「おりん」(@La Neige)のこと
昨年のこちら
そして、こちら
に続いて、今年も同様のイベントを11月に行いました。
今回、新たにこちらでご紹介している二方屋さんのおりんについてその製法などが詳しく解る動画が出て来る記事、
そして、2013年に自転車用のベルを開発され、参加されたイベントの素敵な動画も発掘。
今年の馬場精子さんの「おりんと朗読する時間」はおりん職人の西村依玲奈さんと共にさらに進化、深化し。このような感じに終了しました。
会期中、このような形で時々ご主人が来られて普段は出して鳴らされることのない鋳造で作るものとしては一番大きなおりんを鳴らしてくださることがあります。
りんよ工房で伝統製法で作られた二方屋さんのおりんは、展示の時でもお客様があちこちで違うおりんを鳴らされていても不協和音になって気持ち悪くならないのが不思議なのですが、これらの大きなおりんを鳴らされると、一つのおりんから様々な倍音を含む、幅広い音が立ち上っていき、その長い余韻がある間にどれか一つが鳴らされると、同じように幅広い違う音が立ち上り、一瞬「違う音」と、思うのだけど、どこかに接点を見つけて一つになって立ち上がっていく。
更にもう一つ、更にもう一つ…と鳴らしていくと、音のうねりがこの空中にまるで龍のように上っていきました。
でも、面白いことに、それは意図せず、ただ、鳴らしていた時に起こったことで、その時動画が撮れていなかったから、とか、その時おられなかった方々の前で、意図して「再現しよう」と思っても、決してそのようにはなりませんでした。
そこにいる人達がお茶を飲みながら会話している間、時に小さく、時に強く、ある時は話が中心で、ある時は音が中心で…という一期一会の機会が面白く。
「黙って聴かなければならない」から静かにしているのではなく、自然と静かにしていることもあれば、思わず声を出したり、何かの音を出したり、それが面白くて話が弾んだり、そんな全てがおりんの響きと響きが決して他を排除しないのと同じく、「あんた黙っとき!」みたいなことはなく、全てを包含する、他と我を区別しない、そんな時空。
それが心地よく、それは元々ラ・ネージュで心掛けてきた、そう在りたいと願って来たことでもあり。このおりんという助っ人と一緒だと、それがそこにいる誰もに分かりやすいように思えたので、これからこれら、「おりん」と共にある同時代の茶会を定期的に持とうと思っています。
今回の展覧会のある日、能管奏者の方が来られました。
倍音の話になり、ちょうどお笛も携えておられたので、おりんの鳴る空間で吹いてみられたら、とてもよく合ったようです。
ある時オーケストラのティンパニ奏者の方がおりんを買って行かれ、打楽器の一つとしてオーケストラの楽器と合わそうとしてもどうしても合わなかったそうです。
でも、日本の笛とは合った。
同じく倍音・・1/fゆらぎを持つ他の和楽器ともきっと合うはず。
明治以降、学校で西洋音楽だけを教育されて来て、その他の科目でも、「これもある」でらやく「これしかない」を叩き込まれて来た私達。
敵味方に分かれてやり込めることを目指すディベートではなく、互いの落とし所を見つけたい。
争うのではなく馴れ合いではない和を。
そんなよすがを。
その茶会には毎回シークレットゲストとして?我こそはと思うおりんと合わせてみたい方、マイ「おりん」を持っておられる方が来られたりしても楽しいかと。
ラ・ネージュコレクションの美術作品も展示して。
香りもフィーチャーしたりして。
全てが響き合い、その時々に引き出されるものが何の予定も目的もなくただ引き出される、そんな場所。
それを創ってまいります。