エルメスの角砂糖入れ/私の叔母さん
2014年12月23日まで開催されていた、東京国立博物館の エルメス「レザー・フォーエバー」 。
美しい建物の中、エルメスの革製品がテーマごとに分かれ趣向を凝らして展示されていた。
馬具のコーナーは本物の馬場のように砂が敷いてあって、通路の絨毯まで足跡の型押しがしてある凝ったもの。解説書で見覚えのある言葉を見つけた。
「馬用の角砂糖入れ」
私はどうしてこの言葉を知っているんだっけ。番号にあわせて展示を目で追う。サドルやバッグのあいだに金茶の革で出来たちいさな円柱型のケースがあった。手のひらにのるサイズで高さは5.6センチくらいか。ふたをかぶせる形で、ロゴの入った金のスナップボタンひとつで留める。
これは、私の叔母が財布として使っていたものだ。
と、気づいた瞬間に30年前の記憶が一気によみがえってきた。
忙しく働きながら、病気をした母親(私にとっては祖母)の顔を見に叔母は週末よく家に遊びに来ていた。おみやげの定番はヒルサイドテラスのケーキ、パリで買った手袋やお下がりの服。そしていつもバッグに無造作に放り込んであるエルメスの角砂糖入れ。傷も汚れもついて、中には硬貨だけじゃなくて折り畳まれたお札や車の鍵までぶちこんであった。スタイリストという領収書が溜まりに溜まる仕事をしていたのに、どうやってあの財布でやりこなしていたんだろう。
今ならそんな疑問がわくけれど、小学生だった私には角砂糖入れの財布は叔母のトレードマークであり、憧れのアイテムだった。
大人げない大人の象徴。叔母はアウンサンスーチー似のエキゾチックな風貌だけど、エルメスの角砂糖入れを使う姿は想像上のパリジェンヌのようで、100円玉がフラン硬貨に見えた。自由や小さな反抗心が、財布のかたちを逸脱した財布に詰まっていた。
叔母が来ると家の中が楽しくなる。両親と祖父母と弟との日常もそれなりに賑やかだったけど、叔母の来る日は祖父が張り切って大量の料理を作り、母はお喋りの相手と頼りになる手伝いがいて嬉しそうだった。私と弟は叔母をちゃん付けで呼んでじゃれ、父は誰よりも先におみやげのケーキを食べ、喋ることのできなくなった祖母は皆を見て楽しげに笑っていた。
叔母は遊びにくると煙草や鍵や手帳など、必ずといっていいほど何か忘れ物をしていった。服もなくしたり、人にあげたり。良くも悪くも執着がないのだ。
エルメスの角砂糖入れは、落としたのか、壊れたのか、いつの間にか叔母のバッグから出てこなくなった。
元不良娘で早々に結婚し、離婚後も元夫と妙な仲の良さでつながっていて、面白い仕事と友人に囲まれてきっと恋人も途切れなかった叔母。
「独身で子供を持たない女性は社会の中で生きにくさを感じている」ということを私が知ったのは、実は最近のことだ。率直でシニカルな面もあるけど子供のように単純で楽しくて、頭が良くておしゃれ。叔母のそばにいると、独り身で子供がいないことはただそれだけの事実であり、マイナス要素とは思えないのだ。
馬は甘い味を好み、ご褒美として調教の後に角砂糖を貰うのだそうだ。
それでは叔母はあの頃、角砂糖を舐めるように面白おかしく暮らしていたのだろうか。それだけではなかっただろうと、大人になった今ならわかる。
自由に生きて、そこについて回る義務や面倒ごとや孤独を引き受けて、その上で気楽に暮らしているように見える、粋でおしゃれな私の叔母さん。
大好きな私の叔母さん。
子供がいてもいなくても、結婚してもしなくても、女はいつかおばさんになる。
ならば、オバさんじゃなくて叔母さんになりたい。
姪がいてもいなくても、素敵なものを携えてふらっと遊びに来る、粋で楽しい叔母さんに。
今、私にも8歳の姪がいる。角砂糖入れの財布に憧れていた自分と同じ年頃だ。
大きな紙に姪と一緒に絵を描いた。水族館の絵。私が真珠貝や巻貝を描くと、彼女も真似をして同じ貝を描こうとする。
30年前、叔母の仕事の書類の中にあったスタイル画をみつけて同じような絵を何枚も描いたことを思い出した。昼下がりの実家のリビングで、叔母は煙草を吸いながら週刊文春を読み、その側で私は貸してもらった雑誌のロゴ入りスタイル画の横にお絵かき帳を並べ、丸に十字をひいただけの人物の顔を真似てはカッコイイ…とうっとりしていた。
姪は「ももちゃんと遊ぶの、めっちゃたのしい」と言う。
私も、叔母のまりちゃんと遊ぶの、めっちゃ楽しかったよ。
なにかひとつエルメスの製品が手に入るなら、あの金茶の革の角砂糖入れが欲しい。
と、まるで故人のように綴っていますが、叔母は健在で私の100倍夜遊びして仕事して元気に暮らしています。
彼女は今、モノグラムに草間弥生のペイントをのせた財布を使っている。