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荒井陶器工房②沖縄と民藝運動

スゴい芸大生の方がいたので、真っ先にお届けします!もうこの人最高にセンスが良い❣️良いなんてものじゃありません。素晴らしいの一言に尽きます。この技術を身につけるまでどれほどの努力をしたのでしょう。羨望の眼差しで画面の向こうの作品を見つめます。


🍵宮川香山による横浜のやきもの眞葛焼を愛するnoteに、
ようこそお越しくださいました😆

🍵今回は、横浜の工房で活躍する沖縄の陶工、荒井実さんに
お話を伺ったご報告の第②弾になります。

🍵前回は荒井さんご自身のご紹介をしましたが、
今回は荒井さんの技術と知識の真骨頂、
沖縄のやちむん(やきもの)についてご報告したいと思います。

🚃🚃🚃目次からお好きなトピックスをお読みになれます🚃🚃🚃ご活用ください。

沖縄のやきものは0からすべて島で生み出せる

「沖縄には特有の赤土(島尻マージ)と白土などを採掘できる鉱床がある。原土も化粧土も釉薬も全て島の中から調達できる。沖縄のやきものは0からすべて島で生み出せる」

荒井さん談

沖縄の登り窯の歴史は古く、1600年代まで遡ります。

壺屋の伝統的技術は朝鮮半島から3人の陶工を招聘し、沖縄の材料で全てを賄うために九州苗代で薩摩焼の修行をしてもらい、彼らが赤い素地に白化粧土をかけ掻き落とすという技法にたどり着いたことに端を発します。
読谷村(よみたんそん)喜名(きな)にあった、壺屋の前代ともいえる古窯、それが喜名焼です。
読谷村は長浜港を通じ、南蛮貿易の処点として栄えました。
赤土還元で焼き締められた大物の酒・水甕、油壺の肌面には艶があります。

九州は大分県日田市の山あい、皿山を中心とする小鹿田地区で焼かれる、世界一の民陶と呼ばれる小鹿田(おんた)焼は
沖縄と同じく朝鮮の陶工を招き300年の歴史を誇る窯ですが、
小鹿田焼の特徴として名の知れるとても美しい文様を生みだす『飛び鉋』という技法とは違った、
白化粧土をかけ線彫りし一度の焼成で完成させる特殊な製法が沖縄では根付いたのでした。

沖縄の人間国宝、金城次郎

1985年、沖縄で初の人間国宝に認定された那覇出身の陶芸家、金城次郎(きんじょうじろう、1912-2004年)は、一族が脈々と陶業を営んでおり、金城一門と呼ばれています。

因みに、金城次郎の興した次郎窯の近くにある、読谷山焼9連の登り窯(大嶺実清、山田真萬、玉元輝政、金城明光 この4人の共同窯)で、荒井さんは修行したそうです!なんて素晴らしい環境で学んでいらしたのでしょう。

日常的な暮らしの中の日用品に「用の美」を見出そうという民芸運動に金城の作品は合致し、数々の受賞をして名前を馳せていきました。

民芸運動の中心人物である柳宗悦(やなぎむねよし)の思想に基づくこの金城次郎の作る沖縄のやきものは、浜田庄司に強く影響を与えたといわれています。浜田庄司といえば、イギリスの陶芸家バーナード・リーチと渡英しその陶技と知識を世界に根付かせた人です。

もっと話を広げようと思います。

浜田庄司とバーナード・リーチ

イギリスにある、小さな海辺の町セントアイヴスは、浜田庄司とその親友のバーナード・リーチが登り窯と作業場を開いた場所として有名です。開窯から数十年、多くの陶芸家がこの工房で修業を積み、英国、欧州、北米、さらには世界各地でスタジオ・ポタリー(大規模工場で作られる陶芸ではなく、個人あるいは小規模な工房における陶芸制作)運動を繰り広げていきました。

「リーチは、浜田をはじめ、河井寛次郎、柳宗悦など日本の美術界の著名人たちとの友情を通じて、日本の陶芸に大きな影響を及ぼした。彼らはともにいわゆる「民芸運動」を展開したが、これは日本の近代における急速な工業化と西洋化への反動であると同時に、手仕事による日用品の、より素朴で人間的な価値への回帰を意味していた。大量消費主義や安価な工業製品の広がりが環境に及ぼす影響を懸念する向きにとって今日、こうした美学は、これまで以上に重要な意味を持つといえそうだ」

引用:NIPPON.COM

荒井さんが世界各地で見聞を広め、壺屋の価値観に共感したのも、この世界の陶業の「民芸運動」に触発され、陶技の自由と伝統、両翼の素晴らしさに魅入られたからなのかもしれません。

衝撃!!沖縄は一度しか焼かない!?驚異の技術『生がけ』

「普通に形成して、しっぴきでろくろから離し、やや乾燥させ(器内部の底面がペタッとしないくらい)、白化粧土をかけ、やや乾燥させたら、透明釉をかける。底面の高台を削り出し、また化粧土と透明釉をかけ直す。生掛けというのだけどね。上絵をやる時は本焼から更に焼くよ」

荒井さん談

どういうことでしょう?やきものとは基本、素焼きと本焼の二度焼を前提とする焼成法が世の中に浸透しているように感じます。一度焼きという話を聞いた時、とても驚いたのは君だけではないと、荒井さんは笑っておられました。

大まかにこんな流れでやちむんは生まれます。

  1. うるま市にある工場で製土する。作陶する種類によって土を混合し、ろ過した後、攪拌する。プレス機でフィルターに通し、土のきめを整えたあと土練機でしっかりと練っていく。

  2. 成形を行い乾燥させたあと、「ナブー」と呼ばれる化粧土をかけて赤土の表面を覆う

  3. 釉薬をかけ、それが半乾きのうちに素地に線彫りを行う。また、盛土を施し彫刻のような厚みを持たせたりと様々な技法が用いられる。

  4. .最後に上薬をかけて焼物に艶を出す。上薬の色も様々あり、白土を用いた「シログスイ」(透明釉)や、飴色の「アカーグアー」、黒っぽい「クログスイ」など作陶の意匠に合わせて使い分ける。

  5. 焼成は、通常二度焼きを行うが、壺屋焼では加飾までの行程を終えてから一度の焼成のみである。一度火入れすると休みなく10時間以上も火を燃やし続ける。

島内で調達!!沖縄の透明釉づくりの詳細

  1. 海の白砂を焼くと消石灰になる(珊瑚の風化したものかな?)。

  2. もみ殻と1の消石灰を混ぜてから炭化させる。

  3. 南部で採れるぐしちゃん(川砂)と北部で採れる安富祖(白化粧土)を混ぜる。

  4. ポットミルで砕く。

  5. 完成!!(大体一度に2年分くらいの透明釉が出来る)。

沖縄の窯元で学べば、釉薬作りから当たり前にできるようになれるとか。
最近再会した弟弟子の女の子も、釉薬は作れると胸を張って言っていたそうです。

ある程度は身に着くと思っていたが、調合どころか、0から釉薬を作れると分かった時、それはもう望外の喜びだったね

荒井さん談

🍵荒井さんのお話は、まだまだ続きます!どうぞお楽しみに!!
🍵次回は、沖縄の生き方が、陶との向き合いにどう関わるのか分る
興味深いお話に触れていきます🌊🌊🌊


参考資料:

引用 NIPPON.COM  KOGEI JAPAN





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