生活論の基礎概念 第一章 ゲーム 3 精神の形態
精神および規範には、その従則に関して〈当事形態〉と〈期待形態〉がある。〈当事形態〉とは、その精神の規範を自分の行動に適用する場合であり、また、〈期待形態〉とは、その精神の規範を他者の行動に適用する場合である。どちらも、規範従則によるものであり、状況判断能力と行為認識能力を必要とする。このほかに、精神および規範には、実在的水準における〈誘導形態〉がある。それは、期待形態が諸物に投影されたものである。
精神および規範は、〈当事形態〉が基本であるが、しかし、[してもよい]という許可規範や[しなくてもよい]という免除規範は、〈期待形態〉を根幹としており、[しなくてはいけない]という義務規範や[してはいけない]という禁止規範についても、その行為認識と罰則規範に関して、やはり〈期待形態〉を背景としている。もとより、規範は、自己に負課されるものであって、自己が負課するものではない。したがって、基本的な〈当事形態〉においても、根幹的に、または、背景的に、〈期待形態〉においてその規範を従則する他者的であるものが同時に措定されている。
このように、共通の精神を〈期待形態〉において従則する他者的であるものは、〈ひと〉と呼ばれる。それは、具体的な実在の他者を指すこともあるが、一般には、共通の精神というより、同じ精神の私我の内部において自己ではないものとして立てられているものであり、第二の自己である。つまり、〈当事形態〉においても、その精神を採用する私我は、〈自己〉をその精神が負課されたものとして〈当事形態〉で従則しつつ、同時に〈ひと〉として〈自己〉がその負課された精神を従則することを〈期待形態〉で従則する。つまり、自分で実践しつつ、自分で認識する。そしてまた、許可規範や免除規範については、より積極的に〈ひと〉が否定しないことを〈期待形態〉において従則する。ただし、この〈期待形態〉は派生的なものである。
一方、〈期待形態〉は、許可規範や免除規範では、むしろ積極的に[当事者を否定してはいけない]という〈当事形態〉であり、また、義務規範や禁止規範でも、その行為を認識し、もし反則であるならば罰則規範を負課するという〈当事形態〉である。ただし、当事者の〈ひと〉に対する〈期待形態〉と同様に、この期待者の〈当事形態〉も派生的なものであり、その精神の期待者としての〈身分精神〉によるものである。すなわち、共通の精神を採用していることにおいて、その精神から、ある状況においてそれぞれに当事者と期待者という身分規定規範が適用されるのであり、この意味で、〈期待形態〉は、局点的ながら所有の一種である。それが局点的であるのは、その所有が特定の規範に限定されたものであって、そこにはもはや意図的に規範を定義する余地はないからである。
〈期待形態〉は、ときに、〈ひと〉を当事者として期待することがある。この場合、具体的な他者のだれかによって容易に期待が従則されることもあるが、待たなければならなかったり、繰り返さなければならなかったりすることもある。ここにおいては、実在的な諸物として〈誘導形態〉が〈期待形態〉に代替されることになる。すなわち、標識などによって、〈ひと〉に期待するのであり、〈ひと〉はまた、その標識の規定する規範を従則する。もっとも、〈誘導形態〉が規定することができるのは、〈期待形態〉が従則として期待してよいことだけであって、けっして任意のものではない。
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