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「昭和少年事件帳①」人間よりも新車の方がチョ~貴重だった時代の事件!      

(はじめに)これは、私が青少年期を過ごした昭和時代の話です。

 同じ時代を生きた皆さんをはじめ昭和をご存じない世代の皆さんにも楽しんでいただければ幸いです・・では、事件の始まりです。

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 この事件は、私がまだ小学校に上がる前の話なので記憶に残っている最古の事件です。

 この日、私はオヤジと二人で地元の公民館にやってきました。

 とはいえ子供参加型の催しとかではなく、月一で開催されていた地区の寄り合いでした。

 寄り合いはイコール飲み会なので子供には退屈なだけなのですが、多分お酒を飲めない人達向けに配られるお菓子が目的だったんだと思います。

 真っ昼間から始まった寄り合いは、辺りが薄暗くなり始めた頃にようやくお開きとなりました。

 ですが、私がそのことに気付いた時は、公民館の中にオヤジの姿はありません。

 あれっ?何処にいったんだろう?と表にでると、千鳥足のオヤジは公民館前の道路をヨタヨタしながら渡り終えていました。

既に道路を渡り終えていオヤジ

 この時、なぜ?未就学児だった私の手も引かずに一人だけで道を渡ったのか今でも不思議ですけど・・

 まさか?酔っぱらってて、我が子のこと忘れてた訳じゃないよね?(今は亡きオヤジに確認すべき手段はありませんけど(笑))
 
 当然、置いて行かれては大変と急いで後を追おうとしたのですが、そばにいた近所のおばさんに横断を止められました。

 “車が来よるから待たんね。” 

近所のおばさんに止められた私

 見ると右側からライトを点けた大きなトラックが近づいてきます。

 まだ舗装されていない砂利道を砂埃と共にトラックが目の前を通り過ぎた次の瞬間、勢いよく道路に飛び出しました。

 と、同時に聞こえてきたのはオヤジの『来るなぁ~!』って叫び声とおばさんの悲鳴、そして車が急ブレーキをかけた時に鳴るあの独特の軋む音です。

 そうです、トラックの陰になってその直ぐ後ろにはもう一台、車がいたのです。

 キキキキキィー ドンッ!

車に撥ねられた瞬間の私

 止まりきれなかった乗用車のバンパーが私の右脇腹付近に当たりました。

 次の瞬間、時の流れるスピードが変わりました・・

 たった6歳だったのに、なぜこの時のことを鮮明に覚えているのかといいますと、人間が危機的状況に陥った時に感じるというスローモーション現象を経験したのです。

 実際は車にはねられた反動で強くはじき飛ばされただけなのですが、体感上は、ふわりと両足が地面から離れ宙に浮きました。

 そして、ゆっくりと首を回して自分の飛ばされる方向を確認します。

 「あっ! 溝(みぞ)に落ちる・・」

 溝といっても現在のような三面コンクリート張りのU字型の側溝ではありません。

 当時の溝は、先人達が手掘りして造った水路で実態は小川のようでした。

 澄んだ水が絶えず流れ小鮒やメダカが泳ぎ、幅もゆうに1mは超えていたと思いますが、その中央付近に見事に着水しました。

溝に落ちた私

 砂利道のお陰で車のスピードがさほど出ていなかったことと落ちた場所が水の上だったことで奇跡的にまったくの無傷です。

 オヤジが慌てて駆け寄ってきて私に怪我がないと分かると、車から降りてきたドライバーさんの元へ足早に向かいます・・

 『うちのバカ息子が飛び出してすみません。車に傷はなかったですか?ホラ、お前もこっちに来て謝れ!』

 「急に飛び出して・・ゴメンナサイ・・」

 “まぁ~怪我がなかったのならいいけど、今度からは気を付けなさい。” 

 『はい!後で叱っておきます。本当にすみませんでした。』

ドライバーさんに謝罪するオヤジ
(私、はねられたんですけど(笑))

 こうして、警察を呼ぶとか病院に行くこともなく、事故処理(?)はあっさりと終わりました・・

 当時、この辺りで新しい乗用車を見掛けることは本当に珍しかった時代です。

 思い起こしてみると、交通安全の標語も自動車側より歩行者側に注意喚起するものが多かったような気がします。

 つまり、至る所にゴロゴロしていた子供よりも・・新車の方が大事で、貴重な時代だったってことです・・・

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