眞葛焼復興アイデア③インタビュー
🍵今回は6月5日に行ってきた、町田市にある陶芸工房「アトリエ安諸」での安諸一朗さんのお話をご報告したいと思います。最新のリサイクル粘土事情が分かります💡
🍵ボリュームモリモリです💪💪どうぞごゆっくりお楽しみください🎶
🍵目次から読みたいトピックスに飛べます。どうぞご活用ください。
前回までのあらすじ…
タイの伝統窯業をご研究なさっているnoterさんが、私のこの眞葛焼普及活動noteにコメントをくださいました。
「横浜の陶磁器ゴミからリサイクル粘土をつくり、それを新・眞葛焼としてみてはどうか」
粘土は一度焼成すると可塑性を失うという私の常識を塗り替えるそのアイデアは、とても魅力的にみえました。さっそく私は、リサイクル粘土が現実的か調べ始めます。その結果、
専門知識と設備が必要なため、個人でのリサイクル食器量産は不可能。
愛知県と岐阜県がリサイクル粘土に力を入れている?
横浜は3Rを推進する姿勢を見せているものの、陶器リサイクルに積極的ではない。
という事が分かりました。
このことから、アイデア提供者さまからの勧めもあり、私はリサイクル粘土研究の第一人者であり、リサイクル釉薬や、やきもの修復技法の独自開発もなさっている安諸一朗さんにお話を伺いに、町田市のアトリエにお邪魔しました。
アトリエ安諸に到着
暑いからと冷たいお茶を出して下さり、お話は始まりました。
安諸さんというお方の快活で親しみやすいお人柄、理系のお方ならではの論理的現実的な、物事への極めて冷静な視点、そのハキハキと淀みない口調で次々に繰り出されるエネルギッシュなお話に少々圧倒されまた興奮しながらの、あっという間の3時間でした。
安諸一朗さんとは
テレビや新聞やラジオや雑誌などメディアに引っ張りだこ(モヤさまにも出演されたそうです!この番組好きなので……)、の町田市出身の著名人である安諸さん。
1985年、現在の工房で築窯して以来、町田市の文化発展に止まらず、日本さらには世界の陶磁器の未来を見据えているお方です。
プロフィールで特筆すべき点を挙げますと、
2004年、独自研究で、壊れたやきものからリサイクル釉薬を開発。
2010年、割れたやきものに対し粘土と釉薬を用いる修復技法を独自開発。
2015年、銀粘土で上絵付を消さないやきもの修復技法を開発。
とあります。
これらの技法は
「【番外編】横浜のみほとけを語る」のnote記事に仏像のケースを書きましたが、文化財などの修復に応用する道も十分にあると思います。陶磁器は往々に宗教的価値も兼備しているとは限らず、歴史的価値に抵触しない限り貴重な陶磁器の元の美しさを蘇らせることができる、もしそんなことができたなら……文字通り魔法のような技術です!
なぜ町田で陶芸を?
安諸さんのご出身である町田は、実は関東では珍しい、粘土山があった古代よりの窯業地なのです。町田は地盤の起伏の激しい里山です。ここの粘土山を原土とした、縄文・弥生土器は勿論、5世紀~10世紀の窯跡も出土しています。町田の他に、関東圏における窯業地は北関東の笠間焼(茨城県。東京湾に沈んでいた頃に蒒わった海成粘土)と益子焼(栃木。山で蒒わった土)くらいだそうです。埼玉でも赤いレンガを焼いていた産地がありましたが、耐火性が低く続かなかったようです。
このように、安諸さんが故郷町田で陶芸をする充分な動機が土地に備わっているわけです。
江戸時代以前は、粘土と水と木がないと窯はできないものでした。
物流の発展で、痩せた土地でも築窯できるようになりましたが、香山が当時横浜で築窯したのがいかに無謀だったかが、横浜の土地の元来の不向きさから伺えます😭😭
では気を取り直して、リサイクル粘土とリサイクル釉薬について、簡単に追っていきましょう。
そもそもセルベンって何?
私がこのところ多用している単語ですが、改めて定義をさらうと、
のようです。
安諸さんから頂いた資料によると、リサイクル粘土の原料とする粒度は7ミクロン、つまり0.007mmだそうです。
粒径0.002mm以下から「粘土」と呼ぶので、この粒度は正式には
「シルト」と呼びます。
リサイクル粘土のつくりかた
(土鍋、ガラス、素焼きは使用不可)陶磁器のゴミをポットミルで3㎜以下に砕く。
セルベン2:長石2:粘土6と、合計の重さの6割の水を加え、再びポットミルに入れ、24時間回転させる。
出来上がった泥漿をふるいにかけ、石膏版で耳たぶほどの硬さになるまで乾かし、練って完成!
とっても手間がかかりますが、ここまでは初心者でも理解できます。んん、苛性ソーダっていつ登場……?(6/13時点。安諸さんに原案提出後修正。リサイクルに苛性ソーダは使わないそうです)今度国立国会図書館に行って、論文を読まねば……
リサイクル釉薬について
素人がお気軽に作れるものではありません。
なので、レシピは記載せず概要をご紹介します。
・リサイクル粘土の収縮率が従来の陶磁土よりやや低いことから、釉薬の中に共土を混入することで素地との相性を良くした釉薬。
・開発から試行錯誤1年で、ほぼ満足のいく釉調に仕上がった。
・焼き上がった釉薬は口に入るので、食品衛生法の耐酸検査を依頼。鉛やカドミウムなどの有害物質が皆無と判明。安全を証明した。
・素地にリサイクル粘土が何割含有しているかによって、発色が違う。(グレー。含有率が多い方が白い)
この発見に至るまでの苦節約4年
安諸さんが下さった資料のA4紙2枚でアッサリと作成法が説明されていましたが、ここに至るまでのどれ程の苦労があったか、なんです……
これはおつらい……
日本各地におけるリサイクル陶器の実際の試み
ケース①愛知県。愛地球博プロジェクト
愛地球博の万博の時、愛知県の粘土会社が国の陶磁器の研究機関の監修の下、リサイクル粘土50%を含んだ食器を展示発表。これが世界的に評価されました。その評価の高さは、トヨタのプリウスエコカーと同じ賞を授賞したことからも伺えます。しかし、この展示品には致命的な欠陥がありました。既存の釉薬を使ったために、収縮率の計算が甘く、キシミングが相次いで生じてしまったのです。
・キシミングとは……土と釉薬の収縮率のズレ、引っぱり強度に対してズレが生じる現象。スチームなどをかけると割れてしまう。脆いというのとはまた違う化学的な現象である。
そんなこんなで、愛知県の「Re瀬ッ戸(りせっと)」は今休んでいるようです。
愛知県の取り組みは、世界的に見ても早すぎたと安諸さんは考えています。
ケース②岐阜県。現在のリサイクル粘土の先端の地
(簡潔にするため箇条書きでお届けします)
岐阜県セラミックス研究所
・県下の組織。美濃焼の振興の一環として、岐阜県の環境課から、安諸さんは突然協力を依頼された。1997年のこと、岐阜のセラミックス研究所の主任である長谷川善一さんから、「壊れた陶磁器から新たな陶磁器を再生できないか」という依頼だった。これが成功。日本国内でこの技術をどう使うか、あちこちから安諸さんに依頼がきた。
・リサイクル陶磁器の普及発展には、時期はもちろん大都市である必要など、然るべき条件を整える必要がある。安諸さんは、自分の工房でリサイクル粘土の体験をしてもらい、一般の人たちの反応をみることで調査、分析をしている。
・現在は、リサイクル粘土の混和を、元の20%から、50%まで引き上げる事に成功している。近年は備前(岡山県)でもこの試みを開始しているそうだ。
・この技術は世界的にも先端技術であり、この研究をニューヨークのメトロポリタン美術館も注目している。
・美濃焼では、GL21(グリーンライフ21)というプロジェクトが発足し、加盟団体は40社にも及ぶ。内訳は粘土の原土に関わる会社や、陶磁器関係、特筆して学校給食に使われる強化磁器などを取り扱う会社が挙げられる。
・壊れたやきものを持ち込む本人が費用を負担し、岐阜県が再生するという仕組みだ。
・安諸さんは自ら、大学の工学系の人間にレクチャーしている。
各地の窯業の栄衰
有田に「窯焚きは3代続かぬ」という言葉があります。
これは、窯業という分野そのものが儚いものであることを伺わせることわざです。
安諸さんは、各時代に興っては消えていった窯や失われた技術、また復興に成功した例について話してくださいました。
絶えたラスター彩を追った加藤卓男
大正初期から平成まで活躍した、岐阜県が誇る、人間国宝の陶芸家です。
ラスター彩、青釉、奈良三彩、ペルシア色絵、正倉院三彩などを再現しました。
・ラスター彩(低い温度で金属を吹き付ける技術)は、イラン・イラクで開発された虹色に光るやきもの。
・7世紀~13世紀でラスター彩は途絶えてしまった。
・中東・中国には金属を使った施釉技術があるが、天目のように次々途絶えていっている。
志野焼は400年の時を超え復興した。荒川豊藏の物語
荒川豊藏は、桃山時代以来から続く美濃焼の陶工の血筋を受け継いだ、岐阜県多治見市出身、昭和を代表する美濃焼の陶芸家、日本初の人間国宝です。
28歳の時に画家を志して上京するも断念。その後縁あって京都の宮永東山窯に工場長として勤めていました。この東山窯を訪ねてきた北大路魯山人が会員制の高級料亭星ヶ丘茶寮で使う食器を造るため、鎌倉に星ヶ丘窯を設け、その窯場主任として迎えられました。安諸さんのお話だと、魯山人のゴーストライターも担っていたそうです。
1930年、星ヶ丘窯の展覧会が名古屋で開かれたとき、その展覧会で志野筒茶碗を見る機会を得ました。それまでは志野をはじめ瀬戸黒・黄瀬戸・織部といった桃山陶は瀬戸産とされていましたが、この通説に疑問を抱いた豊蔵は、2日後、岐阜県可児市大萱の山中を歩き回り、なんと同じ筍が描かれた志野の陶片を発見し、これまでの通説を覆し陶芸界にも衝撃が走りました。これにより、卯花墻が天正年間に大萱牟田洞で作られたものと断定。
この世紀の大発見を契機に魯山人のもとを後にして、筍絵陶片を見つけた可児市久々利にある牟田洞古窯跡のある大萱に桃山時代の古窯を模した半地上式穴窯を築き、古志野の再現を目指して研究と作陶を重ね、1955年に「志野焼」「瀬戸黒」で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されます。
荒川豊藏の作品は、実用性と芸術性を兼ね備えており、「荒川志野」とも呼ばれる独自性を確立しています。現在名古屋美術館に所蔵されているそうです。
横浜じゃムリ!
さあさあさ、リサイクル粘土の現在、各窯業地の取り組みや、復興の成功例など、今まで読んで頂きました。それもこれも、私の目的である眞葛焼復興のための情報収集です。
このチャプタータイトルからして不穏ですが、安諸さんのご回答は上記の通り、
横浜じゃムリ!とのことなのです。
「流行りで動いてしまう都市では長期的な目標に向きあえるか?
横浜は目先の今の事しか見ない」
(見方によってはその即今精神も横浜の発展に寄与してきましたが、現在の陶磁器と相性最悪なのは確かです💦)
「リサイクル粘土に興味があること自体は良いこと。しかし、眞葛焼とはまったく関係ない」
いたくハキハキと安諸さんは仰いました。
「超有名アーティストに短期協力を仰ぐ?ムリだよ。陶作家にはそれぞれのスタイルがあり、コストを大幅に上回る収益の算段がないと動かない。買ってくれる人が居なければ取引にならないよ。コストの最低10倍、100倍の値段で売れる算段を用意しなければならない。自分だったら、まず断ります」
なんのメリットもないから。悲しいけれど、紛れもない現実……
確かに、有名アーティストなら高浮彫出来るか?といって、まず出来ないです。
パティシエに寿司を握ってくれというようなものですね。
私のイメージは眞葛焼という名前の頒布のために従来の眞葛焼を再解釈した新しいものを有名な人に作ってもらい、横浜の都市鉱山発掘という味つけもしてあわよくば横浜のSDGsや3R取組などの市政アピールの一つとして眞葛焼を広告塔にしてもらい、キャンペーンで得た収益や助成金などで眞葛焼の更なる普及啓発を行う……みたいなイメージだったんですが、安諸さんの仰る通り、それを実現するためには
「社会的地位と、人を見抜く力、そして財力」
バックボーンがないと世の中には伝わっていかないのです。
6月7日に会った創作仲間が言っていましたが、
「いくら歴史や土壌があろうと、新規のファンを獲得できないジャンルは衰退する。森田さんは自分のように燻っている人を探すの。展覧会に来た人に声をかけるとかは?」
いきなり声かけるのはう~ん不審者。なんか方法ないかなぁ😭
私にできる事が、ただここで小さく叫ぶことだけだとしたら……
『社会的地位と人を見抜く力と充分な財力』全部持っていらっしゃるお方を知っています。
横浜モンテローザの山本博士さまです。でも、このお話は、私が十分に育てる事が出来なければ、山本さんにご相談してはなりません。人任せは悪です。私は眞さんと山本さんにきちんと、胸を張って、眞葛焼を愛しています、お力になれます、とお伝えしたいのです。
やきものの未来
日本の陶磁器界の資源枯渇は深刻です。
全国の粘土は、あと100年もたないそうです。
粘土の原土は常滑が生産一位。それに益子が続いていましたが、2つある粘土山のうち1つが枯渇し、今は1つ残すのみ。他の産地のブレンドでなんとか品質を保っています。笠間は採土地が3.11の影響で放射能汚染され、現在は別の土を使っているそうです。
世界規模でいうと、中国の景徳鎮には、向こう一千万年分の粘土があるそうで、
世界的にはまだ枯渇という状態ではないようです。
重要な情報が速やかにわかる様に、安諸さんのお話を、ここから箇条書きにします。
・粘土というのは、国家間で輸出入するのが簡単にはできない。水分を含んでいるため保菌している可能性もあり、このコロナ禍を経て一層慎重になっている。個人での輸入は到底無理である。
・日々迫る資源枯渇から、国内でリサイクルが主流になる可能性は十分にある。日常に徐々に浸透していくのだろう。しかし、そのためには十分に技術力が育たなくてはならない。やりたいと名乗り出る人はたくさんいる。しかし、設備・労力・技術・ノウハウという条件を満たし続けれられる人には滅多に出会わない。気楽に出来る事ではない。文系はデザインの勘はあっても、化学式を理解できない。
・国家レベルの危機に迫った時、長期的なスパンでリサイクル粘土は取り組まれるだろう。
・今は安価な東南アジア・中国産の100均の食器で済んでしまう。
・行政・国家レベルで予算を組まない限り、解決しない問題で、個人でどうこうするのは不可能。
・やきものの歴史は1万4、5千年前から。その頃の土器も現存しているわけだから、現代から向こう10万年経っても、陶磁器の破片はなくならないだろう。
・ペタライト長石とリチウム長石の枯渇。リチウム長石は電化製品に回される。
今後この原料を必要とする土鍋も入手が難しくなるだろう。
安諸さんが日本社会に残した宿題
「再三言うが個人では無理。国が動かないと」
安諸さんは日本社会に宿題を残しました。だからリサイクル粘土の製造法に著作権を取らなかったそうです。青磁しかなかった中国では、粉引を発明、還元焼成から酸化焼成に挑戦し、温度を上げるという技術革新をしてきました。しかしその発明は、この現代において分岐点を迎えています。温度を下げるという発明をしているからです。
それを可能にするのが、リサイクル粘土です。
1230度から1200度にするだけで、1割もエネルギー削減が可能だそうです。
リサイクル粘土なら、1150度で磁器を焼くこともできます。品質安全性も問題なし。
30%もエネルギー削減できます。鉛とガラスを釉薬に使うと温度をもっと下げられるが、人体への影響から使わない方法を現在考えているそうです。
安全かつ環境にやさしい、なんて最強な陶器なんでしょう!!
30%も削減って、驚異的なエコだと思いませんか?
安諸さんは、あまりに専門的過ぎる最先端の技術ゆえ、現在孤独にご研究されています。
これから若い人たちが、このいつか溢れ出す、現代社会の永久の物原から、安諸さんのように光を見出せるよう、リサイクル陶器の技術発展を願ってやみません。
安諸さんの現代陶磁器への想い、それは、京の眞葛ヶ原から新開地横浜に出てきて、外人相手にどしどし多数の名作を産出し、日本陶器のため一人で気を吐いていた初代宮川香山のように、尊くも熱い志なのです。
所感
安諸さんの工房で、リサイクル20%とリサイクル50%含有の本焼焼成後のサンプル湯呑を見せて頂きました。
個人的には従来の陶より更に美しく見えました。あたたかい色味で、使い易そうな厚みと重さです。蛙目粘土のように所々ゴツゴツしているのかなとか、色味が若干くすんだりするのかなとか、目の当りにする前の先入観は完全に取り払われました。ミルポットで粉砕する過程で、完全に均一なシルトになるようですね。発見でした。
安諸さんがくり返し仰っていた事は、
・時代の全体を見る力を付けていくことが必要
という、生活の上での心がけでした。
現代陶芸に対して憂いていらしたのは、
・産地に行っても、きちんと勉強せずに独り立ちしてしまう人が多い。
・親の七光りとか無知な人が間違ったやり方をまことしやかに頒布しているケースも、メディアなどで散見する。
・10年でもひよっこ。独学では何十年とかかる。
・正しい視点をもつこと。キャパシティと計画性。(現代人は時間の確保すらしぶる)
・気分で考えるのはだめ。時代、材料、技術を揃える。
とのことでした。
眞葛焼の復興がしたいというお話を持ち込んだ時、
「敢えて復興というよりは、似たような新しいものを作ればいいのでは?」
とも仰っていましたが、各時代に栄衰したやきものの歴史のお話を伺ってなお、私は愚直(というかただ無謀)に眞葛焼の普及、あわよくば復興までやりたいんです。
ただただ、私に技術と知識が足りない事が恥ずかしいです。
安諸さんのリサイクル粘土の成形の体験教室の利用や国立国会図書館での論文の勉強など、やりたい事が次から次へと出てきます。
安諸さんが私にアドバイスして下さった、
・嘘は言わずに実績を作る。
・一歩一歩積み重ねること。
・情報や経験の蓄積が大事。
この3つを胸に、私に出来る全力で、
私の故郷横浜に尽くし抜いて人を愛し陶を愛し日本とその自然を愛した偉人宮川香山虎之助を、横浜の誰もが忘れないために、活動し続けます。
参考資料一覧:
粘土・シルト・砂の定義…資料元リンク:農林水産省のPDF
https://www.maff.go.jp/j/seisan/kankyo/hozen_type/h_sehi_kizyun/pdf/ntuti4.pdf
荒川豊藏資料館:岐阜県可児市ホームページ
荒川豊蔵の陶印の特徴を解説 代表作品や略歴を紹介:美術品買取専門店 獏
参考図書:「「初代宮川香山 眞葛焼」編著 山本博士 発行 宮川香山眞葛ミュージアム 2018年:引用元:『中央公論記念特大号』1965年(横浜出身の画家、有馬生馬の言葉)
スペシャルサンクス①:この記事の内容は、全て「アトリエ安諸」という町田の工房で活動していらっしゃるリサイクル粘土研究開発の第一人者であられる安諸一朗さまから伺ったお話をメモしたものを元に書き起こしたものになります。
この記事の全文をメールでお送りし、修正点などのご指摘、そして掲載のご許可を頂いた上で投稿しています。
スペシャルサンクス②:この眞葛焼復興のアイデアを下さり、安諸さんにお会いするキッカケを下さった、noterのNgo Hamsaさんに、心よりの敬意と感謝を申し上げます。私に下さった、「継続は力なり」というコメントが、今も私に勇気を与えてくれます。