何故スピード感を大事にしたいのか〜その①〜
ハッシュタグに否定的?だった私ですが、これからnoteやインスタの新しいアカウントに順次投稿しようと思っている間ずっとnote様なんかがご丁寧に「見つけやすくする為につけましょう」という意味ではなく、これが魁となり、「movementになったらいいな」という意味で、頭の中でグルグルハッシュタグに付けるもの、を考えていました。
今、投稿する時にそれをアップしましたが、見事に今まで誰もつけてなかった模様でとても満足しています(笑)。
後々の投稿で判っていただけると思いますが。
元々は「なんで(数学の)テストに制限時間あるねん!」と思うくらい、じっくり考えることも大切、と思うタイプの人間の私ですが、今回の制・製作に当たり、おそらくこれからも、自分で何かを創る時はスピードも大切にしたいと思っています。
その理由は、考えるより先に形にしていった方が…というか、これでも↑のハッシュタグのように、リリースするまでは頭の中でかなりグルグル考えているのですが、とにかくリリースしないと目に見えない、残らない。
そして、やっぱりリリースした方が、次への反省点、改善点などが判り、改良に繋がるからです。
また、実は元々編み物(棒針編み)は小学生〜大学生くらいまでちょこちょこやっていたことがあり、ひと目ひと目編んで「編み「地」」を作っていく編み物に対して、洋裁(布を作った製作)は、既に「布「地」」があるものを切って縫って作るから、洋裁をする人は編み物をする人の根気が信じられない、と、聞いたことがあり、両方する人はあんまりいないと聞いていました。
編み物派だった当時は、
何だろう…縫い物の中でも自分で絵のように縫えばいい刺繍は好きだけど、手縫いにせよ、ミシンにせよ「縫い目の細かさや真っ直ぐさが評価される」*「型紙の通りにしなければならない」**(どちらも思い込み(思い込まされ)なことに今やってみて気づいた・・というか、*に関しては、評価のされ方としてはある意味正しいけれど、何者かから評価されることを期待しなければ(自分が許せれば)大丈夫、**に関しては量産品でなければそうでなくてもいくらでも作れる。ただ、多分その方が「楽」なだけ。)から・・「ミシンがなければならない」とか、そういう思い込みがある以外に、まっすぐ切れないと怖い、とか、変に切ったら終わりそう、とか、ミシンで変に縫ったら終わり、とか、今思えばまさに、PTA本部役員になりたくない理由のように、「やってみたこともないのに渦巻く妄想」でやりたくなかった理由で取り掛かれなかったように思う。
一つ、実際にあることとすれば、編み物は、ひと目ひと目作るその性質上、電車の中ですらできる程、作業スペースがコンパクトで済むのに対し、洋裁は、特に裁断する時に広げるスペースが必要。電車の中や学校の教室ではできない。やってみると、手縫いもミシンも「縫う」為のスペースはさほど必要ないのだけれど…。
あ、デスマス調だったのを保っていない・・。
で、ちょっと脱線してしまいましたが、
元々省スペースでできる棒針編み派だった私が
この間、図らずも苦手だったかぎ針編みに挑戦して、棒針編みと比べ、意外とかぎ針編みに自由度が高いことを体験!
そして、手縫いのイロハを素晴らしい先生に教えてもらって、手縫い(運針ではないです)ができることの素晴らしさ(勿論運針ができることの素晴らしさも言うまでもないですが)を体験した後、
「元々ある生地を」(ミシンで)「縫ったら」できる「布での造形物」作りに求めるものは、自ずとスピードになる訳です。
分かりますか??
既に在る素材を、サッと「切って」、ダーーーッと「縫ったら」、あらあらできちゃった〜!
これです。
これこそが、醍醐味だと思ってスピード感を大切に、イメージを形にしています。
多分、この先にまた、「織り」の世界や「染め」の世界もあるのだと思うのですが、多分自分はこの先元々目指していた「既に在るもの」を「生かす」作業に移行していくと思うので、その沼にははまらず、その世界の中の「裂き織り」や、気に入らない色や汚れたものを「染めて何とかする」に留まるのと思います。
あ、ハッシュタグにしたいこと、忘れていたのがあったので、ちょっと足すか入れ替えるかしますね。