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この地球とお別れする時が来る日までのことを考えてみる
歳を重ねていくと死生観について考えることが増えてきます。
亡くなるということは自分が大好きな人ともう会えなくて寂しくて悲しいことだけど、
もう会えなくなるからこそ、その人と少しでも多く楽しく大切な時間を過ごしたいなと思います。
私たちの先祖は確実にどこからか生まれ、ずっとずっとそのご先祖さまから今の私たちに続いています。
そのご先祖さまたちは、どこへいるのかわからないけど、いつかこの世を去りその人たちのところへ行けるのか...
"死"という話をすると、縁起でもない!と思う人がいるかもしれないけど、私たちはあまりにも"死"についてスルーし過ぎているんじゃないかな。
亡くなった後のご先祖供養はちゃんとしても、人が亡くなるまでの生き方、
最期は病院で家族とゆっくり過ごすこともできず、病院の治療任せでそのまま最期を迎える。
本当にこれでいいんだろうか。。
昔は家で出産し最期も家でお別れ。
自然なことなので自然に受け入れてたと思います。
病院で余命を告げられたり、管だけ付けて意識もないのに何年も入院。
それが本人の希望なのかな?
それが希望ならいいけど。
元気なうちから自分の最期のことを考えて生きていくと、きっと充実した生活を送ることができるんじゃないかな。
「今」しかできないことを先送りにせず、「今」を生きる!
人の目を氣にしてやりたいこともできず、後悔ばかりする人生はイヤですものね!
今のこの世は本当のことがどのぐらいあるのかな?
私たちの生き方そのものが自分の意志ではなく誰かに作られた人生に当てはめられているような氣がしています。
人生の最期は、どんな重病を患っていても苦しまず眠るように亡くなるのだそうです。
どうも最期は苦しくて辛いイメージがあるけど。
これ、かなりTVドラマの影響がありそうですね。
人が生まれて亡くなることは自然なこと。
早かれ遅かれいつかその時が来るんだから
"死"という捉え方を変えればいいと思う。
"し"は幸せの"し"。
"死"は恐怖でもなんでもない!
"死"は怖いものだと、生きてる私たちが勝手に作り上げた概念。
TVドラマの病院での最期のシーン。
心臓が止まるピ.ピ.ピ.ピーーというモニター。
そして癌のCM。
そういうの、見せられ過ぎですね。
私が大好きな萬田先生は、お医者さんとしての長年の経験から患者さんと向き合って来られた結果、現在の在宅緩和ケアがとても大切ということがわかられたそうです。
先生は人が亡くなる時は、眠るように亡くなるんだよ。
と言われます。
どんな病氣の人も...
先生の患者さんの最期を動画で見せて頂きましたが、本当にそうなんです。
(先生は講演会をされているので、ご家族の同意の元、公開されています)
先生のお話を聞くといろんな意味で人生変わると思います!
本当はもっと自然の中で生きてたらストレスもなく人間らしい生き方ができるんでしょうね。
私の父は90歳ですが、病院に入院していた時は痩せ細り、歩くこともままならないくらい弱り、言葉もうまく喋れなくなってしまいました。
もうダメかも?
と思っていたけれど、なんとか家に帰ることができ、それからというものどんどん元氣になり今では杖もなく歩くし、ちゃんと喋れるし、何でもバクバク食べれるようになりました!
自分の家という安心感から身体の細胞たちが元氣に身体中を巡るようになったんだと思います。
本当に寿命が来た時はきっと眠るようにこの地球とお別れするんじゃないかな。
今はまだその時じゃなかったんだと思っています。
最近は父と子の関係が逆転してしまったかのように、父が愛おしく感じています。
私が実家から帰る時、
"ありがとう!"と言って手を振る父が可愛いんです。
こんなふうに思う日が来るなんてね。
・誰かに決められた人生ではなく自分が望む人生を生きる
・自分の人生は最期まで自分で決める!
・自分の人生の寿命を他の人に決めてもらわない!
私はそのような最期を迎えたいからそのように生きたいです。
先生の本をよかったら読んでみてください。