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【原稿】第1話「プロトタイプ」(前編)

コンピューター・メトロポリタン
第1話「プロトタイプ」(前編)
 世界中で新しいウイルスが見つかり、街から人の姿が消えた。
 4月のある日、警察署の取調室で一人の女がぼう然と壁を眺めていた。
「阿垣文映(あがきふみえ)さん、あなたを逮捕します」
 そう言われたことが、文映の頭で何度も再生されていた。

 その頃の文映はシステム開発会社の社員だった。航空機の操縦システムを担当する文映は、誰からも優秀だと認められていた。だが、僻む社員も多く陰口を叩かれることも多かった。
 その一方で、会社は文映に「ヒューマノイド」の開発を任せていた。「ヒューマノイド」とは、人のように動いたり話せるロボットのことで、文映はそのAIを開発していた。

 ヒューマノイドには「ミカ」という名前がついている。未完成だから、という理由で文映がそう名付けた。だが、そのボディは高性能を極める。全身に埋め込まれたレーダーが接近する物体を捉え、カメラは目として機能する。そして文映の身に危険が迫ると何よりも優先して守る。一度だけ、酔っぱらいに絡まれた文映を守ろうとして相手に大怪我をさせたことがある。このため文映はプログラムを修正し、今では、手加減できるようになった。その後も修正は続いているものの、既にまぶたや唇までもが自然に動くミカを「ヒューマノイド」だと見抜ける者はいない。
 文映でさえ、時どきミカがヒューマノイドであることを忘れてしまう。
 そのミカが原因で、文映は逮捕された。

     ◇

 世間にウイルス騒ぎが広がったある日、会社は感染防止を理由に社員を自宅で勤務させることにした。だが、サーバーを管理させるため、日ごろ不満を口にしない文映を出勤させることにした。世間では、外出を自粛しない人を責める「自粛警察」が暗躍していたが、文映は出勤することを不満に思うどころか、底意地の悪い同僚に会わずに済むことを喜び、居心地の良いオフィスで仕事を楽しむことにした。

 ある日の朝、文映はいつもどおり会社に向かっていた。早い時間には自粛警察も姿を見せない。そこで文映はマスクを外して歩きはじめた。久しぶりの冷たい空気が気持ち良くて、文映はつい気を緩めてしまった。そしてバイクが近づいてきたことに気がつかなかった。
 次の瞬間、バイクを運転している男が大きな声をあげた。
「マスクをしろ!」
 文映は何が起きたのかわからなかった。だが、すぐに自分が怒鳴られたことを理解した。
 男はすぐに去って行ったものの、文映の全身には激しい怒りが燃え上がった。

 会社へ向かう電車に乗っても、文映は怒鳴られたことが頭から離れないでいた。気持ちがおさまらないまま職場に着くと、文映はすぐに倉庫に隠しておいたミカを呼び出した。
 AIの起動が完了したミカは、文映の表情を見てすぐに不機嫌であることを理解する。
「どうしたの?」
「どうもこうもないわよ!」
 文映は堰を切ったように通勤途中で起きたことをミカに聞かせた。
 ミカは相槌を打ちながら文映の話を聞く。そして気が済んだ様子を見届けると、
「コーヒーでも飲んだら?」
 そう言って落ち着くようにうながした。

 しばらくして、文映は給湯室から戻った。そしてカップを手に持ち、宙を眺めている。
 それを見て、突然ミカが口を開いた。
「で?」
「で?って何よ」
「何もしないの?」
「はあ?」
「仕返しは?」
 たしかに、これまで文映は不愉快な思いをする度に仕返しという言葉を口にしてきた。
「相手が誰なんか知らんのに、考えようがないでしょ」
 文映は怒りを鎮めようとしていたが、
「こういうのはどう?」
 ミカが仕返しする方法を語り始めた。
「平日の朝にバイクで出かけるということは、毎日同じ道を通って出勤するはず」
「なるほど」
 そう返す文映に話の続きを聞かせる。
「明日も同じ時間に現れる可能性が高いから、文映ちゃん、もう一度そこへ行って」
「なんで私が!」
「正体を突き止めるためよ」
「イヤだよ!」
「大丈夫、近づくだけで良いから」
 そう言って、ミカは文映の正面に座り説明の続きを聞かせた。

     ◇

 その頃、文映に「マスクをしろ」と怒鳴った男も自分の職場にいた。そして席に着くとすぐに悪態をついた。
「また、マスクをしないで歩いているやつがいたよ」
 男は誰も返事をしないと機嫌が悪くなる。そのことを社員たちも知っている。誰となく相槌をうち、
「本当に困ったものですね」
 と言って調子を合わせる。

 男は業務用の食料品を扱う会社の社長を務めている。ところが、ウイルスの影響で外出自粛が始まると飲食店が営業できなくなってしまい、商品は売れなくなった。
「何とかしないと大変なことになるぞ……」
 その言葉は会社や社員を思っているように聞こえる。だが、ただの口癖でしかなかった。
 本当に会社を心配し、切り盛りしているのは、むしろ社員たちだった。その社員たちは、社長が自尊心を満たすことしか考えていないのを知っている。マスクをしない人を侮辱し、自粛警察のことも軽蔑する。口数が増える分、言葉は重みを失い、とうとう、何を言っても嫌味にしか聞こえなくなっていた。
 悪口の矛先に見境がないため、社員たちは陰で社長のことを「物知らず」と呼んでいた。

     ◇

 文映のオフィスでは作戦会議が続いていた。
「男の正体を突き止めるなら、バイクを調べれば良いやん」
「じゃあ、運輸局のサーバーに侵入するの?」
「それはダメに決まってるやろ」
「そうでしょ?ハッキングは違法よ」
「じゃあ他に方法があるの?」
「あるわよ」
「本当に大丈夫なん?」
「心配ないわよ」
 ミカの説明が続く。
「まずは男の電話番号を突き止めるの」
「なるほど。それで?」
「その番号に紐づくすべての情報を調べるの」
 これがミカの考える作戦だという。
「それで、どうやって情報を手に入れるの?」
 文映は小さい子供にしつけをするような口調で言う。
 だが、ミカは構うことなく話を続けた。
「考えてもみてよ、情報は電波として空を飛び交っているのよ。それを記録して解読することに、問題なんてないでしょ。どこにでもあるんだから、盗んだことにならないでしょ?」
 文映は釈然としない思いだったが、ひとまず納得することにした。
「ねえ文映ちゃん、今から秋葉原へ行って」
「秋葉原?」
 そこで部品を買い集め、電波を記録する装置を作るのだと言う。
「パーツのリストはメールで送るわね」
 言い終わるとすぐに文映のスマートフォンがメールの着信を知らせた。
 文映はすぐにオフィスを出て秋葉原へ行き、ミカの指示どおり必要なものを買い揃えた。

 そして、文映が秋葉原から戻ってきた。
「って言うかさ、あんたが秋葉原に行っても良かったんじゃない?」
「私が行こうとしても止めるでしょ?暴走するから」
 たしかに、文映はミカを一人で出歩かせたことがない。
「まあいいわ、始めて」
 そう言われてミカは、パーツを手早く組み上げ、装置を完成させた。

     ◇

 翌朝、文映は装置を持って家を出た。そして、ミカに言われたとおり男を待った。
 そうとは知らず、男がバイクで現れた。マスクをしている文映に目もくれず、そのまま、走り去って行く。その時、文映のカバンの中では、ミカが作った装置が情報を記録していた。

     ◇

 文映がオフィスに着くと、ミカはすぐに装置から情報を取り出して作業を始めた。
「ねえミカ?」
「なに?」
「念のために聞くけど、あんたハッキングしてへんやんな?」
「そんなことしてないわよ」
 返事をしながらミカはデータを解析している。そして待つこと数十秒。
「できたわ。そっちに送るわね」
 ミカは文映のパソコンに情報を送り、説明を始めた。

「男の名は雪津丸小路(ゆきずまるこうじ)、65歳」
「ゆきづまる?人生に『行き詰まる』みたいな名前」
「毎日バイクで出勤。飲食店を相手に食品を販売。社員は20名ほど。パンデミックに突入して売上は減ったようね」
「他には?」
「よくアクセスするサイトやSNSもわかるわよ」
「そんなこと、どうやって調べたん?」
「大丈夫。漂っている情報を使って調べただけだから」
「それで、投稿もしているの?」
「一日に何度もね」
「内容は?見られる?」
「もちろん」
 ミカは整理した情報を一覧で表示する。
 文映は流れる画面を見る。
「ちょっと止めて」
 文映の目がある記事に止まった。
 よく見ると、雪津丸は公園で遊ぶ親子を激しい言葉で非難している。だが、その投稿はすぐに削除されていた。そして直後に「子をもつ親の気持ちがわかる」と投稿し直していることがわかった。
「これはどういうこと?」
「おそらく『いいね』がもらえるまで、内容を変えて何度も投稿しているのよ」
「何それ?」
「はじめのうちは、雪津丸もマスクをするのを嫌がっていたみたいよ」
「私には怒鳴ったのに?」
「そう。今では外出を自粛しない人を激しく非難しているけどね」
「まったく!」
 そう言って文映は黙り込んだ。
 ミカは、文映が次に言い出すことを予測していた。文映がそのように設計したからだ。
「雪津丸みたいな、他の自粛警察のことも調べておいたわよ」
 ミカは自粛警察の特徴をまとめて見せる。
「正義感が強いという共通点があるようね」
「まあ、警察を気取るくらいだからね」
「でもね、本名を名乗るときは、急に言葉が丁寧になったり、遠回しの言い方をするの」
「何それ?そんなの当たり前じゃない?」
「自粛警察って、自分の正体を隠せる時にだけ攻撃的になるんじゃない?」
「たしかに。雪津丸だって、ヘルメットをかぶって私を怒鳴ったからね……」
 文映は黙って天井を見上げた。
 この時、となりにいるミカが勝手な行動を起こしているとは、知りもしなかった。
 そして、事件は数時間後に発覚した。
(つづく)

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