心に銘記しなけばならないこと
誰かを激しく愛したことがあるでしょう。だけど、悲しいですが、その愛はいつか必ず終わりが来ます。その愛を、至高神に差しむけたら、どれほど慈愛や恩寵や加護が与えられるか、想像できますか。神への愛は、魂が現世でも来世でも、飢えや渇きに苦しむことはないと、スワミは宣言されています。
『心の底から何物かを欲したいと思うのであれば、決して衰えることのない神を求めなさい。そうする代わりに、子孫や富や様々な快楽を求めたとすれば、すべてを手放してこの世を去らねばならない時に、 あなたは筆舌に尽くしがたい惨めさに陥ることになります。その時あなたは「ああ、私があれほど深く愛したのは、こんなに大きな声を出して泣くためだったのか?」と嘆くことでしょう。この儚い人生においては、喜びも苦しみも必然的に儚いものでしかありません。したがって束の間のものを追いかけることに夢中になって、至高なるもの、永遠なるものを忘れてしまうことは、人間にとって実に屈辱的なことであります。マーヤ(幻想)に影響されないマータヴァ(神)を無視し、マーヤに沈んで物事に時間を費やすことは、虚しいことです。その結果、最後に得られるものは、悲しみだけです。
この世の中には、永遠のものとして崇拝に値するものは、何ひとつありません。たとえあなたが誰かを愛したところで、 その愛にはいつか必ず終わりがきます。全く同じ神が与え、そして取り去ったりするのです。いっさいが神のものです。ですから、もともと神に属していたものを、神が取り戻した時に嘆き悲しむことは、なんと愚かなことでしょう。したがって賢い人は誰にも思い焦がれることはなく、何物に対しても必要以上に執着することはありません。思い焦がれたり、執着したりするのは、神に対してだけにしなさい。神のみが永遠です。神こそはすべての喜びの源です。神以外のものに対しては、ものはものとして、人間は人間として愛し、それ以上に愛してはなりません。ものや人をそれ以上に愛するのであれば、あなたはそれらのものの本質に惑わされていることを示しているのです。
この世ではいっさいが滅びるのです。今日滅びないにせよ、明日には滅びる運命にあります。至高神はどんなことがあっても、あなたを捨てることは決してありません。すでに無数の前世を経てきたあなたには、無数の母・父・息子・娘がいました。 しかし、それらの人々とあなたとの関係は今なお続いていますか。彼ら親戚はあなたとの関係をおぼえていますか。あなたは彼らにとってもはや何者でもありません。彼らはあなたにとって、もはや無関係の人々です。しかし、あなたと彼らは、不変の親戚として、至高神を共有しています。至高神はあなたの過去から現世までを照覧しています。そのようなありがたい至高神を忘れるとは、なんという悲劇でしょう。これ以上の悲劇はありません。 -サティヤ・サイババ-』
愛と優しさをいっぱいありがとうございます!