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天国の祝福


メメント・モリ

2022年4月24日(日)筑西キリスト教会では「召天者記念礼拝」が行われます。
この礼拝では、教会の交わりの中で先に天に召された人々と再び天国で再会できることを期待して神様を礼拝します。

古代ローマ世界では、メメント・モリ(死を忘れるな)ということばがありました。
それは、今日は栄えていても明日は死ぬかもしれないのだから、今を楽しめとも解釈されることがあるようですが、今日はそのような享楽的な意味ではなくて「死」そのものと向き合いたいと思います。そして、私たちも死への備えをいただきたいと思います。

イエス・キリストは死に解決を与えてくださいました。それゆえ、イエスを信じる者は必要以上に死を恐れる必要はありません。
死は永遠の命の通過点にすぎないからです。

「天国」の呼び名について

何気なく「天国」と読んでいることばは、キリスト教では「天国」、仏教では「極楽」と呼び、「人が死後行き着く世界」というイメージがあるかもしれません。

「天国」は、口語訳聖書で使われていたことばです。
新改訳聖書では「天の御国」、新共同訳聖書では「天の国」ということばが当てられています。
また、天国を示すことばとして「神の国」、「パラダイス」、「楽園」、「聖なる都」、「新しいエルサレム」・・・・など
様々なことばを用いて、聖書では天国の素晴らしさを教えています。


イエス・キリストの再臨のとき

以上のようなことばが示している「天国」ですが、実はその完成はイエス・キリストの再臨のときです。

イエス・キリストは、十字架の三日後に復活し、40日間弟子たちと過ごした後、天に帰りました。その時、また再びこの地上にやってこられる「再臨」の時を予告しておられるのです。

イエスが再臨したとき、聖書が最終的に示している天国が完成します。
その天国を黙示録では、「新しい天と新しい地」と呼びます。

実は、聖書がイエスが再臨されるまでの間、死者がどのような状態にあるのかをはっきりとは語っていません。
でも、イエスは十字架上で回心した死刑囚に対して
「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」
と告げました。
ですから、イエスを信じ死んだ者はそのままパラダイスに行くようです。
しかし、最終的な天国は死者の肉体から離れた魂がお花畑のようなところに行くということではないようです。

天国とは霊的な世界というだけのものではなく、新しい天と新しい地がもう一度創られ、キリストが復活したように、人間も完全な肉体をともなって復活し、永遠に生きる世界です。


裁きのとき

聖書が告げている死とは、人は最終的に死んで消滅してしまうものではありません。
あるいは、魂が浮遊している状態でもありません。
人には死後の復活と裁きが定められています。

イエス・キリストが再臨した時、イエスはすべての人々を右と左に分け、右には神に忠実に従った者が分けられて永遠の命が与えられ、左には神に従わなかった人々が分けられ、永遠の刑罰が与えられます。
神の基準で、絶対的な正しさによって全ての人は裁かれます。

それは、イエスが再び地上に来られる再臨の時ですが、その時はいつであるのかはだれも知るところではありません(マタイ24:36~39)。
しかし、そのときは意外と思われる時に、突然やってくることが強調されています。
ですから、私たちがその時に対して絶えず備えているようにと繰り返されています。

今、私たちはいつ地上の生命を終えるかわからないのと同じように、いつイエスが来られるのかわかりません。
だからこそ、この時に今備えをしておく必要があるのです。


新しい天と新しい地

裁きについて少し触れましたが、実は聖書は私たちが「地獄」とも言う刑罰がどのようなものなのかはあまり述べていません。
それよりも、天国について詳しく述べています。

黙示録にはこの新しい天と新しい地新天新地について様々な様子が垣間見られます。

新天新地では、「海」がなく、「死、悲しみ、叫び声、苦しみ」がなくなります。また、「夜」もないとあります。

「海」とは、敵の侵入口を表す場所であり、時に嵐によって人々を死へと飲み込む恐怖の対象でもありました。
このような私達を死に至らしめる原因が取り除かれるということを示しているのでしょう。

また「夜」がないというのは、新天新地は人間と神との間に妨げがなくなるので、神の栄光が全世界を照らし、暗闇がなくなるということでもあります。

一切の暗さはなくなり、人間は聖さと栄光の中を生きることになります。

キリストの再臨の時、キリストを信じ、従う者には栄光のからだが与えられ、新天新地に住まいが与えられ、神の子、王としての地位を得て永遠に神との交わりの中に生きることになります。

イエス・キリストの救いは、このような新天新地によって完成するのです。

この復活と永遠の命の確証がイエス・キリストの復活にあるのです。


天国の前味を味わう


このように、天国とは今を生きている私たちにとっては、未来に実現する世界でもあります。
空間的にも時間的にも、今の世界からは遠く離れたところにある世界です。
しかし、この天国の祝福を今、このときも人間は聖霊によって味わうことができます。

黙示録の著者ヨハネは、紀元一世紀、パトモス島で、聖霊によってこの光景を見たのです。

私たちもまた、今の時であっても、聖霊によって、聖書のみことばを通して、天的な現実を地上で深く味わうことができます。

礼拝は私たちが神の臨在を最も豊に体験する場でもあります。
私たちは神を礼拝することで、この礼拝を通して崇められるべき神を崇めることで、天国を経験するのです。

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Nobuyoshi Morishita 【晴耕雨読】
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