Interview 菜央(ダンサー)
多様なバックグラウンドを持つ講師・参加者が、深川エリアの様々な景色とともにダンス映像作品を共創する『LAND FES DIVERSITY 深川 2022』。全7日間に渡って開催される本イベントの初日に講師役として登場するのが、ダンサーの菜央さんです。夫でパーカッショニストの坪内敦さんがリーダーを務めるミュージシャン/ダンサーの混成グループ「SUNDRUM」のメンバーであり、3児の母でもあります。現在は旅する芸能家族「坪内一家」として、国内のみならずアジア各地でのパフォーマンス活動も展開している菜央さんに、障がいを持つ人たちとの関わりから生まれてきた自身のダンス観、コロナ禍以降の活動、そして今月深川で開催するワークショップについて語っていただきました。
菜央/Nao Oshima
1982年、茨城県筑西市生まれ。幼少より踊ることを愛し続け、日本女子体育大学舞踊学専攻で世界の様々なダンスを学ぶ。在学中、ダンスカンパニー「マドモアゼル・シネマ」の演出家・伊藤直子に出会い、‘03年よりメンバーとして国内外の作品に出演。パーカッショニストとダンサー、歌い手から成るハイパー太鼓集団「SUNDRUM(サンドラム)」のメンバーであり、自身の家族(坪内一家)とともに大自然のあらゆる場所で踊る「地球ダンス家族」としての活動も展開中。
福祉の仕事からダンスへ
幼少時から踊り始め、大学でもダンスを専攻していたという菜央さんが、本気でダンサーを目指すきっかけになったのは、就職先でのある出来事でした。
ダンスはずっとやってましたけど、どうしてもダンサーになりたいと思ってたわけではなくて。大学を卒業して障がい者福祉施設に就職したんです。ダンスじゃ人の役には立てないんじゃないかと思ってて……誰かの役に立てる仕事で、一番しっくりきたのが福祉だった。
でもダンスも好きだから、続けてはいたんです。マドモアゼル・シネマというカンパニーに声をかけてもらって、仕事の傍らリハーサルをしていたんですが、仕事とダンスを行き来していると、自分のやりたいことと、仕事の現場にいる障がい者の人たちが、だんだん結びついてくるというか、私の中でも、両方を結びつけたくなる気持ちが強くなってきた。
その施設ではクラブ活動があって、美術とか絵ですごく才能のある人がいて。でもダンスの部活はなかったから、お祭りの時とか、折に触れてやりたい?って持ちかけるわけです。でもその施設は基本的に、利益を上げることを目的にしてたから、そういうことには乗り気じゃない。それでだんだん疑問が湧いてきて、だったら自分で、施設の外で企画してみようと。
障がいのある人もない人も、全部ごちゃまぜになって楽しもうという企画でした。施設で働いている人たちを呼んで、そこで絵を描いてもらったり。最後はライブをやったんですけど、そのときにイベントに遊びに来てくれた知的障がいの友人が開花して、「オレはもうこのままミュージシャン続けていくぞ!」みたいになっちゃって。そのまま家にも帰らないって言い出してちょっと大変でした(笑)。
とにかくすごく盛り上がって、それこそお客さんも立ち上がってみんなで一緒に輪になって踊ってたんですよね。今ではサンドラムとかで当たり前にやってるけど、そんな風にその場の人たちが全員一緒に踊る!なんていうことは私にとって初体験だったんです。それまでは舞台で踊ってたから、そんな機会はなくて。「すごい!!私、これがやりたかったんじゃないか」って思ってしまって。その出来事の数カ月後くらいに、敦くんに会ったんです。敦くんもちょうどその頃、障がい者施設で働いていて、お互い同じような仕事で、アーティスト活動とか音楽もやっていたから意気投合して。なんか馴れ初め話になってますけど(笑)。
アフリカンダンスとの出会い
障害者施設での毎日に疑問を感じて、自分のダンスを追求したいと思い始めた菜央さん。敦さんと向かった先は、初めて訪れるアフリカでした。
仕事を辞めて一緒にアフリカに行ったら、そこはもう音楽とダンスが会話のように混ざり合ってる世界でした。それまでは(既成の)曲をかけて踊るという経験しかなかったから、もう「わー!」ってなっちゃって。そこからアフリカンダンスの世界に入り込むんです。
敦くんはそのときは既にもう2回は行ってたのかな。最初は西の方のナイジェリアとかガーナに、そのあと中部アフリカのカメルーンやガボンに行って、ピグミー、バカ族っていうんですけど、その人たちがいるジャングルにも行きました。儀式で歌ったり踊ったりするのがすごくて、山も一緒になって歌ってる感覚。そういう世界を体験して、ダンスのあり方をすごく考えました。
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