是、頃; 灯日する
これは、一人のヒトと、一つのモノに向けた物語である。
「カチッ」。
プルチェーンを引いた。ふわりと、温かい光が家の中をコーティングする。ステンドグラスの模様が壁に映し出され、僕の眼もあっという間に覆い尽くした。それを見ると僕の心は落ち着くことを知っているようだ。
遡ること二年前。
仕事中に一本の電話がかかってきた。「すみません商品を査定していただきたいのですが…」僕の日常には当たり前の出来事である。毎日お客様から家具や家電製品などの買取依頼の電話がかかってくる。いや、わざわざかけてくださっている。「お電話ありがとうございます!どのようなお品のご依頼でしょうか?」僕は聞き返した。
「実は、介護施設に来ていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」珍しい依頼だった。伺う先は大体一軒家とかアパートとか飲食店などがほとんどだが、まさか「介護施設の一室」に来て欲しいという依頼を受けるとは思いもしなかった。「わかりました!どちらの施設でしょうか?」
僕はお客様の詳細を聞いて、後日行くことにした。お店からは10km程度離れた場所で、少し丘を登った先にその施設はあった。ある程度どんな依頼品があるのかを聞いていたので、スタッフをもう一人連れて軽トラで行くことにした。
道中、僕は数年前に亡くなったばあちゃんのことを思い出していた。生前、小学生の頃から口酸っぱく「人に会う時は、挨拶だけしっかりな」とお盆や正月、長期休暇時、家族で帰るたびに言われていた。べつに挨拶ができないやつではない。一般的なマナーはちゃんとあるほうだ。ばぁちゃんが亡くなる前の数ヶ月は僕の名前も覚えていなかったが、悲しい記憶ではない。儚いヒトの存在を噛みしめ、教えだけを心に宿す。僕はその教えをずっと大事にしている。
何かにビビりそうなとき、その言葉を思い浮かべると何となく気が引き締まる。僕がビビりなやつだってわかってたから、最初に一発かましておけば後は大丈夫や、とでも言いたかったのだろうか。
そんなことを考えながら車窓を眺めていたら、いつの間にか施設に到着していた。
施設の受付に行くと、スタッフから怪しい目で見られた、脚が少し竦むようなギスギスとした空気。視線が僕のほっぺをチクチクと刺してくる。いきなりこんな若造が乗り込んできたら無理もない。僕はばぁちゃんの言葉を思い出し、「お世話になります〜!査定の件で伺いました!」と電話口で声変わりする奥様みたいな口調と満面の笑みを向けた。スタッフは少し安堵したような顔で、依頼主の一室へ案内してくれた(ばぁちゃんありがとう、僕らはスタッフからどう思われていたかのか気になるが)。
一室に案内されると、そこには一人の男性がいた。
大きく開いた窓から流れ込む風、ベッドの布団はくしゃくしゃの状態で、人が起き上がって外出したであろう一間の、一室の日常が僕の五感をすり抜けていった。
部屋にはほとんどモノがなく、「もうすぐここも出るので、色々と片付けちゃって、残った家具や家電を査定してもらったらそのまま引取作業までお願いします。」淡々と話す一人の男性は弁護士の方だった。どうやら電話口で依頼してくれた人とは別の人っぽい。ご家族の代理で今回立ち会いを任されたようだ。
ベッドが置かれた部屋は6畳一間ほどの広さだった、一人暮らしするにも申し分ない広さだ。ベッド以外にテーブルと椅子とキャビネットが置かれていた。機能面重視で誰もが使いやすいユニバーサルデザインが重視されるであろうこの一室には相応しくないデザインをした家具が置かれていた。イタリア家具の象嵌細工(異なる素材を彫り込んだりはめ込んだりして装飾を施す伝統的な工芸技法)が施されたものばかりだった。
僕の目線が気になったのか弁護士の男性は話しかけてきた。「"生前"この方はアンティーク家具が好きだったらしく、こういった派手な細工も楽しんでいたらしいですよ。査定できそうですか?」
"生前"、か。僕の五感をすり抜けたのはもしかして…まぁこんな思い込みを信じても仕方ないだろう。こういった依頼は特別なことではない、いつものように僕は受け流すことにした。
査定依頼があってこそ成り立つ商売、利益がどれだけありそうか?そういったことを当たり前のように考えるのが普通なのだか、僕は査定状態にあるモノの間があまり好きじゃない。「使われていたモノ」から「モノ」に帰ってしまう時間がある。それは"使われていた"という事実がなくなり、モノにあった感情がこぼれ落ちてしまったと僕は考えている。だから救ってあげなくては、何とかしてあげたい衝動に駆られながら査定しまうこともある。
しかし、査定は感情でするものではない。ましてや僕が買うわけではないのだから。いつもそっと気持ちに蓋をしてから、合理的な目で僕は状態を確認している。
その後はメンテナンスをして、引取させてもらった家具たちは店頭へ並び、新しい持ち主のところへ旅立つこととなった。僕たちはモノを販売することだけが仕事ではない。たとえ、使われていたモノからモノへ変わってしまっても、それはつまり、「これから使えるモノ」として現在進行形でまたヒトへと繋ぐことができるのだ。
そして、僕たちが介入することで新しい価値観つまりは新しい視方を提案し、こんなふうに使ってもらえたらいいなと頭の中で描く。言葉にせず、レイアウト、コーディネートを通して「視る」という表現で実は伝えている。
それを汲み取ってほしいということではなく、ただ、僕はそう想いながら仕事をしている。
話を戻そう。
査定が一通り終わった帰り際、常設してあったキッチンのシンク上に、なぜそこに置いたのかわからない"ステンドグラスのテーブルランプ"があった。冷たいステンレス台の上にポツンと。片付け途中で置いただけなのかもしれない。灯りはついていないし、ステンドグラスには埃が被っていた。おそらくあまり使われていなかったのだろう。少し埃をはらうとオレンジのような、黄色のような、綺麗な花模様のデザインが見えた。
プラグをコンセントにさすことなく、僕はプルチェーンをそっと引いた。
「カチッ」。アンティークの家具に相応しい低くこもったような音。しばらくその状態を眺めていたことを覚えている。モノと会話をしたわけではないが、手を繋がれたようなその感覚に僕は惹かれた。「すみません、こちらも査定対象に加えてもよろしいでしょうか?」思わず弁護士に相談した。「いいですよ、ここにあるものはできる限りお願いしたいので。」と弁護士は淡々と答えた。
僕はステンドグラスのテーブルランプの引取もしたのだが、後になってそのままでは販売ができないことに気づいた。会社規定のルールに則ると、ランプとしては使えない状態且つオブジェとしての販売をしないとダメだった。
このままにしておくことも勿体無いからコードを切ってしまおうかとも考えたが、"この状態だから引取したのに"と思い返して販売できないならお店の備品で使おうと考えた。少し暗かったレジ周りにもちょうどいい大きさで、僕は場所をつくりなおしてステンドグラスのテーブルランプを置けるようにレジ周りを調整した。
「カチッ」僕は手を繋いだ。白熱球の熱い電球はステンドグラスによって人肌温度を保った。本当に「意思あるモノ」と手を繋いでいるようだ。温かい気持ちになる感覚が不思議な体験で今でも忘れることがない。
本当にどこから見ても可愛いデザインをしたステンドグラスで、来店する人たちも「これは販売しないの?」「お願いだから売ってほしい」終いには「いくらでも出す」と言う人まで現れたが、僕は頑なに譲ることをしなかった(そもそもできない前提がある)。
このランプに吸い寄せられるように数えるだけでも多分50人には交渉を持ちかけられた。どうやら人を招くランプのようだ。
そして、現在。
ステンドグランスのランプはいま、僕の家にそっと佇む。
ここの経緯はややこしい話になるので省かせてもらうが、とにかくいまは僕の部屋を灯し続けている。
僕は、このランプを通して大切な人と出会ってきた。
出会わせてくれた。ランプが導いたように、引き寄せてくれた人たちと集まり、話した。今までに無かった感性を僕は五感で体感し、たくさんの人と心を通わせることができた。このランプには本当に感謝している。
僕は想った。
「この体験を僕以外の人たちにも紡いでいきたい」と。このランプが誰かの手に渡ることでつくられる輪を、僕ではなく、渡したいと想った人の手によってその人の周りが波紋のように大きく広がり繋がっていけばいいなと。
僕は、このランプの譲り先を決めていた。この拙い文章とともに渡したいと思う。なんだか気恥ずかしい気持ちもあるが、彼がプルチェーンを引くことから物語はまた始まり、波紋ができる。僕は傍らで彼の物語を一緒に楽しみたいと思う。ハッピーバースデイトゥーユー。