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自分で生きていくと決めること_田辺未樹(みるきー)さん【輝く女性インタビュー】

自分らしく個性や才能を活かしながら活躍している輝く女性たちに、そこに至るまでに経た経験・感じていたこと・実際に起こした行動・成功談や失敗談・今後の展望・これから輝いていきたい女性へのアドバイスなどを伺っていくインタビュー連載。

今回は、仕組み化されたビジネスで成果をあげながら、Instagramやブログなどで独特の世界観で見る人を魅了している、起業コンサルタントでありワークライフスタイリストの田辺未樹さん(みるきー)にお話を伺いました。

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みるきーの経歴


【現在】メルマガを活用してビジネスを自動化 そのほかワークライフスタイリングやビジネスコンサルの個人セッションも

───まずは現在のみるきーについて教えてください♡


メインはDRMというマーケティング手法を使ったビジネスをしています。DRMは「ダイレクトレスポンスマーケティング」といって、メルマガのステップメールを使って商品をご案内するものです。
また、女性起業家・宮本佳実さん認定のワークライフスタイリスト(http://yoshimimiyamoto.com)として3年半活動していて、自分にとっての好き・理想・得意や強みがわからないという人に向けて、自分と向き合うセッション「ワークライフスタイリング」を展開しています。


最近は、ワークライフスタイリングのほか、ビジネスコンサルなどの個人セッションのお問い合わせも多く、zoomやスカイプでセッションを行っています。


ビジネスコンサルでは、その人がやりたいことのマネタイズ方法や、集客でつまづいている場合などはヒアリングをして、改善点をアドバイスとしてお伝えさせていただいています。

洋服の輸入に携わりたくて法学部に進学 就活で「自分で好きなことをして生きていく」と決意


───みるきーのこれまでの経歴を教えてください♡


高校時代からファッションに興味があって、服の輸入関連に携わりたいと思っていました。当時通っていた塾の講師の方が、「いきなり手に職をつけて雇われる側に回るな」という考えを持っていて、直接アパレル関係の学校に進むのではなくて、まずは輸入に必要な英語と法律を学んだほうがいいと勧められました。英語は喋れたので、じゃあ法律を学ぼうということで4年生大学の法学部へ進学しました。


でももともと身体が弱かったので、企業に勤めて平日週5日会社に通うことが果たして自分にできるのだろうか?と思い始めたんです。定年まで勤め上げるというイメージができなくて…。だから漠然と「自分で何かしていきたい!」と考えるようになりました。

それに就職活動の時期に、面接対策のために黒髪+薄化粧にしているのが本当に嫌で…(笑)もともと金髪にしていて、まつ毛はバサバサ。いかに目を大きく見せて生きていくかを考えているようなタイプでした。だから「こんな薄い化粧で何も盛れてない顔でこれからも生きていくの?そうしたらわたしの人生はどうなるの?こんなんじゃお嫁にいけない!」と、外見だけでそんな風に悲観してしまって。

実は幼い頃から、家庭環境が良くなかったんです。両親からはいつも「お姉ちゃんなんだから我慢して」「弟や妹に譲ってあげなさい」と怒られていて。そんな風に小さい頃から我慢してばかりいたり、自分より誰かの意見を優先されることがずっと続いていたので、これ以上自分のやりたいことを抑え込む人生は嫌だと思ったんです。

体調のこともあったので、もう就活も就職も無理だと感じました。

4年生大学と服飾専門学校、アルバイト2つを掛け持ちする寝る間もない毎日

そうして「これからは好きにおしゃれをしていく!!」と決意。アパレルブランドを立ち上げて起業するか、雇われてでもせめて好きなオシャレができる仕事に就きたいと就活をやめ、大学4年生のときに両親を説き伏せ、ダブルスクール用に開講された服飾専門学校へ通い始めました。

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───ダブルスクールだったんですか!?それは相当忙しかったでしょうね。


特に大学在学中は大変でしたね。すでに4年生だったので、大学は週に1度のゼミにだけ通っていました。専門学校も通学は日曜日の週1日。ですが残りは大学のレポートや専門学校の服作りの課題をこなして、アルバイトもふたつ掛け持ちしていたので、ほとんど寝る時間もありませんでした。

「好きに生きる!」と決めたけれど、まだまだどこかで親の目を気にしている自分がいました。そして専門学校卒業目前で、うつ病を発症してしまったんです。



闘病記録として始めたブログから、同じ境遇の人との交流を求めてオフ会を開催


───療養中はどんな風に過ごしていましたか?うつ病といえば、気分が塞いだりやる気が起きないといったイメージがありますが…。


療養中、闘病記録を兼ねたブログをスタートしました。ブログを続けているうちに同じような境遇の方と出会って交流するようになり、オフ会を開催し始めたんです。周りに病気のことをわかってもらえないつらさを話し合い、気持ちを分かち合いたいなと思って、飲食代だけ実費でいただいて提供し始めました。


そういう場があると、意外とみんな出てきてくれるんですよね。


参加してくれた人は、うつ病を患っていても明るい人が多かった印象。同じ境遇で辛い想いをしてきた人たちでしたが、打ち解けてみるとめちゃくちゃ面白いんです。病気であることはもちろん精神的・肉体的にしんどいけど、人と関わる場には来てくれるし、喋るとみんな優しい。明るく面白い人ばかりで、死にそうな顔をしてくる人はいませんでしたね(笑)


その活動があったうえで「じゃあ自分にはもっと何ができる?」「自分の人生をどうしていきたいの?」と自問自答したとき、闘病ブログでずっと発信を続けていたことから「何かを伝えたい」とぼんやり考えていました。



───闘病中に似ている境遇の人の話を聞いたからこそ、何かしたいと考えられるようになったのですか?それとももともとそういった性格なのでしょうか?


「伝えたい」と思ったのは、何年も闘病ブログを書き続けていて「発信をやめるという選択肢がなかった」ともいえます。


誰かのために何かをしたいというよりも、20代半ばで社会人経験もなくて、いつまで闘病生活が続くのかわからないなかでジッとしていたらどうなってしまうのか?このまま年を取ってしまったらどうしよう?という不安があったことが大きな理由ですね。



「好きなことを、好きなときに、好きな場所で、好きなだけ」ワークライフスタイリストの道に出会う


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