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眞葛焼の復興アイデア①

先日、この眞葛焼普及活動noteに、とても興味深いコメントをよせて下さった方がいました。あまりに画期的なアイデアなので、継続的にこのnoteで、試みを発表していこうと思います。

この発想に至った経緯

このnoteで、タイの少数民族モン族の窯業の研究を始め様々な陶技に精通していらっしゃるnoterさんが、私のnoteにコメントを下さいました。粘土は一度焼成すると可塑性を失うという私の中の常識を塗り替える、リサイクル粘土の存在を、その方は示唆してくださいました。

アイデア概要

都市で大量廃棄されている陶器を「都市鉱山」と見なし、リサイクル粘土として蘇らせ、横浜という物原から転生した横浜のやきものとして販売し、それを〘新・眞葛焼〙として普及させる。

個人の陶業家にこのアイデアの実現は可能か?

不可能。
個人での粘土リサイクル化は大変困難を極めている。科学知識の正しい応用が必要で、リサイクル化の諸装置の購入、化学薬品の管理、廃棄陶片やリサイクル後の粘土を大量に収納する場所、個人では限界がある。

リサイクル粘土の前例や成功例はあるか?

私の旦那さんがこんなことを話してくれました。

「それってさ、琉球ガラスに似てるかもね。米軍基地から出た瓶なんかを再利用して、伝統工芸品にまで昇華させた、リサイクルの成功例だ」

調べてみると、いい前例がいくつか見つかりました。

せとものの聖地、愛知県で、ありましたよ、
リサイクル陶器。リセットという取り組みです。

岐阜の美濃焼でもリサイクル陶器していますね。

滋賀県でもエコセルベンという再生陶土に強い会社が見つかりました。

どうやら、リサイクル粘土は建材として使われる事がほとんどで、ロット毎で安定させるためには、リサイクル粉が全体の20%程度の混和で限界のようです。

アイデア提供者さまのお話だと、セルベン(リサイクル陶土)の質は、採取する土地の色が出る、つまり窯業地なのかとか主な社会階層によって変わるそうなので、横浜で生産されるセルベンがどのような質になるのか、知るのが楽しみですね!

横浜のセルベンの使い道はどうする?

セルベンの基本的な使い道は建材です。道路や床などの補強や着色、滑り止めなどに使われます。
しかし、私の本懐は眞葛焼の復興です。
眞葛焼がなんなのかの定義を、再度ハッキリさせなければいけません。
磁器ベッド(岩盤浴用)、足つぼ磁器マット、床壁タイルも(これらの活用前例が見つかりました)、眞葛焼って呼んでいいのか?

そもそも、眞葛焼ってなんなの?

改めて定義すると、眞葛焼は初代眞葛宮川香山が横浜で興した、個人事業のオリジナルの陶磁器のことです。明治政府が主導していた輸出工芸品の筆頭として、香山は自分の窯にしかできない陶磁器を追究してきました。代表的な技法は高浮彫と釉下彩ですが、宮川香山の作品に決まった特色があるわけではなく、常に新しい物、売れるものを香山本人が嗅ぎ分け分業制で生産していました。

眞葛焼最大の功労者である山本博士さんに、
「香山が特に気に入っていた技術は高浮彫と釉下彩のどちらですか?」
と質問したところ、こうお答えになりました。

「自分(山本さん)が思うには、達成したから次をやりたい。誰もやらなかったことをやりたい。これが香山の性格だと考える。なのでどれが特別気に入っていたという感覚ではないと思う。京薩摩の金彩の代わりとして発明されたのが高浮彫で、中国の清朝陶磁の再現の追究の末の結果が彩磁である」

(横浜歴博の眞葛焼講演会時より)

宮川香山の末裔である現宮川家ご当主の宮川眞さんに、
「眞葛焼の継承をしたいという若者が現れたらどうしますか?」
と質問をしたところ、こうお答えになりました。

「私(眞さん)は生半可なクオリティでは満足できない。初代を越えるものをつくれなければ名乗る資格はない。私は初代を越える作品をつくるイメージが出来なかった」

(眞葛焼青春小説の執筆のための取材時より)

このこと、そして私が読んだ各文献から、

「眞葛焼の復興は常に新しいことをする初代香山の遺志を継いだモノづくりが必要。初代は弟子たちに高いモチベーションを保つことを求め(待遇はかなり良かったそうだ)、高品質の維持に努めていた。当然技術の追究は生半可な覚悟ではせず、更に新しいアイデアを追究した技術であることも重要である」

と結論しました。

リサイクル粘土を眞葛焼にするには

  • セルベンの再加工工場が横浜にあるのか調べ、無いようなら受注になる。

  • 横浜ででた陶器ゴミであることが重要。「都市鉱山」を採掘する。

  • 個人では不可能なので、横浜の各関係者に、横浜のやきもの眞葛焼の復興の重要性を理解してもらう。

  • 実現のめどが立ったら、宮川眞さんと山本博士さんに、お話を持ち込む。香山の末裔である眞さんのご許可が頂けない場合は、全て頓挫するが、それも覚悟してお話をする。

  • 眞葛焼を名乗る準備が出来次第、実現に向け各関係者に協力を要請する。

さあ、私になにができるだろう

私は無知蒙昧で無力です。社会経験もアルバイトだけですし、最終学歴は美短大だけです。私が持っているのは、宮川香山への心からの敬愛と、眞葛焼への情熱だけです。

初代が心がけていた、家族や弟子たちへの惜しみない愛情と待遇、これは絶対に忘れてはならない核の部分だと私は考えます。
眞葛焼に関わる人たちが、すべて健康で幸せであるような試みになるように、企画していきたいと考えています。

……頑張ります💪🏋️💪!!



この記事の内容は、全てnoterのNgo Hamsaさんからいただいた助言を元に執筆しました。
もしかしたらご本人が読まれる可能性もあり、この場で改めて感謝を申し上げます。貴重な情報をありがとうございました。
Hamsaさんからこの記事の内容が不適切であるというご意見を頂きましたら、削除いたします。

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