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【Essay】部屋

帰国に先立って、日本に送るための荷物などをまとめていると、あと1ヶ月で日本へ帰るのだという実感が湧いてくる。長かったようで、短かったような、タイでの初めての生活、初めての留学、初めての一人暮らし。まだ1ヶ月もあるのに、もう何処か切なくなっているような、不思議な心持ちだ。チェンマイでの生活の中で、帰国後に恋しくなるだろうと思う人も、場所も、場面も、たくさんある。その中でも特に恋しくなるだろうなと思うものが1つ。今、まさに自分がこの文章を書いている、この部屋だ。

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留学の始めに恋しくなったのは、日本の実家にある自分の部屋–厳密には、机、ベッド、本棚がある一角–だった。留学前、自分はチェンマイで日本の何が恋しくなるのだろうと、少しワクワクしながら考えていた。今から考えればとても変な話だ。留学先でどんな友達ができるかな、どんなものが食べられるかな、休日はどこに行こうかな、と考えるのと同じように、何が恋しくなるのかなと想像してワクワクしていたのだ。

実際、何が恋しくなったのだろうか?

家族。これは思った通りだった。ただ、話したくなったらいつでも電話できるということもあって、そこまででもなかった。

友達。これも然り。

我が家のお犬様。これは一番恋しい。夜中に自分の布団に入ってくる夢を、今でもよく見てしまう。

日本食。これはあまり恋しくならなかった。こちらで自炊すると、材料なり調味料なりが違っても、家で食べるご飯に近い味になっている。本格的な日本料理も、(お金さえ惜しまなければ)いくらでも食べられてしまう。タイはそういう国だ。

ただ、予想していなかったものが1つだけある。実家の自分の部屋だ。もちろん、ある程度は恋しくなるだろうとは思っていた。ただ、ここまで恋しくなるとは思っていなかった。自分の部屋と言っても、実際には、自分の家に区切られた「部屋」たるものはほとんどない。お風呂やトイレを除く、ほとんど全てのスペースが、扉なしにつながっている。自分の部屋についても、自分のスペースというだけで、実際は扉なんてないし、何も区切るもののない線を越えると、弟のスペースになる。ただ、いつも勝手に「自分の部屋」とかなんとか呼んでいる。

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「自分の部屋」は、家の2階、南東の一角にある。東の壁と一階へつながる吹き抜けに挟まれた幅3メートルくらい(?)のスペースにあり、南のベランダに面している。東の壁には背の低い畳ベッドと、6段くらいある本棚がある。この本棚には、コツコツバイトをしながら集めた本たちがずらっと並んでいる。小説、新書、専門書、日本語・英語・タイ語の本。コロナ禍で学校にも図書館にも行けない日々が続いたから、その時期の学びの半分は、この本たちのおかげだったと言っても過言ではない。

ベッドや本棚の反対側には、小学校の机の幅と奥行きを15センチメートルずつくらい伸ばした、白い机が横に2つ並んでいて、吹き抜けに向かうようにして木の椅子が置いてある。窓側には銀色のラックがあり、その横にはアコースティックギターがスタンドに立てられている。薄茶のフローリングに白い壁。東と南の窓にはクリーム色のスクリーン。照明も、少し暖かみのある白。天井は家の三角屋根そのものだから、部屋自体が広く感じられる。

東の窓から入る豊かな陽光を浴びて、僕の1日は始まる。山と小川に臨む、南の窓のスクリーンを開けて、小鳥の囀りを聞きながら、僕は机に向かう。自分が2階にいると、愛犬がリズミカルな足音を立てながら階段を上ってくる。途中の角を曲がったところで、机で勉強する自分とご対面。よっ!と目配せしたと思ったら、僕の背後にある布団の中へと一直線。トコトコと鳴り響く足音と、軽やかにジャンプして布団に乗るシルエットが、僕の脳裏に焼き付いている。夜になればスクリーンを下げ、天井の柔らかい色の照明と、ヘッドライトの放つ何も混じりけのないような白い光に照らされて、僕は本を読む。少し疲れたら、スタンドに立てかけているギターに手を伸ばし、ベッドに寝転びながら特に意味もないコードをジャラジャラ鳴らす。

一通り書いてみるだけでも、自分の部屋に帰りたくなってしまう。

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留学に来る前、自分の部屋探しは難航した。大学に相談したら、ある寮のチラシを送ってきた。一般的なタイ人学生が暮らす寮と条件は変わらないのに、家賃は3倍。タイ語で書かれたタイ人学生向けの案内と内容が違ったこともあり、大学への不信感は否めなかった。そのため、部屋を自分で探すことになったのだけれども、それがまた大変だった。立地、家具、家賃などの条件もそうだし、信頼できる大家かどうかも見分けがつかない。第一、電話でもメールでもなく、LINEでやり取りをするというやり方にも抵抗を感じた。知り合いのタイ人にも手伝ってもらい、候補の部屋の不動産屋さんと連絡し、その部屋は契約済みだと断られ、同じ条件だったらここよ!と紹介され、ようやく契約できたのが今の部屋。山と運河を臨む、コンドミニアムの7階にある一室。家具もベッドも揃っているし、何より小綺麗なのだ。ワンルームとはいえ、正直、留学生の一人暮らしには贅沢なほど広い。西に傾いた南向きの窓からは、朝の陽光は差し込まない。その代わり、朝日に照らされたドイ・ステープを(PM2.5がひどくなければ)一望できる。

そんな部屋だけれども、もちろん、全てが思い通りというわけにもいかない。勉強机は、部屋にあった黒い正方形の食卓机を代用している。机の高さと椅子の高さがいまいち合わない。本棚もないから、押し入れから引っ張ってきた下着を入れる引き出しの上に本を積んでいる。机と椅子はIKEAなんかで買おうかと思ったくらいだけれども、どうせすぐに日本に帰るのだからと思い、断念した。1年間は留学としては十分長いのかもしれないが、借りている部屋の家具を増やすには短かった。

振り返ってみれば、留学中、何があっても帰ってくるのはこの部屋だった。当たり前といえば当たり前だ。ただ、タイ・クオリティな大学の授業の後も、友達との小旅行の後も、1週間のフィールド・ワークの後も、フェンシングの試合でくたくたになった後も、帰ってくるのはこの部屋だった。長く誰かといると疲れてしまう、そんな自分が一息つける場所は、このセカンド・バンコクの中でここ1箇所だけだ。チェンマイの喧騒からも、タイ・クオリティからも、PM2.5からも、この部屋は区切られている。たまに友人を部屋に誘って、一緒にご飯を食べることもある。不思議なもので、外でご飯を食べているときの友人と、この部屋でご飯を食べているときの友人は、完全に別の人間だ。彼なり彼女なりが話す、そのリズムというか、間(จังหวะ)の置き方というかが、全く違うのだ。この部屋は、物理的な建物なり空間なりとしてみれば、特に特別な部屋でもなんでもない。とあるコンドミニアムの7階にある、とある部屋にすぎない。ただ、設計図面を超えたところに、居心地の良さが埋め込まれている。

そんなこの部屋が、僕は好きだ。

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この部屋とも、そろそろお別れだ。この部屋と実家の部屋の違うところははっきりしている。このチェンマイの部屋は、一度出たら、もう2度と帰ってくることはない。

タイ語を学んで、タイのことを研究している限り、これからもタイなりチェンマイなりは、嫌というほど訪れるだろう。連絡を取り続けている限り友達とも会うだろうし、屋台の料理だって食べ続けるだろう。ただ、この部屋だけは、もう帰ってくることはない。僕が来る前と同じように、あるいは自分がここにいるのと同じように、また次の誰かが引っ越してきて、ここで生活をして、そしてまた去っていく。自分の過ごした跡など、もうどこにも見つからない。この部屋で過ごした自分の記憶も、徐々に霞んで行って、いずれは全く違うものになっている。

「いろんな国に、自分の家を持てたらいいよね」

友人や知り合いと、よくこんな話をする。その国に行ったとき、必ず帰れる、自分の家がある。どれだけ便利だろう。便利というか、安心というか。僕もそう思う。ただ、それはお金持ちだけができる所業だ。

4年間タイ語を学び、この留学を経て、タイという国が、ようやく自分の国になったような気がする。でも、来月にこの部屋を引き取ってしまえば、この国に僕の帰る部屋はなくなる。

帰る場所はあるのに、帰る部屋はなくなる。

どこか不思議な心持ちだ。

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来月、自分は日本に帰る。春の陽光に満ち満ちた「自分の部屋」に帰る。

そして、必ず恋しくなる。青々としたドイ・ステープを臨む、このコンドミニアムの7階の一室が。

そう、必ず恋しくなる。また嫌というほど通うこの街の、もう2度と帰ることのない、この部屋が。

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