある日、あんまり親交の無いクラスメイトに「山本と友達なん?」と聞かれた。

          問.友達の定義

          コップにギリギリまで水を注ぐ遊び

          コップに水を注いでも中々溢れない。水と空気の境界線が滑らかに丸くなる。この現象を表面張力という。 子供の頃の私にとって表面張力は不思議なものだった。絶対に溢れるはずなのに溢れない。でもその理由を深く考えることは無く、地球の法則を覆す魔法のようなものだと捉えていた。よく水をコップいっぱいにいれて「表面張力〜」と言いながらキャッキャしていた。私は当時魔法が使えたのだ。 でもいつの日からかそんなこともしなくなった。コップ満タンの水を飲むのがしんどいのだ。 そしてそのまま月日が

          コップにギリギリまで水を注ぐ遊び

          プリンをプッチンしたかったんだ

          世の中には2種類の人間がいる、幼少期にプリンをプッチンするのを許された人間と許されなかった人間だ。 私は後者だった。 つまり許されなかったのだ。 当時の私は、プリンをプッチンすることに対して猛烈な憧れを抱いていた。 しかし母親は「洗い物が増えるからやめて」の一点張りだった。 結局私は最後まで母親という高い障害を超えてプリンをプッチンすることができなかった。正直今でも母親に若干の恨みを抱いている。 今さらだけど、あのときプリンをプッチンすることで得られたであろう喜びと

          プリンをプッチンしたかったんだ