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お遍路ウォーキング日記(105:三十八番金剛福寺へ ⑫)

【2024年4月18日(木曜日) Day 105】

 新伊豆田トンネルを通過していよいよ土佐清水市に入った。札所三十八番金剛福寺のある足摺岬も土佐清水市にある。こう言えば響きは良いが土佐清水市はとにかく広大であと何日かかるかは予想もできない。

 昨日の日記のカバー写真に新伊豆田トンネルの入り口が写っていたが、このトンネルの全長は約1.6㎞程ある。歩きの人にとっては修行以外のなにものでもない。

 伊豆田は「いずた」とも「いつた」とも呼ばれかつては中村と清水を結ぶ「清水往還」と呼ばれる街道だったのだが「〜往還」と呼ばれる道が必ずしも大通りではないのは日本の他の場所でもたくさんあるようにこの清水往還も例外に漏れず難所で、その中心がこの伊豆田だった。

 ますこの道は険しい峠道だったと言う。それが1959(昭和34)年に伊豆田隧道が開通「伊豆田隧道」という言葉は今も使われているのでここでは旧トンネルと呼ぶ。旧トンネルが開通する2年前には伊豆田峠でバスの転落事故も起きていたのでトンネル開通は地元の人の悲願だったのだと思う。バスの転落事故で5人の犠牲者が出てそれを題材にした映画も作られたことでも有名だ。

 旧トンネルの伊豆田峠はその後国道に昇格、321号だったので「サニーライン」と愛称もつく(今でもそう呼ばれている)さらに平成に入ると峠のもっと下の方に長いトンネルを開通させ現在に至る。こちらのトンネルは言うなれば新トンネルで、昨日の写真にも登場したトンネルだ。

 旧トンネルは走り屋が屯し、最後は火災事故も起きて閉鎖、埋め戻されて現在は双方の入り口までは見られるが中は通行不能。今となっては高知県屈指の心霊スポットとして悪名高い。

 そしてかつてからあった旧道はいまだに古道旧道マニアや古い遍路道にこだわる巡礼者がマチェットを片手に歩くと聞いたことがある。

 峠の新しいトンネルは往々にしてその長さで峠の険しさがわかるものだが、トンネル全長が1.6㎞ともなると相当険しい峠だった事がうかがえる。

 今では楽々と通過できる中村と清水の間はそれこそ昔は一日仕事。更に昔は海路しか存在しなかった。トンネルの入り口が1.6㎞という長さはここまで多くのことを物語っている。

 新トンネルの開通と、10年くらい前に清水の手前にある以布利いぶりにバイパスが出来たことで更に時間は短縮されたと思う。以布利バイパスの開通以前の事を覚えているがとにかく急なカーブとアップダウンの多い「面倒くさい道」という印象が強い。

 すでに通過をしてしまったがこの手前には少し前の日記で紹介した上の加江かみのかえに対する下の加江しものかえも今日通過した。下の加江は遍路道上とても大切な場所でもあるがそれはまたいずれ、忘れた頃にでも書こう■

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