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エビフライで晴れた僕の疑問
先日、弊社社長の前田さんがnoteに書かれていた「エビフライの尻尾理論」についての記事を読んで、僕が長年抱いていた格闘技への疑問が綺麗に晴れたので今日はそれについて書きます。
そもそも「エビフライの尻尾理論」とは🍤
これは広告業界の巨匠である仲畑貴志さんの理論で以下の内容
エビフライの尻尾は、食べない人がほとんど。でも食べないからと言って、最初から尻尾が取られたエビフライが出てきたら?どんなにおいしかったとしても、それはもうエビフライとしてのビジュアルアイデンティティを持たないものになっていますよね。
さらに前田さんの要約を拝借すると
エビフライの機能は身の部分でできており、ビジュアルアイデンティティは食べられない尻尾でできている。
というのが「エビフライの尻尾理論」の簡単な概要です。
エビフライが教えてくれた🍤
仲畑さんと前田さんの記事を読んで僕の解決した疑問は
「僕がキックボクシングを見れない理由」です。
え、そんなしょうもない疑問?
そう思われる方もいるかもしれません。
ただ、僕としては長い間、自分自身で答えが出せていなかった自分の格闘技に対する疑念をエビフライが答えるという、この本来交わることのなさそうな異種カテゴリー間での理論の横断による解決が面白く、そしてあまりにもスッキリしすぎて共有したくなってしまったのでご容赦ください笑
格闘家なのにキックボクシング観戦が苦手
幼少期にキックボクシングの世界的主要団体であるK-1に熱中し、格闘技にのめり込んでいった僕は、もともとキックの試合を見ることが大好きで、中学生のころはYouTubeでバダハリやボブサップのハイライトを見て友達とK-1ごっこをして再現をするくらい好きでした。
しかし、4年前にMMA(総合格闘技)を始めて以来、気づけばキックの試合を見る頻度が段々と減り、ある時キックの会場観戦にいったときにキックの試合が好きじゃなくなっている、さらに言えば見ていて退屈感を感じてしまうようになっている自分に気がつきました。
僕は決して打撃が嫌いなわけではありません。打撃練習も好きですし、MMAの試合展開の中でも組技一切無視での激しい打撃戦が見ていて一番面白いですし、大好きです。
打撃が嫌いになったわけではない。となると一層、元々は好きで好きで仕方なかったキックボクシングに対してなぜ退屈感を感じてしまうのか。自分でも理由が一切わからず、長い間心の中でモヤモヤしていました。
ところがこの「エビフライの尻尾理論」を一読したときに一瞬で納得をしました。
僕がキックを見れない理由
結論、僕にとってキックボクシングには尻尾がなかったのです。
元々は「尻尾のないエビフライ」しか知らなかったので、そういうものとして美味しく頂けていました。しかし、MMAという「尻尾付きのエビフライ」を知ったことで、尻尾のないキックボクシングに強烈な違和感を覚えるようになってしまったのです。
では果たしてここでいう身と尻尾とは何か?
それは
「打撃」🟰身
「組技がルールで許可されている状態」🟰尻尾 です
つまり、MMA観戦では実際に組技が使われるかどうかは関係なく、「使える状態であること」そのものが、僕にとってMMAの魅力を最大限に引き立てさせ、かつキックボクシングに対する気持ちを離れさせており、僕の概念的なアイデンティティ(≒ビジュアルアイデンティティ)になっていました。
おわりに
コピーライティングに関してのエビフライの尻尾理論の活かし方の記事と、その理論を活かしての会社の中長期的成長の話に落とし込むnoteを読んだ感想とは思えない、超個人的なトピックへの稚拙な繋ぎとはなりましたが、ここ数年のつっかかりがきれいに取れてスッキリしたので個人的には書ききれてよかったです。