「オタクはもはや帝国側」であることはオタク自身が認めている
「オタク差別が無くなったのはポリコレのおかげ!」という言説があります。
で、当然上記のようにボコボコに反論されています。そりゃそうでしょう。別にみんなが正義の心に目覚めて「弱者を守らなければ」と思うようになったからではなく、オタクが経済を回してるんだという言葉に代表されるようにオタクであることが普通になり著名人がラブライバーであることを公言するなど誰もがアニメやゲームやVtuberを楽しむのが当たり前になったからオタク差別が無くなったんです。今やオタク代表として立候補した人が53万票を集めて国会議員になり、鳥山明の訃報には中国外務省含む各国から哀悼の意が表され、国を挙げてクールジャパンを推進し文化庁は「著作権を守ろう」というポスターに美少女イラストを採用する状況です。
それどころか超党派のMANGA議連が総理大臣に申し入れする状況です。
にも関わらず「ポリコレのおかげ」と手柄を横取りしようとするリベラルには本当に困ったものです。
ところで、オタクは虐げられてるという設定はどこに行ったんでしょう?
かつてオタク差別が存在したのは確かでしょう。雰囲気までは知りませんが宮崎勤事件の頃は「オタクは犯罪者予備軍」という偏見まであったそうですし。しかし今はもう国語辞書まで変わりました。
そしてオタクが「帝国側」になった以上、「強者」になるためにオタクになる、あるいは惰性で「オタク」を続けてる人間もいるでしょう。今の時代「オタクの振り」をすることは簡単です。「えー、わたし超オタクだよ!? ワンピース全巻持ってるし!!」と言うためには単行本を百冊以上買いそろえなければいけませんが、「オタクの振り」をするだけならTwitterのトレンド欄に上がってるアニメをクリックしてそこに出てくる感想と似たようなことを書けばいいだけです。びた一文かかりません。今の時代ならChatGPTに「SNSでバズるような<アニメのタイトル>の感想書いて」とプロンプトを打つのもいいでしょう。
これは2008年、つまり15年以上前に書かれた文章です。要するにこういうこと。
あー、いいですよね「オタク」、強いとか賢いとか何々が得意とかは、努力だったり才能だったりが必要ですけど、オタクだけは何も要らない、誰でも自称した瞬間に体制側の弱者特権を得られる、実質ただの「無」ですもんね!
P.S.
Blueskyでも同じような事が言われている。