ことばに表出する価値観
ことばには、そのことばを用いる人の「背景」や「大事にしている価値観」などが表出します。
たとえば、クリスチャンには「クリスチャンらしい」ことば遣いがあります。
クリスチャンが用いることば(もしくは、クリスチャンによってしか用いられないことば)は、多くの無宗教者にとっては奇異に聞こえるかもしれません。
分かりやすい例でいえば「(神の)導き」などです。
「救い主」や、もしかすると「イエス・キリスト」ということばでさえ、クリスチャン以外が用いることは少ないのかもしれません。
これらの「ことば」には、その人が大事にしている価値観、クリスチャンとしての信仰が表出しています。
興味深いことに、同じクリスチャンであっても、教派によってことば遣いに色が出ることがあります。
少しだけ脇道に逸れますが、最近 Anabaptist Essentials (Palmer, Becker 2017) という本を読んでいます。
アナバプテスト、すなわち再洗礼派クリスチャンの著者による本で、タイトル(『再洗礼派の真髄』)の通り、再洗礼派の特徴が紹介されています。
再洗礼派クリスチャンが重んじてきた価値観を、以下の3つの命題に沿って解説してくれています。
1 私たちの信仰の中心は「イエス(Jesus)」である
2 私たちの生き方の中心は「共同体(community)」である
3 私たちの働きの中心は「和解(reconciliation)」である
再洗礼派の特徴を、他の教派と比較しながら紹介してくれているため、とても理解しやすい本でした。
この本の他にも、最近は、再洗礼派に関する本を読むことが多くなりました。
(いま出席している教会、また聴講で参加している神学校が再洗礼派の背景を持っているというのが大きな理由です)
さて、再洗礼派クリスチャンによる本を複数同時に読んでいると、いくつかのことばが共通して多用されているのに気がつきました。
その一つが allegiance(忠誠)ということば。
このことばは、再洗礼派クリスチャンが大事にしている価値観を示しているように思います。
より具体的に言えば、このことばは、再洗礼派クリスチャンにとって「信仰」とはどのようなものであるか、という信仰観を特徴的に示しているということです。
「神の信仰(faith in God)」という、それ自体すでにキリスト教的なことばを、再洗礼派クリスチャンは「神への忠誠(allegiance to God)」と言い換えている。
このような言い換えによって、彼らは「信仰」というものを独自に“捉え直して”いる。そのように言うことさえできるかもしれません。
では、彼らが捉え直した「信仰=忠誠」とはどのようなものであるか。
同じく再洗礼派クリスチャンによる『シャローム 神のプロジェクト』(ベルンハルト・オット著)から一部引用します。
信仰とは、何かが真実であると信じるだけではないのです。あるいは神学的な事柄を感情によって評価することでもありません。単に「神を信じる」だけのことや、まして神の存在を何となく考えることでもありません。「信仰」とは神とともに旅路を行くことです。信仰とは、人生において神の考えに自らが関わることであり、神が示す生き方に従うことです。......
『シャローム 神のプロジェクト』49頁(強調は筆者)
この著者は、他のキリスト教的な信仰観(何かが真実であると信じることや、神の存在を何となく考えることなど)からはっきりと区別をして、自らの信仰観を宣言しています。
すなわち「信仰」とは、神とともに旅路を行くことであり、人生において神の考えに自らが関わることであり、神が示す生き方に従うことである、と。
ことばには、それを用いる人が「大事にしている価値観」が表出するという話でした。
今回は特に、再洗礼派クリスチャンの著作に見られる「忠誠(allegiance)」ということばに注目して話を進めてきました。
このことばには、神に忠実であることを求め続けてきた彼らの信仰観が如実に表されている。そのように言うことができそうです。
参考文献
Becker, Palmer (2017) Anabaptist Essentials: The Signs of a Unique Christian Faith. Herald Press.
ベルンハルト・オット[著]杉貴生[監]南野浩則[訳](2017)『シャローム 神のプロジェクト』いのちのことば社 ※原書はドイツ語(1996年)、翻訳は英語版(2004年)より
20201211 おおのゆうや