サイババの奇跡は私自身、何度か体験していますが、ちょっと変わった体験を一部お伝えします。
長野の穂の香の湯という温泉の銭湯の露天風呂で、バジャン(讃美歌)を歌いながら肩まで温泉に浸かっていた時のことでした。夜遅いせいもあって、そこには私ひとりしかいませんでした。周りの景色を消し去ってしまうほどの白い湯煙の幻想的な光景。そこにうっすら浮かびあがる美しい大きな御影石、するとそこにぴたりとサフラン色のローブをまとったサイババの御姿が重なりました!白い湯煙の中でババの光輝は目もくらむほどでした。その御姿は神の威厳そのものというより、身近に遊びに来てくれた友だち、そんな雰囲気でした。御影石の上のババは足首から下だけを湯につかり、両足を交互にバチャバチャしていました。
ババは私がいる場所からすぐ左横に腰掛けていました。その角度からババは顔だけを、湯に入っている私に向け、ニーッとイタズラっ子のように笑っていました!その瞬間、目の前の景色がババと私だけになりました。「ああ、ババだあ、やっと会えたあ…。」時間も空間もそこには存在しない、静かで、美しい、優しい夜でした。
そして帰り道もずっと、ババのその御姿を想い浮かべていました。その夜はなぜか寝る前まで目眩と、そして足がおぼつかずふわふわしていました。家に着くと私は、そのままサイの美しい御姿を目に焼きつけたまま眠ってしまいました。今想えばもったいない、あの露天風呂のダルシャンで、スワミと話をすべきでした。 いや、静寂の中とババと向き合う方がよかったのかもしれません。
世間を騒がせていたあの事件。
「オウム真理教が持っているサリンで地球4個分破壊できる。」と、あるコメンテーターがTVで言っていたとき、今まで感じたことがない恐怖が押し寄せてきました。
私は泣きながらサイババに祈りました。「ババ、どうか世界の平和をお守りください。」と。祈っている最中、手に持っていたスワミの写真からヴィブーティー(神聖灰)がポツポツと浮かび上がってきました。
長野県飯田市にいた頃、自宅近くにあるスタジアムで、誰もいない中ひとりでマハー・バーラタやバガヴァッド・ギーターに関するスワミの講話集である『青い山の夏の薔薇』という本を読んでいた時でした。
ラーダーが村から追われ、隠れる場所もなく、ただクリシュナを想っている場面。ラーダーは「村で面倒なことが起こり、私にはもうどこも隠れるところがありません。私の命をつないでいるのはあなたを想うことだけです。あなたの笛の音を、どうか私の中に奏でさせてください。」と想いながら息絶えるところでした。
私はラーダーにすごく感情移入してしまい、涙が出てきました。すると誰もいないのに突然、ジャスミンの甘い香りが漂ってきました。周りを見るとやはり誰もいません。何気なしにふと、読んでいる本の表紙のサイババの写真を見ました。私は動けなくなりました。なんと表紙のサイババの写真からヴィブーティーが膜になって浮き出していたのです。
1994年の年末にサイババのアーシュラムを発つ前に、ただひとつのことをスワミにお願いしました。
「私にあなたを刻み付けてください。私をあなたから離れさせないでください。」
アーラティ(灯火の儀式。愛も欲望もエゴもすべて神に捧げ、神から恩寵の光を受け取る)が始まりスワミが立ち上がり住居へ戻られるまでの間、真正面の私の目をジーッと見ていてくれました。私の目の前を通り過ぎても、スワミの首がもうこれ以上後ろにいかなくなるまで、私の方にまだ振り返って見ていてくれました。スワミは、帰依者の純粋な真実の願いを必ず叶えてくれます。
この時のスワミの御姿は今も私の目に焼き付いています。この御姿をヴィジュアル的に残したい、そんな衝動にかられました。そして、私は絵の具と画用紙を買い、心に焼き付いているスワミを描きました。数日かかりましたが、完成する直前の明け方、描いているこたつで寝てしましました。
そして夢を見ました。場所はインドのサイババのアーシュラム。らせん階段を上がってスワミのご住居に入りました。ババは自らの手で、私にタピオカ饅頭と食べさせてくれました。甘くておいしい。そして、ミルクも飲ませてくれました。お腹いっぱいになり満足していると、ババはなぜかジョンソン&ジョンソンの青い歯ブラシを物資化してプレゼントしてくれました。
こんなにババに良くしてもらって申し訳ない気持ちになり、私は何かお返しがしたいと思いました。
「そうだ、描いたババの絵を捧げよう。」
その場でバッグや荷物の中に、絵を探していると、そのまま目覚めました。そしてこたつの上に私が描いたババの絵があったのです。
『神を信じる者は、限りない力を持つ神を、自分の心の中に閉じ込めることができます。信じる者は神よりも偉大です。神を信じる者は、あらゆるものの中で最高の位置を占め、神さえも凌ぎます。神さえとらえてしまうこの偉大な力は、神を信じるすべての人が持っています。信愛の力は、神の凄まじい力さえも、封じこめてしまうのです。-サイババ-』