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第21回 「ASIAN KUNG-FU GENERATION - リライト」の思ひ出

 小学生の頃、おれは『星のカービィ』が大好きだった。どのくらい好きだったかというと、カービィが存在しないというただそれだけの理由で、この世界には生きる価値がないと考えるくらいには、カービィのことが大好きだった。おれは高校生になると、深夜アニメにハマり込んで現実を生きられなくなってしまうのだが、よくよく思い返してみれば、小学生の時点ですでに現実になど興味がなかったのであった。

 そんな或る日、小学3年生のぼくちんに朗報が入った。

月刊コロコロコミック 2001年10月号

 星のカービィ、アニメ化ッ!!!!!!
 
 やったぜッ!!!!!!!!!!!!!

 この世界には生きる意味があるッ!!!

 2001年10月6日午前7時30分、『星のカービィ』のアニメ放映が始まると、おれはテレビの前にかじりついた。

 あっ、あああぁっ、ああああああああああっっ

 かっかかかっ、カービィが動いてるううううっ

 んほほっ、んほんほおおぉおおおおんんんんっ

 放送の時間帯は土曜日の午前7時30分という鬼畜っぷりだったが、カービィ愛があればそんなものは屁でもない。この日から放送が終了するまでの2年間、安息日に惰眠をむさぼる他の家族を尻目に、おれだけ7時30分には起床するという健康的な生活を送った。

 さて、放送も残りわずかとなった2003年の秋、或る新アニメの予告編がCMで流れ始めた。

 きぃみのっ手っで~♪
 切ぃりさっいって~♪

 鋼の錬金術師ッ! 2003年10月4日放送開始ッ!

 ふぅん。

 だってカービィ出てないもん!!!!!

 カービィが出ていないという理由で、この鋼のなんとかというアニメにはまるで興味が湧かなかった。

 しかし、諸行は無常である。大好きだった『星のカービィ』も2003年9月27日に放送が終了し、おれは再び生きる意味を失った。とはいえ、悲しみも長くは続かないものである。年をまたぐ頃にはカービィ・ロスの傷も癒え始め、安息日には親に叩き起こされるまで惰眠をむさぼる生活が再び戻ってきた。そんな或る土曜日の夕方、兄がテレビを点けて知らないアニメを流し始めた。
 ……いや、なんか知っとんな。これ、カービィのCMで予告やっとったやつやん。

「いい演出だろう? ヒューズ中佐」
「……っ」

 なるほど。

 この野原ひろしの声の人死ぬんだあ。

 よく分からんが、とりあえず野原ひろしの声の人が死ぬことだけは分かった。以前、『BLEACH』のアニメを見始めた瞬間に藍染惣右介が黒幕であるというネタバレを食らった話を書いたが、動画配信のサブスクリプションなどなかった時代では、テレビでアニメを途中から見始めてネタバレを食らうなんてことは日常茶飯事であった。そういうものだ。

 それから数日後、『鋼の錬金術師』の単行本7冊と、見たことも聞いたこともない漫画雑誌がリビングの机の上に置かれていた。

月刊少年ガンガン 2004年5月超特大号

 ガ……ガンガン……?

 いくら好きやからって、こんなマイナー雑誌をわざわざ買わんでも……とは思ったものの、あるものは読まねばもったいない。とりあえず『鋼の錬金術師』の第1巻を読んでみることにした。

荒川弘. 鋼の錬金術師 1巻. ガンガンコミックス, 2002, p.156

∩(´;ヮ;`)∩ンヒィ~~~~~~~~~~~~

 漫画といえば「コロコロコミック」しか読んだことのなかった当時のおれにとって、人が血を流してバタバタと死んでいく『鋼の錬金術師』はあまりにも刺激が強すぎた。

「そんな……この護衛さんにも色々な人生があって、遺された家族もいるだろうに……」

 おれはエドとアルの大活劇よりも、第1巻156ページ6コマ目で殺された護衛の人生に思いを馳せた。世界広しといえども、『鋼の錬金術師』第1巻156ページ6コマ目で殺された護衛の人生に思いを馳せた人間は、おれくらいのものだろう。

 ……とはいえ、グロ表現なんてものは繰り返し見ていると次第に慣れてくるものである。読み進めていくうちに、おれは科学とファンタジーが融合したダークな世界観にのめり込んでいった。

「水35ℓ……炭素20㎏……アンモニア4ℓ……石灰1.5㎏……」

 のめり込み過ぎて、人体錬成に必要な材料を暗唱できるようにまでなってしまった。そして、錬金術が存在しない現実世界はなんとつまらないのだろうと思った。錬金術が存在しないというだけで、この世界には生きる価値がなかった。

 こうして、プププランドからアメストリスへと移住したおれは、「コロコロコミック」を卒業して「月間少年ガンガン」の読者になったのであった。他にも『マテリアル・パズル』『スパイラル 〜推理の絆〜』などを愛読したが、今まで話の合う人間には会ったことがない。悲しいが、これはマイナー雑誌購読者の宿命である。

 しかし、諸行は無常である。2004年10月2日にはアニメ放映も終わり、原作の連載も月刊ペースと遅いので、永久にアメストリスに住み続けることはできなかった。ファンレターやファンアートをかき続けている熱烈なファンたちと比べると、月に一度の刺激では関心を保ち続けることができず、簡単に他の作品へと心を移し替えてしまえるおれは、ひどい浮気性なのではないかと思った。

 そうして浮気生活を続けているうちに月日は流れ、おれもいつしか中学の最終学年となった。時は2007年、「フラッシュ動画」の全盛期である。いつものようにネットで「おもしろ動画」を漁っていたところ、或る一本の動画がおれの目に留まった。

 一見すると『鋼の錬金術師』のオープニング映像のチープなパロディーだが、しかしカメラワークや編集にはそれなりの手間がかかっており、むしろ微妙にクオリティーが高い。このチープなのかハイ・クオリティーなのかよく分からないヘンテコ具合がおれのツボにはまってしまい、しばらくこの「おもしろ動画」を見ては爆笑する日々が続いた。そして、繰り返し見ているうちにあることに気づく。

 あれ、この曲めっちゃカッコええやん……

 こんなカッコいい曲を『鋼の錬金術師』のオープニング・テーマとして計10回も聴いていながら、何の印象も残らなかったとは、小学生の頃のおれはまだまだ芸術的な感性が鈍かったらしい。それに、これを歌っているアーティストはあのASIAN KUNG-FU GENERATIONではないか。以前「或る街の群青」という曲をオカンがTSUTAYAでレンタルしてきたことがあったので、その存在は知っていたが、あれはなかなか良い曲だったし、この「リライト」という曲も最高だ。こりゃあ、今すぐTSUTAYAに行って「リライト」を借りてくるしかねえべ!

 思い立ったが吉日、さっそくおれは最寄りのTSUTAYAへと足を運んだ。「ア行」なので見つけるのは容易い。「J-ROCK」のコーナーにASIAN KUNG-FU GENERATIONと書かれたプレートをすぐに発見し、おれは「リライト」の物色を開始した。

 あれ。

 リライトがない……

 最寄りのTSUTAYAに「リライト」は置いていなかった。すでに3年前の曲となっていたので撤去してしまったのだろうが、それにしても入れ替えのサイクルが速すぎないだろうか。発売から遅れて「リライト」を聴きたいと思うおれのようなユーザーもいるというのに、もしかして商売がヘタクソなのか。ぶつくさと文句を言いながらも、ないものは仕方がないし、店員に話しかけて在庫を訊くという高度なコミュニケーションを遂行する能力もなかったので、その日は帰ることにした。

 後日、別の楽曲を目当てに再びTSUTAYAを訪れる機会があった。もしかしたら「リライト」が入荷されているかもしれないと思い、念のためASIAN KUNG-FU GENERATIONの棚を覗いてみたが、やはり置いていない。「リライト」を聴くことは諦めるしかないのか……そう観念しながら陳列されたCDを眺めていたおれは、ふとあることに気づく。

「崩壊アンプリファー」
「君繋ファイブエム」
「ソルファ」
「ファンクラブ」

 なんだか、どれも曲名っぽくない。もしかして、これは「アルバム」というやつなのではないか……? 適当にCDを手に取って裏返してみると、十数曲の楽曲リストがずらりと記載されていた。やはり、これは「アルバム」というやつだ! 他のCDも確認してみる。「ソルファ」というアルバムの収録曲を見てみると……

 あったッ!!!!!!!

 リライトだッ!!!!!

 いやはや、コナン君もびっくりの明晰な推理力を発揮してしまった。流石は学年で常にトップ10に入る学力の持ち主である。その頭脳は伊達ではなかったわけだ。

 意気揚々と帰宅し、「ソルファ」をPCにリッピングすると、おれは「リライト」を含むシングル曲だけをウォークマンに入れた。え、他のアルバム曲はあまり気に入らなかったのかって? そうではない。「おまけ曲」に過ぎないアルバム曲など、端から聴く必要がなかったからだ!

 そう、当時のおれには「シングル以外のアルバム曲はすべておまけ曲」という謎の思い込みがあった。これは小学生の頃に大流行していた某アーティストのアルバムを聴いて「なんや、シングル以外おまけみたいな曲ばっかやん」と思った経験に根差している。このアルバムを軽視する偏見こそが、おれに「リライト」の発見を遅らせた原因であり、そしてなにより、おれがロックに目覚める瞬間(とき)を遅らせた根本原因だったのである。前々回で、マキシマム ザ ホルモンというロックに目覚めるきっかけとなったアーティストに出会いつつも、ロックに目覚めないまま終わってしまった話を書いたが、このときもウォークマンには「What's up people?!」や「絶望ビリー」などのシングル曲やリード曲しか入れなかったのだ。そのような「つまみ食い」的な聴き方では、特定のアーティストにハマることなど不可能であったし、ロックに目覚めることもまた不可能であった。アルバム曲を再評価し、「ソルファ」というアルバムを通しで聴けるようになるのは、まだまだ先の話である。

 許すまじ、小学生の頃に大流行していた某アーティストのアルバム。

 おわり

追記

 ちなみに、「アルバム曲はおまけ曲」という観念を植え付けたアルバムを今回改めて聴き直してみた。「リライト」の良さが最初は分からなかったように、アルバム曲の良さが小学生のおれには分からなかっただけかもしれないからだ。

 結果……

 逆に「おまけ曲」だと思った当時の記憶がよみがえってしまった。

 実際のところは「おまけ曲」などでは決してなく、シングル向きではないアルバム曲だからこその様々な実験が行われているだけであり、そのバラエティー豊かなアルバムにしようという遊び心にはむしろ好感が持てるのだが、しかしおれの身体には「おまけ曲」としての記憶が染みついてしまっているらしい。まあ、他の同級生はみんな大好きなアルバムだったので、一人くらいピンと来ない人間がいても許してほしい。

 おわり


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