自分が世界が変わるヨガ体験⑦
真理は、純粋なハートから、良心または直感としてきこえてくる神の声です。その声に従って、危険を回避できた人もいるでしょう。逆にその声を無視したがために、面倒な問題に直面した人もいるでしょう。
過去は終わりました。未来はまだです。現在に楽しく生きて幸せでいましょう。どうしたら幸せになれますか。幸せは好きなことをすることではなく、自分がすべきことを好きになることです。
ヨガや瞑想、ヴェーダーンタ、バジャンもそうですが、霊性に関することは頭で理解するのではなく、感じることで、至福と平安を獲得できる領域なのです。
世界では善悪の戦いが起きています。同じように私たちの中でも善悪の戦いが常に起きています。多くの人々は、悪い事を避けて、善い事をするのが正しいと思っています。さらに素晴らしいのは、不幸に陥る無知にさまよっている人々を、助ける人はさらに善人であり神聖です。
ヨガを実践していくと、建設的な意見や考え方や感情を、豊かに表現できるようになります。さらに霊的人格的に成熟してくると、自分の感情や痛みや苦しみや悲しみ等、絶対に人に話さず、神にすべてを委ねます。
ヨガで何かを求めることは、急いで失敗したり、落ち込んで挫折する場合があります。ヨガは無限の可能性があり、多くを与えてくれるととらえ、結果にとらわれずに日々の実践を心地よく楽しむことが大切です。
人間の努力だけでは得られないものが、2つあります。それは、シャンティ(平安)とアーナンダ(至福)です。これらは、神の具現であるプレーマ(無私の愛)とバクティ(神への信愛)が神を動かした時に初めて獲得できるのです。
ヨガをやっているとほんのわずかな体の変化に気付くようになります。さらにヨガの実践を重ねると、意識の変化に気付き、外界で起きている事の意味や結末が見えることもあります。
言葉はある段階までいくと意味を持たなくなります。見るのではなく、聴くのではなく、ハートや意識で感じわきあがる、直観、良心、覚醒といいますか。世界にも誰にも何にもとらわれず、固定観念や先入観や感情や感覚はなく、静寂の中で神と1つになる、これがヨガのめざす況位です。
悪い人は確かに多いですが、敢えてお金や地位を選ばずに人への愛と奉仕に生きる人々は多くいます。その人たちは、愛と徳が魂を高め不滅の命を得るということを知っています。
ヨガをある程度極めると、人のオーラや未来や世界動向まど見えるようになります。これはごく自然流れです。この得られた能力は愛と奉仕という神聖な行動で役立てるべきです。逆に、この能力をお金儲けや誰かを陥れたり悪用すれば、得られた能力のみならず、悪用した人自身が神様によって滅ぼされます。
幸せの近道は、好きなことをするのではなく、やらなければねらないことを好きになることです。
確かに誰かに怒りたくなるでしょう。大切なのは、人の言動に関して怒るのではなく、シャンティ(平安)を妨げる自分の弱さ(感情の不制御・怠慢など)に対して怒りを差し向けるべきなのです。外側にではなく、自分の内側に向けられた怒りは確実に、人格的霊的向上につながります。
自分の外側で起きている戦いで、正義を貫くことも大事ですが、自分の内側で起きている(善と悪、真実と非真実)戦いで、正義を貫くことはもっと大切です。正義は、正義を守る者を守り、正義に背く者を滅ぼします。そして、真実より高い正義はありません。
人間にあって、他の動物にはない特殊な神聖な能力があります。ヴィヴェーカ(識別)とヴァイラーギャ(無執着)です。これらの能力は、人が間違った言動や方向に行こうとする時、内なる声である良心や直感が囁き、本当に必要な正しい道を示します。良心や直感は、神の声そのものです。
神のヴィジョンを得るための、深いスワミのお言葉。『神のヴィジョンは、心の清らかさと気高い人格を、育むことによってのみ得ることができるのです。- サティヤ・サイババ』
ヨガの先生で、筆舌に尽くしがたい事故や病気等で苦しんだり死に直面した方は、意外に多いです。そんなヨガの先生は、深みのある印象的な笑顔、それに声や振る舞いに愛と優しさとスマートさが滲み出ています。
たとえ真実であっても、正義であっても、起こりうるトラブルが予測できるのであれば、回避する道を選んだ方が良い場合もあります。これはヨガでも、外出時でも、仕事でも、家庭でもあてはまります。
奇跡の話をした時の人の反応。
➀感情が高ぶって涙を流す神の信者。
②『奇跡は人を救えない』と怒ったヨガ組織のトップだったスワミ。
③話をよくきいてくれたが無反応の元会社同僚。
④『どうして私に奇跡が体験できないんだろう』とがっかりしたヨギー。
➀と④の人は神様の慈愛と恩寵で豊かに降り注ぎます。②と③の人には、奇跡の話をすべきではありません。
ヨガを実践していたら、やられたらやり返すという発想を完全に捨てなければなりません。誰かに傷つけられたら、少なくとも耐えなければなりません。さらに心に余裕があるのでしたら、自分の傷つけた人を助ければ、世界が守ってくれます。
不思議なもので、人に愛されようとすると上手くいかず、人を愛すると上手くいきます。逆に、神様を愛するだけでは上手くいかず、神様に愛されようとすると上手くいきます。
この世に生まれ、人生の盛りを過ぎ、身体はあちこち故障し悩みをが増え、疲れやすくなり心まで弱くなっていく。だけど、体は徐々に衰えていっても、経験を積み重ね培った精神力と知恵と良心は、神々に匹敵するほどの輝きを放ちます。どんなことがあっても年老いた両親を助け、孤独にさせてはいけません。
スワミの言葉『愛の速度は、全宇宙を1秒で周ることができ、光の速度をより速い』、そうすると誰かが想う愛、誰かが話す愛、誰かが行動する愛が、いかに神聖で時空を超えて魂に響くかがわかります。
「シヴァナンダヨガのアーシュラムで、スワミ(出家しヨガなど霊性を教える師)になるんですか?」とよくヨガの先生や生徒さんに質問頂きます。素晴らしいことですが、私はスワミになりません。今いる場所と状況の中で、義務として、ヨガや霊性を実践しシェアできることに、幸せを感じているからです。
純粋な心でいつも愛と思い遣りの日々を過ごすのなら、必要なものは願わなくても、すべて与えられます。嫌いで望んでいないものでさえも与えられます。ですので人は潜在意識の中で、それらを享受する意味を認識しなければなりません。受容したものは受容者に最高の価値を与えます。それが神の恩寵です。
ヴェーダーンタの開祖・シャンカラチャーリヤは、すべてのものの中にただ1つの神が宿る「不二一元論(アドワイタ哲学)」を説いた以上に、母親を神として崇めることを守り実践していたことは、あまり知られていません。聖者でさえも、聖典の教えよりもまず、目の前の母親との約束を果たし幸せにしたのです。
好きな音楽を流してヨガやって大丈夫ですか?という質問。ヒーリング系やクラシック等、心地よくヨガできれば、音楽を流してのヨガはOKです。私も以前、バジャンを流しながら心地よくヨガをやっていましたが、バジャンの波動に入り過ぎてヨガが止まった事があります。音楽に意識を持っていかれない注意は必要です。
癒しの音楽を流したり、海や山や川のほとりなど自然の中で気持ちよくヨガを行うと確かにヨガの質が高まります。さらに、体や心や魂が成熟していくと、あえて癒し系の音楽を流さなくても、静かな場所であれば自然と、ヨガの効果が意識レベルで高まっていきます。
現在の茶番コロナの中、参加者全員にマスクを強要するヨガのクラスがあるそうです。そのヨガの先生が解剖学を学んで、当たり前の免疫の知識があるのでしたら、マスクは感染症や呼吸器障害や皮膚炎など不利益が起きることは容易に想像できるはずです。
義務はその人にあつらえれた神聖な仕事であると、古代聖典は宣言されています。『自分以外の義務を引き受けてうまく成功するよりも、たとえ下手でも中途半端でも自分の義務を果たしなさい。自身の義務を成し遂げて死になさい(バガァヴァッド・ギーター・第3章35節)』
肉食から突然、菜食にすると失敗することが多いようです。最初は、牛からやめて、次に豚も、次に鶏もやめ、最後に魚等をやめる等、ゆっくり実践もありです。動物がカルマを果たす前に、人間に殺され食されると、その動物は次回人間に生まれ変わり、変な言動や不道徳や非人間性に陥りやすくなります。
ヨガでは食物の質と量に注意することは極めて大切です。肉食等動物を避け、菜食や穀物にし、動物的思考行動を除去。食物の質、例えば添加物や農薬等の有害で人工物を避けること。食物を育てる人、運搬する人、作る人、給仕する人の人格や、使う皿や包丁や鍋等に注意すること。1日2食から1食に減らす。
菜食の人は、無農薬野菜とか有機玄米食などを実践していて素晴らしいです。スイーツはどうですか?一般的なアイスやパンケーキ、チョコレートやクッキーなど好きな方がいるかもしれません。ただ、これらスイーツに使われている白砂糖は牛の骨で濾過精製されていること、ご存知な方は意外と少ないです。
菜食インド料理のナタラジ銀座店のカレービュッフェが大好きでした。でも、茶番コロナ以降、お店はビュッフェ中止。残念ですが今は外食が激減しました。それでも、ある真実に気付いてハッピーです。人間は、満腹時よりも、空腹時の方が、体調が良く、集中力も注意力も想像力も直感力も冴え渡ります。
大事業を達成するには、まず資金を調達しなければならず、そのためには何かしらの担保か保証が必要になります。同じように、ヨガの最終である大成就(解脱や神との融合)を完遂させるためには、ただ1つ、純粋さという保証が必要です。この純粋さは、あらゆる壁を突破できる破壊力があります。
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裕福の方は、多大な努力をして、ご自身のあらゆる欲望が満たされることで、幸せを感じます。それは素晴らしいことです。さらに、世俗の資産よりも、霊的・人格的資産を重視しているヨーギは、欲望がみるみる減っていった瞬間、幸せを感じます。これは体験して悟った時に初めて感じられる況位です。
テレビは洗脳装置です。考える力や識別力や想像力などを奪い、善悪の判断力やさらに愛と思い遣りさえ失います。『テレビなどの(映像)は蜂蜜を塗った刃のようです。蜂蜜をなめるなら、刃は舌を切ります。全世界がテレビの悪影響に犯されています。世界には無秩序、不和、欲求不満が溢れています。テレビを見ることを完全に止めなさい。- サティヤ・サイババ』
ハートがとけていく、不滅の魂を得るための祈りです。『主よ、どうか私が、慰められるよりは慰めることを、理解されるよりは理解することを、愛されるよりは愛することを求めますように。なぜなら、与えてこそ受け取り、許してこそ許され、己を捨てて死んでこそ永遠の命を得るのですから。- アッシジの聖フランシスコの祈り』
慈悲深いカルナは悪徳カウラヴァ族の中で生活しましたが、死ぬ直前まで人を助けたため、最期にクリシュナ神のダルシャンを得ました。同様に、最期までイエスと貧民を愛し奉仕したマザーテレサは、確かに人身売買トップのバチカンの組織の下にいました。彼女は果たして神から全く愛されなかったでしょうか?
スワミがある方に与えたちょっと恐い御言葉『不正な手段で手に入れた金銭で暮らすと、ある程度の病気の原因となり、また世の中にこれまであまり知られていない奇病になります。』想い当たる方、もしかしたらいるかもしれません。
永遠の至福と平安な存在を悟るためには、永遠の存在の内にある永遠の場に、常に自身を置かなくてはなりません。そこは時間も空間も因果も超えていて、渇望によって初めて辿り着くことができる深い静寂の意識です。
ハートを浄めることが大切なサーダナ(霊性修行)です。『ゴールにたどり着けるのは純粋なハートの持ち主だけです。あなたのハートに従いなさい。純粋なハートは知性を超越して探求します。純粋なハートは、神から直接インスピレーションを得ることが出来るのです。- サティヤ・サイババ』
今この激動の時代に生きている人は本当に幸せです。まるで奇跡のように、世界中のあらゆる悪が善にとって変わるのを、目撃できるからです。もっと凄いのは、同時に自分が持っている欠点や悪いものを克服できて、愛と真実を基盤とする黄金の時代で生きることができるからです。
スワミが語った詩、霊的な英知が集約されています。『せっせと働く農夫は餓死を恐れません。神の御名を唱える者は、世の中の悩みがありません。無口な者は敵意を受けることはありません。人は喋りすぎによって口論の餌食になります。語ることを少なくすれば、親しみの感情が生まれます。慎重によく考えて行動する者は、危険を恐れることはありません。- サイババ』
ヨガなど霊性の道を歩んでいる人が今一番、私たちが意識しなければならないこと。『抱えている全てを神に捧げて、神に全託しなさい。そうすれば神はあなたの面倒を見ます。無条件の全託によって生まれる至福を体験しなさい。過ぎ去った落胆や苦しみは一切、忘れてしまいなさい。決心するのはあなたです。それをいつ行うかもあなた次第です。私はここにいて、あなたを待っています。- サイババ』
強い意志は、霊的人格的に成熟してくれば誰でも得られます。『強い意志は最強の薬です。自分は不死なるものの子であると知った時、あるいは自分は主の恩寵を得た人間だと知った時、意志は強くなります。- サティヤ・サイババ』
ヨガを頑張っている人の目的や目標は人それぞれです。心身の不具合の治癒、ダイエットや運動、ストレス解消、上級アーサナの習得、能力開発、霊性修行等。ここで1つ意識すべきことは、ゴールまでの間、心地よく楽しめ幸せを感じていられることが大切だということです。
シヴァナンダヨガのマントラも実はヴェーダです。ヴェーダには人間が幸福になれる秘訣が多く散りばめられています。古代インドの聖人たちでさえ、善がいかに大切で意識していたか、想い起こされます。『私たちに善を授けてくださいますように。すべての人々に善が浸透しますように。すべての動物が平和で暮らせますように。木々や植物がよく育ち、あらゆる生き物と共存できますように』 ヴェーダの祈り・プルシャ・スークタム
ヘッドスタンドやカカーサナ等のポーズできないと悩んでいる方々は多いです。こう思った時点で、もうヨガが楽しめないと思います。解決方法は2つ。苦手ポーズはやらないで、同様の効果がある簡単なポーズをやる。何としてもポーズを完成させたいのでしたら、先生に時間をもらって直接教えてもらう。
スコーピオンやマユラーサナ等の上級アーサナが苦手な先生や生徒さんは多いです。上級アーサナを極めるポイントは、ヘッドスタンドやカカーサナができることが必須です。それらができたら、上級ポーズを取りながら説明できる先生の元で、指導を受けることが完成の近道です。
サンスクリット語の1文字のオームがどれだけ凄いパワーがあるかは、唱え続けた人にだけ認識されます。『“オームカーラを21回唱えると、スダルシャナ・チャクラ(ヴィシュヌの円盤)と呼ばれる聖なる武器があなたの頭の上に作り出されます。そしてそれは頭上に留まり、残りの一日の間あなたを守護します”サティヤ・サイババ』
死んだら一握りの土さえ持っていけません。永遠に持ち続けることができるのは善行と徳です。『たとえ財産を失ったとしても、人間性という財産は失わないようにしなさい。つねに笑顔で、至福に満ちながら、人生を送るようにしなさい。サティヤ・サイババ』
ヨガの道を歩む人にとって、識別と無執着は常にセットで、常備すべき両翼です。例えば、無私の奉仕は素晴らしいのですが、奉仕を受け取る人が本当にその奉仕が必要かどうか識別しなければなりません。また、ヨガなど霊的知識を持っているのでしたら、自分の内に留めず分け与えることが大切です。
結婚披露宴に出席する前は、服や髪型をきちんと整え、持ち物にも最善の注意を払います。同様に、憎悪や不安や貧困や病気や争闘など全くない黄金の時代を迎える前には、自分の怒りや憎しみや嫉妬などを完全に克服して、エゴや欲望という発想がわかない程の愛と奉仕の人生を送らなければなりません。
全託の大切さ。『あなたが全てを神の意思に委ねて自分の義務を果たす時、間違いなく仕事は成功するでしょう。- サティヤ・サイババ』
『まもなく地球上からあらゆる不安が根絶されます。誰もが神聖な思いをもつようになります。すべての人が神の至福を味わうでしょう。困難も苦しみもなくなります。まもなく国中が平和と幸福を味わいます。』バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイババの御言葉。敬愛するグルに言われると安らぎと幸せに満ちてきます。
人間は元々、幸せが本性なのです。幸せでない人がいたら絶対おかしいのです。聖典では確かに、幸せは外側にではなく内側にあると宣言されています。でも、これから迎える黄金の時代は、外側も内側も表裏一体、幸せであることが確定しています。
『全てのヨーガの修行は、倫理的訓練と道徳的完成を土台としています。ヨーガの過程では、罪の絶滅と徳の発達、人の嫌がることはしない、人の喜ぶことをするのが第一歩です。』我らがスワミ・シヴァナンダは、このようにインド聖典の神髄をわかりやすく教えてくださいます。
サンカルパ(神の意思)は真実で絶対ですが、バクティ(信仰)とサーダナ(霊性修行)の度合いによって変わるのも真実です。そうスワミは宣言しています。サンカルパは人知を超えた壮大な神の計画があるので、たやすく論じたり落ち込んではならず、神の恩寵として受け取らなけらばならないのです。
奇跡でさえもサンカルパ(神の意思)ですが、神聖奇跡を体験した事のない人には、魂がとろけるような甘い感動も知りません。ですので体験した奇跡を、望んでいない人に話すと想定外の不和が生じることがあります。甘い物を味わった事がない人に、甘い物の話をすることは、退屈で拷問以外何物でもないのです。
失敗に嘆かず、期待し過ぎず、今を楽しく幸せに生きましょう。『過去は過ぎました。どうして既に通って来た道を調べるのですか。過去の間違いを嘆いたり、過去の落とし穴の深さを測ったりしてはなりません。未来はまだやってきていません。現在の可能性に満足し、前に進みなさい。-サティヤ・サイババ』
神聖な生活を望む人は必ず実践すべきこと。『絶えざる統合意識(Constant Integrated Awareness)とは、あらゆる場所で、あらゆる時に、あらゆる創造物の中に、常に至高の神を思い描くという体験です。- サイババ』
『全世界は今日、心配事や恐れで苦しんでいます。しかしすぐにその黒い雲は追い払われ、幸せな時代が全世界に訪れるのを、あなたが見届けられることを私は保証します。』バガヴァン・サティヤ・サイババの嬉しいお言葉。今が一番辛いですが、頑張る勇気と力が湧いてきます。
今、時代の転換期です。この時代に生まれた人は本当に幸せだとつくづく思います。『すべての人類が兄弟愛で満ち、神を父と呼ぶ日が、輝き美しさを増しながら、すぐ近くまで来ています。全世界はこんにち、心配事や恐れで苦しんでいます。しかしすぐにその黒い雲は追い払われ、幸せな時代が全世界に訪れるのを、あなたが見届けられることを私は保証します。- サティヤ・サイババ』
*きらめく美しいヨガ的生活の体験から得られた言葉をまとめました。
愛と優しさをいっぱいありがとうございます!