朝日新聞デジタルの記事を読んでくださった皆さんへ - 蘭茶みすみと肉体廃止の今までと、これから
2022年11月20日に朝日新聞デジタルに掲載された記事の取材で、私の生い立ちやメタバースでの生き方、在り方について語りました。記事は記者さんからの視点ですが、改めて私から見た私の在り方や生き方について書いていこうと思います。
発達障害と違和感、なんで生きているんだろう
私は保育園の頃から中学校までいじめられ続けてきた。肉体は「キモイ」し、動きも遅いし人と違う。身体が弱いから立ち向かうこともできない。頻繁に不登校になり、もともと話すことは好きだったものの、親以外の人とは話せなくなってしまった。
勉強面でも、小学校高学年ごろから算数が苦手に感じるようになってきた。文章題や解法の意味とやり方は理解している。しかし計算しようとすると全く頭が動かない。英語も文法は理解しているが、単語が全く入ってこない。「わかる」ものの「できる」ことが全くないという状況だ。
小学校中学年の頃に知能検査を受けた。結果は言語理解と知覚推理がそれぞれ130台、一方、処理能力が72。実際に数字として見たのは障がい者手帳を申請した大人になった時なので、それまで抱えていた不自由の理由が腑に落ちた。思い付いても動けない。処理能力の低い発達障害にとって肉体は檻なのだ。
「こうすれば死んでしまうかもしれない」を頻繁に考えて怖くなる強迫性障害も併発し、常に死への恐怖もあった。
一方、性的な違和感を感じたのは小学校中学年のときだ。女子児童のするの交換日記やかわいいペンや文字、手紙の折り方に憧れて、自分もやってみた。高い声を出すと女の子っぽくなることにも気付き、「いい声だな」っとうっとりしていた。筆箱も四つ葉のクローバーの付いたかわいいものにした。
女装とVTuber、肉体って関係ないんだ
VTuberへの興味は2016年からだ。自分で描いたイラストを自分の表情と一緒に動かす「Live2D」を知り、「これで女声を出しながら動画配信をすればインターネット上で女性として存在できるのではないだろうか」と考えた。
大学生になり、友達に勧められて女装を始めた。女性の服装をすると案外しっくりとくる。当時の夢は好きな人のお嫁さんになること。女の子として愛したり愛されたりしているうちに、肉体は生き方に関係ないという気付きを得た。
死への恐怖、違和感、肉体の不自由さ、不自由で固定化された社会構造の解決、全てがつながり、「そもそも生きていること、肉体があることが苦しみの原因だ。肉体による苦しみを限りなく取り除いていく社会を構築する必要がある」と考え、「肉体廃止思想」は生まれた。
2018年に本格的に始めた「蘭茶三角」は、ディストピア系過激派VTuberとして有名になった。私自身が「肉体を捨てたい」と思っていたことは事実だが、同時に「他者を尊重しないまま幸せな世界にするためにはどうすればいいのか」をシミュレートして作品にし、VTuberという「実質的に存在する」表現手段を使うことで、自他や尊重について考えてもらおうという考えがあった。しかし当時の私はそこまで強くなく、誹謗中傷に怯えて活動を止めてしまった。
社会へのタイムリミット
一方、発達障害によりコミュニケーションや自己管理の不得手など大変な生きづらさを抱えていた私は、刻刻と狭る就活というタイムリミットに怯えていた。就職に失敗したら過酷な未来が待っている。就職できても貧困や不自由を固定化する社会に使われて消耗して死んでしまう。このまま自分すらも救うことができず、不本意に死んでいく未来は嫌だ。
そこで突如「新聞記者」という選択肢が浮上した。もともと新聞が好きで写真も文章も社会科も大好きだったので、勝機はある。最後の抵抗だ。当事者として伝えることで、他者への尊重と理解をひろげ、生きづらさを解消し、やがて不自由な社会構造そのものを解決しよう。当初は健常者として就活し、今まで苦手だったコミュニケーションをして、なんとか地方の新聞社に記者として就職することができた。
肉体に頓挫した新聞記者時代
新人記者の仕事は警察への事件事故取材だ。警察は一番コミュニケーションが難しい相手で、最近他者とコミュニケーションをとることを覚えたばかりの私では全く記事にできるほどの情報を集められなかった。処理能力も低いため一人前に仕事をすることもできず退職勧奨も受けた。
記者時代に心に残っている仕事は社会福祉協議会関連の取材だ。初めて自分以外の障がい者に触れるようになり、似たようなバックボーンを持つ人間として通じ合う感覚があった。一方であまりにも社会から障がい者が不可視化されていることにも衝撃を受けた。
社会福祉協議会自体も、地域というスケール感で、住民同士でできる範囲で社会課題への解決を支援する組織で、今まで巨大なスケールでしか社会をとらえられなかった私は等身大の社会課題の解決という感覚を学ぶことができた。
結局取材という仕事は私には難しかったので、記事の組版を行う整理部に異動になった。会社は大変に配慮してくれたものの、最終的には体調を崩し退職した。
メタバース生活、自分を生きるって楽しい
新聞社での経験は私に大変な能力を与えた。しかし、一番の気付きは「無理は禁物」ということだ。現在はVRメタバースの世界で、ありのままの姿でのんびりと暮らしている。
2021年秋から始まったメタバースブームに乗じて友達と「クリプト・アイドル・メタバース」を結成した。もともと2018年の「蘭茶三角」でも、本当は歌って踊れるアイドルになりたかった。しかし当時の自分の技術力ではまだまだ難しく、アイドルとしての活動をする前に引退した。
ゴーグルを被れば鏡の前には私がいる。身体を見ても私だ。私自身のアバターが私であり、私という表現。もっとも自然な状態でいることができて、そのうえでいろいろな人と会うことができる。リアルタイムボイスボイスチェンジャーと全身トラッキング状態で踊りながら歌うことは確かに肉体的にはハードだ。しかし目の前の人間が、全力で私を表現している私を見て、「勇気をもらった」と言ってくれているのはとても嬉しい。私の存在が誰かの生きる希望になっているという確かな感触がある。
「在りたい自分」をテーマに作詞したオリジナル曲「カラフル☆メタバース」も作ってもらい、念願のキラキラとしたアイドルになることができた。イギリスのRAINDANCE映画祭に誘われて、英語も会話も苦手ながらパフォーマンスで場を盛り上げられたことは、もともとの在りたい存在でいられたからかもしれない。
ポストメタバース、肉体に囚われなくていい世界に向けて
メタバースブームは収束しても、「人間は肉体に囚われなくいていいんだ」というメッセージを社会に残すことができれば私は嬉しい。メタバースに限ったことではなく、あらゆるハンディを抱えている人、マイノリティの人、生きづらさを抱えている人、建前に縛られている人、経済や機会に困難を抱えている人、そして何か違和感を抱えているものの上手く言語化ができないまま重苦しい空気感の中で呼吸をしているすべての人に、「人間は自由なんだよ」「素直に生きていいんだよ」ということを伝えたい。まずは私自身、そして隣の人が自分自身に素直になって、他者も自分と同じ一人の人間として尊重出来て、そのうえで一緒に考えられる世界を。私自身から、肉体を捨てなくても生きやすい世界を創っていきたい。
みんなそれぞれやることや考え方は違っても、違ってこそ、一緒に創っていきましょう。
今までありがとう。これからもよろしく。