不思議な海の話
平砂浦から、ハドソン川に手が届いた話。3)
ハドソン川の水は冷たかった。
僕は18歳。
毎日何時間も海に入っていた…高校生。
生まれは海のすぐそば…遊び場はいつも海。
砂がざらつく畳の上で育った。
特に海が好きだったわけではなく、海がそばにあったから。
母親は網元の娘。
父親は漁師で
祖父は神主。
駆け落ちして、この土地に住み多くの兄弟と…僕が生まれた。
一番上の兄は12歳離れているからまるで父親のようで、
まず兄が始めたサーフィン。
そんな環境だから…兄達が始めたサーフィンを自然に僕も始めた。
サーフィンは海の素晴らしさを教えてくれた…という軽い言葉では言い表せないほど多くの事を教えてくれた。
父親は反対していたと思う…漁師だったから。
「板こ一枚下は地獄」と事あるごとに言っていた。
母親の兄弟は網元が故、何人も漁で命を取られ、
戦争でも命を取られた。
なので、
夏になると「お盆には海に入るな」と、両親からよく言われていた。
海は、与えてくれるものも大きいけれど、
失うものも大きい…という事を知っていたから。
そう…恐ろしい面と豊かな面を痛いほど知っていた。
僕の遺伝子にはそんなものも含まれていると思う。
そんなある日、いつも通り海に入っていた。
その日は不思議な感じの海で、夏の終わり頃だったと思う。
波も小さく午後特有のやさしい海だった。
時間は午後の夕方に近い時間…。
ひと段落し…波待ちをしていた。
海面の、サーフボードの上に座り周りを見渡すのは大好きだ。
透明度の高い平砂浦の海は恐怖心など皆無で、
心を開いてくれワクワクさせてくれた。
イワシの時期になると、
大型魚に追われ逃げたイワシが雨のように降ってきたり、
サーフボードいっぱいにワカメを積んで浜に向かう先輩がいたり。
浜側の景色は…まるでジャングル。
海岸の隅に一棟ホテルがあるだけの、
見事な山と防風林の風景は、豊かな自然に解放された気分になる。
空はどんよりと曇り…水は暖かく…快適だった。
…しばらくすると…
波待ちで沖を見ていると…遠く沖で海に雷が落ちている。
雷鳴も大きくなってきた。
そのうち土砂降りの雨が降ってきた。
「やばいかな‥」と思ったが、雨も上がったしもう少し波乗りを続けようと
その場に残った。
風は全くなく、
水面はねっとりとした表情になり…うねりは深く長く…。
沖に目をやると海の色と空の色が一緒になってしまって…水平線が無い。
…不思議な気分。
空を見上げ…そのまま視線を下げていき、水平線があるはずの場所を通り過ぎ、自分が乗っているサーフボードの先端まで…境が全く無い。
なんだか面白くて…何度もそんなふうに確認していた。
海は空を映しこんでいることが多いのでこのようになったのだろうか。
水は暖かく…水中なのか…空気中なのか…わからないほど。
全く…前後不覚…とは、こんな事を言うのだろう。
沖に向いていると、自分がどこにいるかわからない…。
空と繋がった水面にふわふわ浮いている…。
もちろん水面なんだろうけど…空も海も上も下も同じ色で、
その上皮膚と海水の境も曖昧。
現実が遠くに感じる。
「これ…このまま水中に倒れ込んだら…面白そう」と、
波待ちの体勢から後ろに倒れ込んだ…サーフボードが離れていく。
重力から解放され…沈んでいく体…全く恐怖心は無い。
全身の力を抜き海に馴染もうとした。
…体が…無い。
いや、体を感じない。
水中なので…ウエットスーツを着ていたせいか重力もあまり感じない。1)
…不思議…心…意識しかなくなっていた。
海中に体がなく意識だけがはっきりしている。
…これは海と一体化?…溶けているみたい…。
体がなくなると意識が急に広がり出す。
…遠くにクジラがいる!
イルカもいる!群がたくさん!
…触るように感じる…動いている。
感覚としては目をつぶって微風を感じる…というのが一番近いかな。
でも肌は無いので心が感じる。
あっ…わかる…居る…という感覚。
面白くなって「ニューヨークに行こう」なんて思ったら…
瞬間に腕がビュ〜ンっと伸びるではないか!
…いや、腕と思われる感覚…がスルスルスル…と海中を進む。
丸い地球を感じ…
そして腕がものすごく冷たい水に触れ…
ビクッ!として意識が戻り…海中から海面に戻った。
海面は倒れ込んだ時と同じ…だった。
サーフボードをたぐり寄せたが、なんだかこのままではまずい…と思い、
浜に向かった。
…たぶん1分程度の出来事だったが、
僕にとっては人生を変えるほどの大きな事件だった。
海の成分は…人間の体液の組成と似ている。
海水を犬の血液と交換した…マッドドクターも居たそうだ。
※犬は前にも増して元気になった…とか
話は飛躍するが、
そんな事を自身が体験したので、
(集中して)体を無くし…意識だけの状態になり…
海に手を入れたら…
意思…が海中を伝わり…テレパシーのように、同じ環境にいる人と心で通信できるのではないか?と、思ったりした。
距離は全く関係なくなる。
そんな事を大真面目に考えた事もあった。
これは、言葉を介さないコミュニケーションなので、
イルカやクジラなどの海獣とも、意思の疎通が出来るのではないか?と。
言葉ではない意思の疎通。
もしかしたらイルカやクジラたちは…このような能力もすでに使っているのではないか…とも考える。
こんな話を聞いたことがある。
イルカと一緒に泳げる…というアトラクションが水族館であり、
子供たち数人がイルカと同じ海に入ったら…ある子の所にイルカが集まってしまった。その子は先天的な障害を持っているが、見た目は全く他の子と見分けがつかない。なぜ…イルカたちにはわかったのだろう。
そしてイルカたちは何をしに、その子の元に集まったのだろうか。
ガイア理論…というのがある。
地球はひとつの大きな生命体…というもの。
人間その他の生物は、体液の中細胞が電気信号を使い体をコントロールしたり、思考したり。
人間の体液は、海と酷似している…のならば、意識と電気信号は違うが、
つながり合うことは出来るのではないか…と。
ガイアの中に入り…ガイアと同化することも出来るのではないか?
…僕が体験したように。
同化しガイアの意識になって考えると…大きな地球問題の解決策が出来るかもしれない。
僕が体験したようなポッドを海中に作り、子供たちに体験してもらったら…なんて考えたり。
体と心。
視聴覚と感覚。
海と空気。
これが現実を現実としている確たる証拠。
生きている実感。
…しかし、これが無くなると…人間はとたんに地球と宇宙と繋がれるのか?
相容れぬような「宗教」と「物理学」が同根なように…。
できるならイメージしてみてください。
自分を自分として感じるための外部刺激が全くなくなったら…どうなるか。
それは死なのか生なのか。
夢…と同じ?
強制的に眠らせ、なんでも夢が叶う理想の都市「ZENZENCITY」2)のように?
体がなくなったけれど確実に生きている…自由な「意識」はどこに向かうのだろう…。
海に意思があるとは思えないが、
海は僕に何を教えようとしたのか。
僕はファンタジーなんか好きじゃない。
生きる意味を、教えようとしたのか。
今でも答えは出てはいない。
海に溶けてしまった…男の物語でした。
※2021/11/19追記
この物語はノンフィクションです。
この物語が、海から生まれた人間の生と死…地球と海と人間の関係性について、少しでも考えるための糧として、またこれを読んだ方々の発想の糧になれば幸いです。
1)ウエットスーツには生地自体に浮力があるので体重と相殺する。
2)光瀬龍著「百億の昼と千億の夜」に登場する夢の都市。市民はポッドに寝ていて現実を知らず眠り続け、理想の夢…の中だけを生きている都市。
3)千葉県館山市にある海岸名
※友人にそんな話をしたら「お前雷に打たれて一回死んだんじゃない?遠くに落ちても電気だから…」と言われ、半分納得した。
※その頃の僕は…学校をサボり海にばかり行っていたので目が「魚の目」のようになり気持ち悪い…と言われていた。目の茶色の部分の色がすごく薄くなり…透明に近づいていたらしい。
※僕は強度の近眼で、陸上で裸眼では生きられない…ほどだが、
海に入り10分もすると視力が上がり…遠くにいる友人とも全く問題なくコミュニケーションできた…というのも不思議な出来事。遠くの波も見えるのだ。浜に上がりメガネをかけると目がクラクラした。まるで目がいい人が誰かのメガネをかけた時のように。
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