第四章 人格主体 3〈法人〉
逆に、〈人格主体〉としての独特の現象、すなわち、行動能力や統整能力や意志能力があると思っただけで、我々は、なんらかの〈人格主体〉そのものの存在をも規範的水準において措定してしまう、つまり、あるということにしてしまう傾向がある。このように、〈自然人〉のように〈物〉を根拠として措定されるのではなく、〈人格主体〉としての独特の〈事〉を根拠として措定される〈人格主体〉を、〈法人〉と呼ぶ。〈法人〉には、その措定の根拠とされる〈人格主体〉としての現象によって、以下のような種類がある。
①〈幻影法人〉:現象として、行為の結果でもありうる出来事に統一整合性があり、したがって、そこに規範的な〈生活意志〉の存在が認められる場合、我々は、その背後に〈法人〉を措定することがある。しかし、その統一整合性はまったくの偶然にすぎず、そもそもその出来事は行為の結果ですらない場合、したがって、そのような〈人格主体〉は、まったく実在しない。けれども、[このような実在しない〈法人〉をあくまで規範的水準においてあるということにしておこうとする人々]もいるものであり、そのような〈存在協証規範〉を従則する行動を、その〈幻影法人〉に関する「信仰」と言う。
②〈陰謀法人〉:現象として、まさに複数の〈人格主体〉による行動が統一整合的である場合、我々は、それらの〈人格主体〉の背後に、それらの〈人格主体〉を所有する〈法人〉を措定することがある。そのように、それらの〈人格主体〉を所有する〈法人〉は、それらの〈人格主体〉を背後から操作している黒幕的人物とも、それらの〈人格主体〉がみずから服従して意志調整をしている〈共同生活体〉とも、考えられる。しかし、それらの〈人格主体〉は、まったく独立に勝手な行動をとっているだけであって、その間では何の調整も行われていないにもかかわらず、結果としてそこに統一整合性が出現したにすぎない場合、それらの〈人格主体〉を背後から操作しているとされた黒幕的人物は、先述の〈幻影法人〉であり、また、それらの〈人格主体〉がみずから服従して意志調整をしている〈共同生活体〉は、〈陰謀法人〉である。〈陰謀法人〉は、そもそも実在しないものであるが、しかし、それだけに、主観的には、誰がその成員であるか、その行動の統一整合性からしか判断できず、疑心暗鬼でいくらでも肥大化する。
③〈集団法人〉:〈陰謀法人〉とは逆に、実在する複数の〈人格主体〉が同一の集団に所属していることを自他ともに認めている場合、我々は、その集団を、[それらの〈人格主体〉の〈共同生活体〉であり、統一整合的な〈生活意志〉を持って、〈意図〉によって個々の〈人格主体〉に規範を定義する人格的な法人]として措定することがある。しかし、そのような統一整合的な〈生活意志〉を持つ〈共同生活体〉など実在せず、したがって、〈意図〉もないがゆえに、その集団に所属する〈人格主体〉も、その集団に服従しているわけではない。けれども、この場合にも、〈陰謀法人〉と同様に、その集団に所属する〈人格主体〉は、予定調和的に、調整なしに統一整合的な行動をとることもある。
④〈混濁法人〉:実在する複数の〈人格主体〉が同一の集団に所属していることを自他ともに認めており、かつ、その集団が〈共同生活体〉として明確に成員を定義している組織である場合、我々は、当然のように、その〈共同生活体〉に、[他の物事にも一般に統一整合性という〈生活意志〉を持っている人格的な法人]という様相を措定する。ところが、統一整合的に定義されているのは、成員くらいで、あとの物事は、乱雑なままかもしれない。ここにおいて、個々の成員が、[きちんと〈共同生活体〉として統一整合性を実現しないといけない]と考えている場合、それは、次の〈組織法人〉の過渡状態ないし失敗状態であるが、しかし、〈組織法人〉は、あくまで理念的なものであり、現実には、その法人の規範定義性や規範伝達性の抵抗はゼロではなく、このために、その組織の中心や末端では、多分につねにこのような混濁状態にあることの方が一般的である。また、ときには、もとより成員の誰も、[きちんと〈共同生活体〉として統一整合性を実現しないといけない]と考えていない場合もあり、つまり、あえて恒常的にこの〈混濁法人〉の形態を保っているかもしれない。なぜなら、この〈混濁法人〉は、規範を定義していないだけでなく、そもそも規範を定義する中心すらないだけに、いくら分断されてもそれぞれが独立に存続して、必要に応じて規範を定義して連係するなど、外部が支配しにくい不定型組織独特の強さを持っているからであり、成員相互の連絡が困難である広域活動や秘密活動にその強さを発揮するからである。
⑤〈組織法人〉:これが、いわゆる理念的な組織である。すなわち、それは、成員が明確に定義され、かつ、その成員がその所属する〈共同生活体〉に服従しており、その〈共同生活体〉が、[負課されている規範および独自の原則を考慮し、その成員たちの〈主体行動〉や共同生活体の〈生活世界〉に〈意図〉として規範を定義する〈私我〉]の意図能力、また、[そのようにして定義された規範に従って統一整合性を実現する〈生活意志〉]の統整能力、さらに、[その成員たちの〈共同生活体〉への服従によって形成される〈生活主体〉]の行動能力を随伴している。すなわち、ここにおいては、個々の成員の主体行動や〈生活世界〉は、その〈生活共同体〉に関するかぎり、独立のものではなく、その組織としての規範が考慮されているという意味で、その組織が所有している。そして、この成員の組織規範への服従という機制によって、この〈共同生活体〉は、法人としての〈主体行動〉も可能となる。つまり、〈組織法人〉は、その成員が外部にその〈組織法人〉を代表して行動することによって、行動することもできる。そして、この法人としての〈主体行動〉によって、法人としての〈生活世界〉を形成し、そこに法人としての〈生活意志〉も実現する。さらには、その成員がその〈共同生活体〉を代表して負課されている規範および独自の原則を考慮することによって、意図として規範を定義することもできる。したがって、規範的のみならず実質的にも多くの物事を所有することができる。このように、〈組織法人〉は、〈人格主体〉の独自の特徴を不足なく出現させているが、ときには、実際の〈自然人〉が〈様相協証規範〉によって〈人格主体〉としての〈身分〉を付与されても、実際の能力を伴わないことがあるように、内部機制が麻痺し、〈混濁法人〉に頽落することもある。