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最強の父がいなくなった日

私は大学では哲学を専攻していた。
死ぬって一体どういうことなんだろう、
どこに行くんだろう、そういうことを考えるところは子供の頃から父親に似ていた。

生死について考えながら、私は死に怯えていた。
怖い、死にたくない、まだやりたいことがいっぱいある。
でも人間はいつどんな理由でこの世を離れるか分からない。

多くの人は自分が今日、明日もしかしたら死ぬかもしれないことを考えることもなく日々過ごしている。

いや、最近はコロナの流行によって考えている人も少なくないかもしれないが。

私も常にそんなことを考えているわけではないが、少なくとも定期的に「死」について考えることがあった。

死んだら自分の思考はどうなるんだろう…

身体が消えても思考は残るんだろうか…

お化けが存在するのであればそういうことなんだろうか…

当時自分の中で答えが出ることはなかった。

そんな、自分にとって得体の知れなかった概念としての「死」がどういうことか
少しだけ輪郭が見えたような気がしている。

こんなことを言うのは許されないのかも知れないが、死という概念が少しだけ怖くなくなったのだ。

少し長くなるがその経緯を話そうと思う。

浪人中に父の病気を知った。肝臓の病気だった。

当時はすぐにどうこうという話ではなく、進行を食い止めていくということだった。
私の中で父は最強の存在で、大丈夫だろうと心のどこかで思っていた。

父の病気が悪化したのは大学3年生の5月末のことだった。
胆石が見つかり、処置をしたが取りきれなかったことがきっかけだったように思う。(この辺りはうろ覚えだが…)
移植手術をしなければ余命あとわずかを宣告され、
私は自分が、と名乗り出る勇気が出せず兄から移植することになった。

お腹を切るということが本当に怖くて仕方がなかった記憶があるが、きっと兄も同じだっただろうと思うと心苦しくなる。

無事手術を終え、半年ほどは回復していたが大学3年の冬に再度病状は悪化することとなる。
そこから維持、再度悪化を経て父とはコミュニケーションを取ることが次第に難しくなった。

あんなに頭が良くて、私にとって最強だった父が、
会話もできなくなってしまうなんて、とポツポツ感じていた。

大学4年の9月末、ついに病院から今日が山場だという連絡が来た。

終わってしまう、終わってしまう、でももうどうにもならない
でも、でも、という冷静になった今でもどう表現したらいいのか分からない感情になった。

そんな感情も虚しく父はいなくなってしまった。
二度と父の気持ちを聞くことも、仕事の話をすることも出来なくなった。
人が死ぬ瞬間の、あの鳴り響く音を、
火葬場で崩れ落ちる母の姿を、きっと一生忘れることは出来ない。

お葬式も火葬も何もかもが終わった後、いつ頃冷静に考えられるようになったかは正直覚えていない。
直後は、顔もかなり変わってしまった父を見て、死んだということが上手く処理出来ずに
どこか遠くに出張に行っていて会えないような、ただ、今ここにいないだけのような、また帰ってくるような気がした。
そんな感情だったことは覚えている。

49日も過ぎ、少し落ち着いた頃、

ああ、人が死ぬ時ってこんなにあっけないんだ。
死ぬということはその人の時間が停止するということか。
父は永遠に63歳でそれぞれの頭の中の概念に変化したのか。

なるほどな、と自分の中でストンと落ちた。

死を理解した、とは到底言えないしきっと理解できることなどないのだが、
死が怖くて、生まれたことにすら悲しくなっていたあの頃に比べれば、
父のあの最期の顔を見てからは少し胸のつっかえが取れたような、すっきりとした気持ちでいる。

父が最期に、私が今まであんなに考えても考えても何も掴めなかった概念に
少し輪郭を与えてくれたのだ。

父は最後まで私にとって最強の父だったのだ。
本人にはきっとそんなつもりないのだが。

それを伝えられればよかったなと思うばかりだ。

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