初恋にまつわる一考察 -風変わりな名字&国交省の社宅を中心に-
かばさん
みなさまは、かばさんをご存知だろうか?「知ってる知ってる。よく動物園にいるよね。SNSでは夏になると決まって、口の中で西瓜を丸ごと粉砕する動画がアップされてて、実は川ではワニを越える最強のハンター」と答えてくれる知識人がいるかもしれない。が、残念ながら違う。そのかばさんはカバさんである。
今回のかばさんは加波山である。茨城県にある山だ。あいにく、加波山についてはあまりわからない。(茨城県内ではわからないが)同じ県内にある筑波山よりかは知名度が落ちる気がするし、加波山周辺になにがあるのさ、と言われたら何も答えられない。これはひとえに筆者が浅学のためだが、読者諸賢もおおよそそうなのではないか、と信じている。しかしこの「加波山」という地名は、ずっと心の中に残り続けている。
或る「ウサギ中毒者」伝
そのひとは、最初から目を引く存在だった。という訳ではなかった。
時は2001年。ノストラダムスの地球滅亡の予言は外れ、世界は無事に2000年代に突入し、ついでに21世紀になった最初の年である2001年の秋、筆者は転校生として教室で自己紹介をしていた。名前と特技などを話し、席に着いた。そして困った。
秋、ということは2学期である。しかも時期は10月だったから、クラス内の人間関係はだいたいできあがている。しかもその小学校は2年ごとにクラス替えがあったから、あと半年もすればまた新たなグループと人間関係になる。つまり、あと半年をどう過ごすかが焦点になる。悪い人は(後から思い返しても、本当に幸運なことに)いなかったし、なんとか無難にやりすごすことができそうだった。クラスメイトも問題なかった。ただひとり、ウサギ中毒者を除いては。
その人はかわいいルックスだった。これはもう仕方ない。天から与えられたものだし、それに惹かれるひとがいるのは、ある意味では自然の摂理だ。とはいえ、全員が同じ人に惹かれる訳ではない。いくらかわいいとはいえ、全員が橋本環奈にしか惹かれなかったら、この世は殺し合いである。深キョン好きなひと、土屋太鳳が好きなひと、広瀬アリスが好きなひと、そういうひとたちがいるからこそ、世界は無事に回っている。
その意味では言えば、そのひとはかわいいにせよ、クラス内で殺し合いが起きるような絶世の美女ではなかった。そしてそれ以上に、とんでもないレベルのウサギ中毒者だった。ウサギとなると見境がなかったし、マスコットみたいなウサギの絵を描くのが好きだった。そしてその絵を描く場所も見境がなかった。自分も被害にあったひとりだ。ある日「&」の書き順がわからなくて、そのひとに尋ねた。すると快くノートに書いて書き順を教えてくれ、ついでにウサギの絵を3つ描いた。それは、目にも止まらぬ早業だった。そして、筆者のほうを見て、にっ!、と笑った。
「ありがとう、ライバル」
その人とは、5、6年のクラスで再び同じ組になった。そしてその時には、もうウサギを描くことはなかった。大人になったのだろう。さらに、大人への成長ぶりは凄まじかった。自ら学級委員長に立候補し、中学受験にむけて成績も優等なものを取り続けた。
筆者も中学受験をしたので、成績だけは負ける訳にはいかなかった。一方的にライバル視し、ほぼ全ての教科でその人とクラスのトップを争った。そして、その人が自分の心の中に占める割合が大きくなり、嫌でも意識するようになった。そしてそれが恋だと気づくまで、1年もかからなかった。
ただ、残念ながらその人からは全く意識されていなかった。クラスのかわいい人ランキングでも常に1、2位を争っていたし、そもそも学級委員長になるだけの人望もあった。そして何より、将来は教師になるんだ、という明確な将来像もあった。もちろん、当時の自分にはそんなものはなかった。だからこそ成績では負けないことが、たったひとつのレーゾンデートルだった。
5、6年の2年間で、その人について知ったことは多くない。とても変わった名字だということ、髪がロングでいい匂いがすること、まあまあ毒舌なこと、芯がしっかりしていること、国交省の社宅に住んでいること、母親が眼鏡をかけていること、その人も授業中にたまに眼鏡をかけること、祖父母の家加波山のそばにあること。そして、その人のことをもっと知りたいと思っている時点で、それが恋だということ。
6年生の冬が終わろうとしていた。その人も自分もとりあえず中学受験に成功し、志望校に受かった。その人は家から通えたが、自分が受かった学校は、とても家から通える距離にはなかった。そしてその人を含めた誰にも中学受験をしたことは言えず、ただ都合で引っ越すことになる、としか言えなかった。
卒業を控え、クラス全体の集合写真を撮った時にジャージ姿のその人と肩を組んだ時にさえ、言えなかった。それなのにその人と肩を組んだ時、心から嬉しさが沸き上がってくることを、止められなかった。
卒業まで数日となったある日、その人は教室の後ろ側でクラスメイトたちと談笑していた。クラスの輪の中心にいつもその人がいたのは、言うまでもない。そしてそばをそっと通り抜けようとしたとき、その人から呼び止められ、そして、云われた。
「今までありがとう。田中のこと、ライバルだと思ってたよ」
と言って、にっ!と笑った。それは、2年生のときにノートにウサギの絵を描いた後に見せた表情と、全く同じだった。
救われた、と思った。一緒の中学校に行ける訳ではない。連絡先もわからない。あと数日ではとても告白できないし、たぶん、もう2度と会えない。だとしても、その人からはたしかにライバルだと思われていた。気持ちが届かなかったとしても、大切なひとの心の中の一角にいることができた。そのことが、本当に嬉しかった。
ここから先はあまり語ることはない。ただの余談だ。
中学に上がってからも、しんどいことがあるたびに、卒業アルバムを開き、そのひとの写真を見て「がんばるよ」と思い続けた。そのおかげで乗り越えられたことが、いくつもある。高校に入る頃にはもう見ることはなくなった。そして今では、もうアルバムがどこにあるかわからない。
ただ、笙を始めたときに楽器の名前を、そのひとの下の名前の響きと同じ、しかし漢字を変えて「千尋」と名づけた。しばらく演奏していないから、さすがに調律が必要だろう。そしてメンテナンスが終わったら、ひさびさに吹いてみようと思う。そしてその音色を風が拾ったら、そのひとのもとに届くことを願おう。今では、教職に就く夢を叶えた千紘のもとに。