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第16回 「B'z - 衝動」の思ひ出
先日、帰省したときの母との会話である。
「岸田さんは本当にダメね~」
「もう日本は終わってるね。平均賃金なんてとっくに韓国に抜かれてるし」
「でも賃金を上げるのが嫌だから、技能実習生って名目で外国人労働者をこき使ってるわけでしょう。本当にひどい話ね~」
「まあ、そのうち他の国のほうが賃金が高くなって、頼んでも誰も来なくなるんじゃないかな」
「一方で、ジャニーズ問題とかも酷いじゃない?」
「所属集団の暗黙のルールに適応できない人間はパージされるのが日本だからね。みんな自分のポジションのことしか頭にないから、ずっと見て見ぬふりをされてきた」
「いつの時代の話よ、って感じよね~」
「そう。だから優秀な人はみんな海外に逃げてる。クソ環境に適応できるクソ人間だけが出世し、クソが濃縮されているのが日本の業界」
「お先真っ暗ね~」
……あれ、なんでこんなに話が合うんだ? 両親は主にテレビや新聞で情報を摂取しているはずだが、意外ときっちり報道しているのだろうか。
「ニュースはNHKとかで見てるの?」
「NHKは流しっぱなしにしてるけど、そんなに見てないわね。かといって、民放のワイドショーはどれもつまらなくて見れたものじゃないから、最近はYouTubeの動画を見ることが多いわよ~」
「あ、そうなんだ。例えば?」
「Arc Timesとか」
「……」
「ほら、東京新聞の望月さんって記者がいるでしょ? あの人がやってるチャンネルなんだけど、ジャニーズ問題を調べようと思ってたまたま番組を見てみたら、これが面白かったのよ~。最近よく見てるわ~」
「なるほど……」
……これで謎はとべてすけた。帰省すると親がネトウヨ化していた、帰省すると親が陰謀論にハマっていた、というのはよくある話だが、まさか帰省すると親がリベラル化していたケースが存在するとは……
この母の事例は、ネトウヨ系のコンテンツに触れたからといって、必ずしも誰もがネトウヨ化するわけではないことを教えてくれる。仮に、母がネトウヨ系のコンテンツに触れることがあったとしても、
「うーん、頭のおかしな人たちね~」
と、華麗にスルーされて終わりだろう。「善良な人々が悪しきコンテンツの餌食にされている!」というのは単純すぎる図式で、ネトウヨになるにも、陰謀論者になるにも、ある程度の素質が必要なのである。
作家の古谷経衡は、シニア層がネトウヨ化する理由として、ネット・リテラシーの低さと、戦後民主主義の不完全さを挙げているが、ミクロな観点においては、その人が持つ「気質」もまた重要な要素となる。おれの母は、特に政治に熱心な人間というわけではない。自分はリベラルであるという意識もなければ、そもそも「リベラル」という言葉の意味もよく知らないだろう。つまり、母はイデオロギー的にリベラルなのではなく、身体的・感覚的なレベルでリベラルなのである。転勤族であった母は、ムラ社会の因習にとらわれない都会的な生活を送ってきたので、個人の自由と平等を尊重する感性が、自然な性向として備わっている。YouTubeには、ネトウヨ系、リベラル系、ひろゆき系、ホリエモン系など、様々なコンテンツが存在するが、その中で母の肌に合うものは、リベラル系のコンテンツだったというわけだ。
一方で、父は戦後民主主義の精神をそのまま受け継いだような人間である。法学部の出身なので、戦後民主主義的な意識は同世代と比べても高く、選挙の前日には「きちんと国民の権利を行使するように」と家族ラインでリマインドしてくる。自民党には一貫して批判的であり、権力とは市民が監視を怠れば暴走してしまう恐ろしいものであることをしかと心得ている。父の中にある戦後民主主義は、古谷氏の指摘するような「ただなんとなく、ふんわり」といったものではないため、父にはネトウヨ化するための条件が欠けている。今後とも、父がネトウヨ化する可能性はないだろう。
そもそも、人々がなぜネトウヨ化するかといえば、ネトウヨ化には優れた精神的な効能が存するからである。多くの人々は、豊かな人間関係に支えられた実りある人生を構築することに失敗し、孤独や不安や劣等感を抱えながら生きている。だが、それを直視することは死ぬほどつらく、とても耐えられるものではない。そこでネトウヨである。ネトウヨ動画の論客たちは、
「韓国が悪い!」
「中国が悪い!」
「日本はすごい!」
というシンプルな世界観によって、無意味で苦しいばかりの人生に、分かりやすい「敵」と、インチキな目的意識を与えてくれる。「敵」に鬱憤をぶつけている間は、己の不幸から目を逸らすことができるし、目的遂行のために邁進しているというインチキな充実感によって、人生の虚無を誤魔化すこともできる。「ネトウヨ」には「陰謀論」や「カルト宗教」を代入することもできるし、場合によっては「サヨク」や「リベラル」を代入することも可能である。
では、両親の場合はどうかというと、やはりこの点に関してもネトウヨ化とは無縁のようである。オタク気質な父は、映画鑑賞や落語鑑賞など、独りでも楽しめる趣味を持っているし、社交的な母はママ友が多く、孤独とは縁遠い生活を送っている。また、「ふたりで旅行に行ってきました!」と家族ラインで写真を共有してくる程度には、夫婦仲も良好である。
そのような両親のもとで育ったので、おれには両親から抑圧のようなものを受けた記憶がまるでない。思い出すとしても、
「玄関で靴を脱ぐときはちゃんと揃えなさい」
「トイレはおしっこでも座ってしなさい」
といった躾くらいのものである。基本的に自由放任であり、
「こう生きなさい」
と命令されたこともなければ、
「こうしないと負け組になるぞ」
などと脅されたこともなく、我が家には「子育ての方針」といったものがまるでなかった。そのことを母に尋ねてみると、予想通り次のような答えが返ってきた。
「うーん、うちには子育ての方針みたいなのは一切なかったね。好きに生きればいいって感じで」
「まあ、そうだよね……」
「でも、どこへ行っても生きていける人間になってほしいってことだけは、お父さんと話してたわよ。そしたら実際、兄弟3人とも家を出てっちゃって、好き勝手に生きてるわね~」
終始、この調子なのである。
家庭というものは、外界からは覗うことのできない私的な空間であるため、自分と他人の家庭を比較し相対化できる機会はそうあるものではない。そのため、長いあいだ自分が生まれ育った家庭が「当たり前」であると信じて疑わず、大人になって初めてそれが「当たり前」ではなかったと気づくといったことが、往々にして起こる。
多分に漏れず、おれも長らく自分の家庭が「当たり前」だと思っていた口である。だから、家族の確執をテーマにした映画を見ても、理屈として理解できるだけで、そのリアリティーを実感することはできなかったし、他者から家族の問題を聞かされたときには、自分では心の底から同情しているつもりでも、相手の心情を本当には理解していなかっただろう。多くの人々が家族の問題を抱えながら生きていることを本当に知ったのは、「毒親」や「親ガチャ」という言葉が流行り始めてからであり、また男兄弟だったので、「母娘関係」に特有の支配関係があることなど、つい最近になるまで知らなかった。このように、自分の家族を「当たり前」としか思っていなかったので、実家を訪れた妻からおれの家族について次のような感想を聞いたときには、少し驚いてしまった。
「お父さんとお母さんと話していて、あなたは本当に愛されて育ったんだねって、すごく分かったよ」
そもそも、親が自分を愛しているだとか、愛していないだとか、そんなことは一度も考えたことがなかった。のほほんとした家庭で、のほほんと育っただけだと思っていたが、そうか、おれは愛されていたのか……
多かれ少なかれ、家族との確執を抱える者からすれば、苛立ちを覚えるほどの能天気ぶりかもしれないが、このような家庭で生まれ育ったことが、おれの拠って立つ前提なのである。善い悪いの問題ではなく、これは単なる事実であり、おれはこの事実から出発しなければならない。
人間関係における齟齬の多くは、それぞれが抱える前提の相違に由来するが、生まれ育った家庭環境の相違はその中でも根源的なものである。ナイーヴなお坊ちゃんの語る「幸せな家族像」を聞いて、「ああ、この人とは絶対に分かり合えないな」と絶望する……これは漫画などでよくある表現である。人間同士が理解し合うためには、他者の表面的な言動にのみ着目するのではなく、他者の人生の深くまで潜り込み、他者の抱える前提を理解する必要があるが、そのためにはまず、己の抱える前提を徹底的に分析しなければならない。どのような過程を経て、己という人間が生成されていったのか……それを知る必要がある。自己自身さえ理解できていない者が、他者を理解するなど不可能なことだ。こうして、音楽にまつわるどうでもいい思い出を書き続けているのは、おれという人間が生成される過程を叙述するためである。
さて、親に愛されていたという前提のもと、改めて今までの人生を振り返ってみると、当たり前だと思っていた数々の出来事に親の愛を再発見することができる。例えば、我が家では毎年必ず家族旅行をしていたが、これも親の愛の表現だったのだろう。夏には淡路島でキャンプをしたり、様々なテーマパークに連れて行ってもらったりした。冬には長野や新潟などのスキー場を訪れ、ウィンター・スポーツをして過ごした。移動は基本的に父の運転するトヨタ・ノアであり、車内ではよくB'zのアルバムが流れていた。
B'zファンのみなさまッ!!!!!!!
おまたせしましたッ!!!!!!!!
ようやくB'zの話が始まりますッ!!!
カーステレオから流れるB'zの楽曲を聴きながら、おれはよくこう思ったものである。
「あんま好きじゃないな……」
と。
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B'zファンのみなさまッ!!!!!!!
残念ッ!!!!!!!!!!!!!!
B'zあんま好きじゃなかったッ!!!!!
B'zがあまり好きではなかった理由は、なんとなく湿っぽかったからである。B'zといえば、アップテンポでパワフルなイメージが強いと思うが、それはシングル曲の話で、実はアルバムにはマイナー調のブルージーで湿っぽい曲も多い。旅行帰りにB'zのアルバムを通しで流されると、旅行が終わってしまうという侘しさに、ボクちんは悲ちい気持ちになってちまったのでちゅ👶
おわり……と言いたいところだが、
B'zファンのみなさまッ!!!!!!!
朗報ですッ!!!!!!!!!!!!
まだ続きがありますッ!!!!!!!
時は2006年12月22日、この日は年末恒例、ミュージックステーションスーパーライブの日である。スタジオには豪華アーティストたちが集結し、その中にはもちろんB'zの二人の姿もあった。
「わっちゃん、B'zが始まるわよ!!!」
「えー、でもB'z別に好きじゃないからいいや」
「B'zといえばサビの爆発よ!!!爆発だけ見なさい!!!」
「ば、爆発……」
というわけで、サビの爆発だけ見ることにした。サングラスをかけた男が高音弦を駆使したギター・リフをかき鳴らし、いよいよB'zの演奏が始まった。テレビ画面に漢字二文字のシンプルな曲名が表示される。その名も「衝動」
僕にも 誰かを 愛せると
その手を 重ねて 知らせて
あなたのぬくもりがくれる……
来るかッ!????
衝ーーーーーー動ッーーーーーー!!!!!
(死ーん)
あれ、来ないな……
僕にも 何かを 変えられる
さりげない 言葉で ささやいて
あなたの声が明日への……
今度こそ来るかッ!????
衝ーーーーーー動ッーーーーーー!!!!!
(死ーん)
(^ω^)……
希望とは 目の前に ある道
どこかに 行けると 信じよう
あなたのすべてが僕の……
(`・⊝・´;) ゴクリ…
衝ーーーーーー動ッーーーーーー!!!!!
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キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!
中学2年だったおれは、とりあえず爆発させておけば歓喜する単純な生き物だったので、こうしてB'zに惚れ直しましたとさ。
おわり